第115話 湯気の中の会合
「で、聞きたいことってのは?」
「いや、その…もしかしたら気を悪くするかもしれない。だから話したくないなら話さなくてもいい。その上で尋ねたいのだが…ゲルダ殿は族長殿と族長夫人の掲げる目標についてどう思う?」
「ああ…」
ゲルダは笑いながら冗談めかして答えようとしたが、キャスバスィのどこか思い悩んだ、けれど真剣な表情を見て態度を改め、顎先を指でコリと、掻きながらさてどう返したらいいものかと思案する。
「そうだねえ…あらかじめ言っておくけど、アタシはあの二人がこの村を変えようって動き始めたとき一番最初に協力した女の一人なんだ。だから村の中での立場も他の連中よりかはずっとアイツら側さ。そこんところを踏まえた上で聞いてくれ」
「おお…それはつまりあの二人の理念に共感されたと…?」
「うんにゃ。全然?」
「む…?」
ハーフオーガという
「今はここまで変わっちまったけども、クラスクさんが族長に就任するちょい前まではここも普通のオークの村だった。アンタも騎士ならオークの集落のひとつくらい根切りにしたことあるだろ? そういう村だったのさ、ここも」
「ここが…? にわかには信じられんな…」
このあまりに牧歌的で平和的な村の光景と、かつて自分が見て来た…いや見せつけられたあの凄惨なオーク族の集落の有様とが、どうしても頭の中で重なってくれぬ。
一体何があって…
…と、ここまで考えたところでキャスバスィははっとゲルダの方を見た。
いや睨みつけた。
自分は彼女の前で一度たりとも己を騎士だと名乗ったことはない…っ!
「ああ悪ィ悪ィ! だからそんなに身構えなさんなって! アタシゃ昔傭兵やってたんだ。身のこなしと肉のつき方から騎士か…今は騎士でなくとも元騎士か、くらいならだいたいわかるさ」
「おお、傭兵か…!」
「そうそう。ラッヒュィーム傭兵団って言うんだけどな」
「………!」
「ふふん。顔でわかるぜ。噂を聞いたことがあるんだろ?」
犬歯を剥き出しにして意地悪く笑うゲルダの前で、キャスバスィは不承不承頷く。
「よからぬ噂のある傭兵団と聞いた。以前どこかで壊滅したとも」
「どっちも当たってるよ。確かに碌なもんじゃなかった。見事潰してのけたのがここのオーク達さ。で女のアタシだけ生かされて、晴れてアタシはオークに飼われる身になったわけだ」
目を細め、からかうような口調で己の身の上を告げる。
「それは…なんとも…」
「いやいや同情しなさんなって。アタシにとっちゃここの暮らしはそんな酷いもんじゃなかったからね。なにせオークにとっちゃ大事な孕み袋だ。死なれちゃ困るから飯だきゃくれる。それすら滞ってた人間の街の暮らしよかあだいぶマシって寸法さ。ハハハハ!」
ある程度推測はできていたけれど、想像以上に悲惨な境遇を聞いたキャスバスィは深く同情すると同時に少し共感を抱く。
ハーフに生まれ落ちたことで受ける差別や悲惨な境遇とその懊悩は彼女にも覚えがあることなのだ。
「ちょっと脱線しちまったな。元はなんだっけ…ああクラスクさんとミエの理想の話だっけか。えーっと…とにかくあの頃はこの村も他のオークの集落と大差なくってね。クラスクさん…クラスク族長のがいいのかねえ…も若手オーク注目株程度でしかなかったはずだ」
腰を上げたゲルダは、そのまま部屋の奥まで行き、トングで積まれた石を一つ掴んで中央の台に置く。
「で、クラスクさんのシンパっつーかクラスクさんについてきゃあ間違いないとか旨い汁が吸えそうだって懐いてるオーク達が三人いてな。クラスクさんがこの村を今みたいな形に変えたいって考えた時、そいつらが呼び出されて渋々手伝わされたんだ。最初に協力した娘ってのは…要はアタシ含めそいつらが飼ってた女ってことさ。だから別にリ…なんだっけ? リネン? だかに賛成したとか共感したとかじゃあない」
「成程…」
確かに彼らの理想はこの世界の常識から考えれば少々非現実的すぎる。
彼ら自身がその発想に辿り着けたこと自体まず驚異なのだ。
オークならぬこの村の女性達でもまず最初は受け入れられまい。
ただの冗談か戯言か、よくて世迷言にしか聞こえなかったろう。
「アタシも最初は繋がれっぱなしで体が鈍ってたから鎖さえ外してくれりゃあなんでもいいや程度にしか思ってなかったんだ。そしたらいきなり夜の散歩にまで繰り出すしな。あすこで逃げてりゃあもっと楽だったかもね! ハハハハ!」
