第127話 軍馬の馴致
「まあ名前の是非は置いておくとして…」
キャスは馬達のたてがみを撫でつけなが彼らの反応を確かめる。
「ふむ、この様子なら乗り手を訓練して彼らにすぐ乗れるようにするのはそう難しいことではないな。だが…馬の方を軍馬にするとなると話は別だ」
「軍馬って…普通の馬とは違うんですか?」
「全然違う」
ミエの質問に短く答え、キャスは馬達から一歩離れ彼らを横から観察し始めた。
その脇ではコルキがヘッヘッヘ…と荒い息を吐きながら尻尾を振っている。
「馬は本来繊細で臆病な生き物だ。クラスク殿もすぐに怖がると言っていただろう」
「言っタ」
うんうん、とクラスクが腕を組んで頷く。
「彼らは草食動物だから野生では常に肉食動物から身を守らねばならん。そのため危険に対して非常に敏感なのだ。それが臆病な理由だな」
「自分の身を守るためってことですよね?」
「ああ。ゆえに大きな声、血の臭い、金属を打ち鳴らす音などは彼らを恐慌状態にしてしまう。そしてそれらは全て戦場に常在としているものだ。まずそれらを怖がらぬように慣れさせなければならん。さらに強そうな敵…例えば肉食獣などを相手にしたときでも脅えないように訓練する必要がある」
「なるほどー」
もっともらしく説明するキャスのその隣で、尻尾を振ったコルキが小首を傾げて
「あとは手綱を使わずに乗り手の意思に反応できるようにしたり、戦場でのストレスをなるべく貯めこまないようにしたり、鞍や鐙などを嫌がらぬよう慣れさせる必要があるな。それらを経ていない馬を戦場に連れて行っても脅えるばかりで役には立たんし…そもそもそれではオーク達が乗れんだろう」
「大変そうな印象を受けタ」
「すごい手間暇がかかるんですねえ」
「そうだな…人間の調教師なら年単位でかかるかもしれん」
「「そん
なに」」
思わず声を合わせてしまうクラスクとミエ夫婦。
「でもそれじゃキャスさんがいる間に
「
「いえいえ! ちっとも!」
「?? …そうか」
両手を振って慌てて否定するミエに怪訝そうに首を傾けながらも、キャスは話を続ける。
「ただしある条件を満たせば調教期間は大幅に減らせるはずだ」
「ほほう。効率的なのはイイな。こっちデ用意デきルものか?」
「む…」
すぐにやれとは言わず、
できるできないを問い質すこともなく、
まず最初に必要な準備を確認してくるクラスクにキャスは素直に感心する。
簡単なようでなかなか取れる態度ではない。
「ああ。軍馬への馴致を私に任せてくれ。それとサポートとしてサフィナ殿と…その、身重のところ申し訳ないがミエに手伝ってもらいたい」
「え? 私ですか?!」
驚いた表情のミエにキャスが頷く。
「彼らはミエに非常に懐いている。ミエがすることへの拒否感は他より低いだろう。慣れる、という作業にその信頼がなにより重要なのだ」
「ミエはいいが…サフィナが必要な理由はなんダ」
「私はハーフエルフで、彼女は純粋なエルフだ。エルフ族は植物や動物とある程度意思を通じ合わせることができる。まあ会話というほどのレベルではないがな」
「本当ですか!? それはすごいですね!」
「じゃあ喰ってル肉や野菜の言葉もわかルのか!?」
驚愕するミエとクラスク。
まあ驚いている中身はだいぶ違うのだが。
ただ…ミエの場合サフィナの普段の言動から多少思い当たるところがないでもなかった。
「食事の話はまた今度と言うことで…通常の訓練が長期にわたる理由はその訓練の意味が馬に伝わらないことだ。理解していないものを覚えさせるのだから時間がかかって当たり前だな。だが私とサフィナ殿がいれば訓練の意図を…ある程度だが直接伝えることができる。そしてミエがいればそれに早く慣れてもらうことが可能なはずだ。それだけの条件があれば、かなり早い時期に成果が示せると思う」
「面白そうですね。旦那様! 私やってみたいです!」
びっ、と挙手をしてミエが宣言し、クラスクが頷く。
「大事な体ダ。あまり無理はすルなよ」
