第151話 ギスとの約束
「すまない。余計なことを聞いた」
「気にしないで。済んだことだもの」
皮肉げに、少し寂しそうに、ギスが微笑む。
「それに全部私が生まれる前の事だしね」
「…ならギスはそのあと魔族の支配下で…?」
「ええ。母に育てられながら地獄を生きたわ」
それでも彼女の母親は必死に、懸命にギスを育ててくれたのだという。
他者を大切にするようにと、思いやりを忘れるなと。
いつかギスがこの地獄を抜け出した後に…少しでも生きやすいようにと、瘴気の淀む街、魔族どもに虐げられる日々の中で、彼女をそう教え諭したのだという。
「まあ折角の母の教えも空しく、私は要領よく生きられるように少し小狡く育ってしまったのだけれど」
「あまりそうは見えんがな」
「ふふ、ありがと」
瘴気の中での生活は気力が大きくものを言う。
魔族の下、瘴気の中で子育てをするという途方もない難事に立ち向かうことで、むしろ彼女の母親はなんとか正気を保っていられたのかもしれない。
「けれど…それでもやっぱり長くはもたなくってね」
ギスはさらにそのハーフである。
ゆえに純粋なエルフに比べればかなりの短命だ。
だが…それでも彼女の寿命は人間の三倍以上ある。
ギスが十分大きくなる前に人間族の母親は急速に老いてゆき…肉体的にも精神的にも、瘴気への抵抗力を失っていった。
「享楽で私達を生かしていた魔族達も潮時と思ったのでしょうね。これ以上不味くなる前に、と。弱りつつある母に纏わりついてその恐怖を啜り絶望を咀嚼して魂を喰らったわ」
「~~~~~~っ!!」
「すべて吸い尽くされた母はもぬけの殻となった。肉体的にはそこにあるけど、それだけ。そういうものになった……なってしまった」
淡々と語るギスの言葉にふつふつと怒りが込み上げるキャス。
別に彼女を怒っているわけではない。
どちらかと言えばそれはキャス自身への怒りだった。
そんな生き方が…そんな人生が存在することをそれまで考えだにしなかった自分への憤怒であった。
「わけのわからない感情に襲われたわ。自分で自分を上手く説明できなかった。勝ち目などあるはずもない魔族達に挑みかかって返り討ちに遭おうとすら考えた。彼らに髪の毛一筋ほどの傷をつけられたならこの命惜しくすらないと思った。まあ…命がけで傷をつけてもすぐに再生されてしまうのだけれど」
「ギス…やめろ…もういい!」
「今にして思えば…あれが『憎悪』だったのね…」
「もういい、もういいから!」
キャスがギスを強く抱きしめ、声も枯らさんばかりに叫ぶ。
「…おかしいわ。悲しくないのに涙って出るものなのね。なんでかしら」
表情を変えぬまま、だがその頬に涙が伝う。
ギスは少し困惑したように両手を遊ばせて…
静に、けれど強く、キャスを抱きしめ返した。
その日から…二人は一層親密に、そして強く結ばれた。
それからどれくらい時間が経ったのか。
二人は成長し、もはや王都の裏路地で彼女らの名を知らぬ者はいなくなっていた。
時折やってくる偉そうな騎士どもの掃討隊からは巧みに逃げ回り、裏街を荒らし、手下どもから稼ぎを巻き上げる。
見た目は若い二人だが…裏町に巣食うどの顔役より古株だった。
だが…人間たちの止まぬ差別と迫害に悩むキャスは、その頃徐々にエルフ族への憧憬を強くしていった。
もしかしてあの森に入れば、エルフ達のところに行けば、あの陰口を聞かずに済むのだろうか。
蔑むような視線を浴びずに済むのだろうか。
当時の彼女の心の内で、そんな気持ちがとめどなく膨らんでいったのだ。
「お前も行かないか」
「私はいいわ」
ギスも誘ったが、断られた。
「この肌の色だもの。
「そんな…ことは…」
ない、とはキャスには言い切れなかった。
彼女とてそう教え込まれてきたし、実際ギスに話すまではそう信じ切っていた。