ミエが聞いたら卒倒しそうな物騒ごとを笑って言い放ったゲルダは、先程の石に近くの水桶から柄杓で汲んだ水をぶっかける。
たちまち濛々と湯気が立ち込め、満足したらしき彼女は再びキャスバスィの隣にどっかと腰を下ろした。
「けどその後アイツらはどんどん村を変えてって、遂にはそれを不満に思ってた前の族長の野郎までぶっ倒して、族長の座まで上り詰めて、そんで村をガンガン変えてった。で今こんな感じになっちまったわけ。ここまでされちゃあさあ、ちょっとは信じてみたくなるじゃん?」
「…よくわかった。不躾な質問に丁寧な答えを痛み入る」
キャスバスィが深く頭を下げ、ゲルダが笑い飛ばす。
「いいっていいって! たださっきも言ったけどアタシャアイツら寄りの立場だ。この村はクラスクさんが族長になってからは襲撃や略奪で女を攫ってくることはなくなった。けど…逆にいやあ今この村にいる娘はみんな略奪や襲撃で攫われてきた女ってことだ。アタシ含めてね」
「!!」
「まあなんかミエだきゃあ別らしいけどな。とにかくそんなわけで生活を格段に良くしてくれたクラスクさんには恨みはねえけどオーク族自体に色々思うことのある女もいるだろうってことさ」
「確かに…そうだな」
この村は彼女が滅ぼしてきた他のオーク族の集落に比べ驚くほどに豊かで、そして平和だけれど。
女性達の扱いもオーク族どころかそこらの人間族の村より格段に良いけれど。
それでもこの村は変化の過渡期なのだ。
革新のただ中で…けれど旧来の風習や過去の悪事が影を落としている。
「オーク好みの体に変えられちまって開き直ってこの村での生活を楽しんでる奴もいる。元の村がなくなっちまったりで戻る場所がないから泣く泣くこの村で暮らしてる女もいる。今じゃ外の村よりよっぽど女の扱いがいい上にお貴族様顔負けの化粧まで使えるってんでむしろこの村を離れたがらない現金な女もいる。けど…オークに恋人や旦那を殺されて無理矢理攫われてきたような女だと…やっぱり受け入れ難いことってのもあるんじゃねえかな。まあその辺り個々の娘の細かい事情はミエしか知らないけどねえ。なんだっけ? プラバイシー?」
「…知らぬ単語だな」
「アタシもしらん。ハハハハ!」
ゲルダはそのまま脚を組み、両手を頭の後ろに回して天井を見上げる。
そしてどこか懐かしむような口調で…こう呟いた。
「ホントに…あの時逃げ出してりゃあなあ…こんな苦労も…楽しみもなかったんだろうけど…」
その呟きにはあまりに実感がこもっていて…
キャスバスィは微笑ましくて思わず 顔を綻ばせる。
「ふふ、随分と楽しそうに話すのだな」
「いや、それは、別に…」
言い訳しながらも満更でもなさそうな表情で顎を掻くゲルダ。
「そっちこそ…どうなんだよ」
「どう、というと…?」
「クラスクさんとさ。抱かれ心地はどうだった?」
「んな…っ!?」
ぼむっと頭部から湯気を噴出させ動転するキャスバスィ。
「わ、私はそのような役目で、招かれたわけでは、そのっ!」
「でもアンタこの村に来る前だったらクラスク族長に何説明されても眉唾扱いで信用しなかっただろ?」
「う…」
「だったら外の常識で考えて、女がオークの村に招かれる理由なんて一つしかねえじゃん。クラスクさんにのこのこついて来たってこたぁ…期待してたんじゃねえの?」
「そ、そ、それは…っ!」
はわわわわ、と惑乱しながらしどろもどろに答えを探す。
だが少なくとも村に呼ばれ彼らの家で事情を聞くまではずっと誤解しっぱなしだったのは紛れもない事実なのだ。
キャスバスィは己の淫らな妄想を思い出し、羞恥で真っ赤になりながら俯いた。
「いやー仕事の後の風呂はええのう。このためだけに生きとるようなもんじゃ」
「駄目。シャミル、人生もっといっぱいたのしい…」
「ああそういう意味ではなくじゃな…」
新たに風呂に入って来た何者かの声にハッと我に返ったキャスバスィは…
「ひ、人が増えてきたのでこれで失礼する!」
「な、なんじゃなんじゃ!?」
状況が変わったことを幸いに、新たに入って来た小人族らしき娘にぶつかりかねない勢いで浴室の外に飛び出した。
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