「ええー、しませんよう。今までだって無理なんてしたことなかったじゃないですかー」
((それはどうかな…))
右手をひらひらさせながら軽く答えるミエに、けれどクラスクとキャスは同じような感想を抱いた。
ミエの他人のため、誰かのために労苦を厭わぬ性質は、どうやらこの短期間でキャスにもすっかり知られてしまっているらしい。
× × ×
「おー…大きな音は訓練だから…怖くないから…」
「キートクはちゃんとできてえらいっ! 賢いですねえ! ラクリィとヤウイーがんばれー! 次はできるわよー!」
サフィナが馬達に語り掛け、ミエが声を出して応援する。
そしてキャスが合図とともに剣と剣を叩きつけ、大きな金属音を出した。
その隣でコルキがおてつだい! とばかりに大声で吠え立てる。
突然の大きな音に馬達は皆不安そうにきょろきょろするが、どの馬も逃げ出そうとはしない。
「よーしよし、お前たちよく耐えたな!」
「おー…がんばった…えらい」
「えらいっ! すごいっ! みんなよく頑張りましたねー!」
「ばうっ! ばうばうっ!」
キャスが剣を撃ち鳴らす手を止め、ミエがとてとてと歩いて馬達の身体を撫でる。
本当は駆け寄りたいところなのだが身重ゆえ走れないのである。
「どうですかキャスさん、調子の方は」
「だいぶいいな。思った以上に馴致が早い。順調すぎると言ってもいいだろう」
感心するキャスにサフィナが小首を傾げて問いかける。
「おー…みんなかしこい。お馬さんみんなかしこい?」
「いや…格別に知能が高いということはないはずなんだがな…?」
これに関してはミエのお陰というか功績というか、ミエの仕業によるところが大きい。
彼女のスキル≪応援(個人)≫が馬達の知性に補正をかけ、一時的に彼らの理解度を上げているのだ。
無論クラスクに対するそれとは異なり他者への補正はあくまで一時的なものである。
だが一時的とはいえ理解度が上がったことで大きな音や金属音が怖くない、問題ないと覚え、それに対して『慣れた』という結果自体は知性が元に戻っても残り続ける。
それは
「よーしよしよし。ふむ。今できる訓練はだいぶ進んだようたな」
「他になりかありましたっけ?」
「後は実際の戦場を見せるのが一番なんだが…」
「ならオーク達の教練の様子を見に行かせましょうか。ちょうど今日あたり模擬戦をやるらしいですし」
「なるほど。それもありだな。あとは…やはり鞍や鐙の本物が欲しい」
村にはそうしたものがないので、背中にタオルを乗せたりしながら異物に慣れさせたりはしたけれど、やはり本物を装備させて教えるのが一番である。
(私の馬は森に入る前に近所の寒村に預けてきてしまったしな…)
などと思いつつも口には出さぬ。
これだけ長い間預けっぱなしではもはや無事でいてくれるかどうかすら定かではないが、だからと言って仮にも虜囚の身で馬が心配だから森の外まで取りに行かせろ、とは流石に言い出しかねたのである。
そう、キャスはいずれにせよそれを村に関わりのない、個人的な些事と片付けていた。
所詮寂れた寒村にすぎぬ、と。
彼女は…オーク族に対する知識不足ゆえ、その村の奇妙さに気づいていない。
その村はこの森の比較的近くに存在していた。
とすればクラスク村の縄張りの内にあることになる。
だがオーク達は襲撃や略奪を繰り返しながら縄張りを広げてゆくものだ。
だから襲うべき村や街は常に縄張りの外周部に存在する。
ゆえに…オーク族の縄張りの内側に、寂れた人間族の寒村など本来あるはずがないのである。
「じゃ、教練をしてる旦那様に許可をもらいにいきましょうか!」
「ああ」
「ワッフー…いるかな…」
「ばうばうっ!」
ただこの時点ではその違和感に誰も気づくことはなく…彼女たちは森を出て、村で行われている模擬戦の見学へと向かった。
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