同じ迫害される者同士、というシンパシーがなかったら彼女自身とて分かり合えたかどうか。
「貴女だけで行ってらっしゃいな。私はここで待っているから」
「いちいち大人ぶるな。まったく…お前が喧嘩に負けて悔し泣きしたの忘れてないからな」
「あら性格悪い。ふふ」
「む~~~」
この頃になるとギスは随分と落ち着いた雰囲気になって、諭すような口調でキャスを諫めることも多くなっていた。
それは二人の性格の違いと、同時に年齢の違いでもある。
ハーフエルフのキャスとハーフの
寿命が短いということはその分早く年を取る、ということでもある。
初めの内は同年代だった二人は、経た年月は同じながら、だがいつの間にかギスの方が精神的に年上となっていたのだ。
「…どんな結果になっても、必ず戻る」
「ええ、いってらっしゃい。ん…っ」
「大丈夫か!?」
こん、とギスが小さく咳込み、キャスが慌てて駆け寄る。
「ええ。いつもの発作よ。気にしないで」
「…くそ、魔族め!」
ギスは幼いころから瘴気に当てられていた影響か体が少し弱いところがあった。
耐久力以外の身体面ではキャスにも負けないくらい優れているのだが、時折発作を起こして咳込んでしまう。
そうなると彼女は完全に無力化してしまうのだ。
ギスを残してゆくのは心配でならなかったキャスではあったが、エルフ族への憧憬を捨てることができず、結局彼女を置いて彼らの住まう
そして…心に深い傷を負って帰って来た。
人間達にエルフの半身を差別され、迫害され続けたキャスは、
エルフ達の森で、今度は彼らに人間の半身を否定され、拒絶されたのだ。
「ならば一体…一体どこにあるというのだ! 私達が生きるべき場所は!」
壁を殴りつけたキャスは、痛む拳をさすりながらいつものアジトに戻る。
だが…そこにギスの姿はなかった。
「お前たち! ギスはどうした!?」
「ボス!? 帰ってきてたんで!? ヘ、ヘイ…ギス様は…」
「騎士団に…捕まった…!?」
キャスのいない間に騎士団の掃討作戦があり、手下どもを逃がすために彼女が囮になったのだという。
万全の状態のギスならば一人でも騎士団から逃げおおせるくらい造作もないだろうが、もし発作が起きていたら…
「~~~~~~~~~~~~~~~~っ!!」
我知らずキャスは母の形見の愛剣を片手にアジトを飛び出していた。
「扉を開けろ! 返せ! ギスを返せ!」
そしてあろうことか、深夜、単身で騎士団に殴り込みをかけたのだ。
「…一体何の騒ぎだ」
騒ぎの音を聞きつけ、エメラルドに輝く鎧を着た男が部下らしき騎士に尋ねる。
三十代ほどの引き締まった体の男性で、年齢の割にやや落ち着きがある…というかむしろ老成すら感じる人物だ。
よほどの苦労をしているのだろうか。
「いえそれが裏街の浮浪者の娘が捕らえた者を返せと殴り込みをかけてきまして…」
「そうか。あまり手荒な真似はするな。なるべく傷つけずに帰してあげなさい」
「いえそれが…そうして宥めようとした騎士達が幾人も…その、打ちのめされまして」
「ほう?」
その上司らしき男が宿舎の二階から庭を見下ろすと、幾人かの騎士達が軽装の娘を追い回している。
けれどその娘は己の身軽さの利を活かし、騎士達を煙に巻いて翻弄し、数の有利を作らせず巧みに一対一の状況を作り出しては各個撃破をしていった。
優れた夜目、剣の腕、身のこなし、そして頭の回転の速さ…どうにも見た目の年齢からは計れぬ、端倪すべからざる相手のようだ。
「私が出よう」
「え? 団長自らですか!?」
「隊長副隊長ならいざ知らず、叙勲したての新米騎士程度で手に負える相手ではなさそうだからね」
幅の広い剣を手に、その男…この騎士団の団長がゆっくりと階段を下りてゆく。
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