第102話 キャスバスィの戦い

キャスバスィは周囲に素早く目を走らせ、先刻のようながすぐには起きないであろうことを確認した。


先端の尖ったエルフ族の血を示す耳がひくんと動き、森の西の方のから響く大小の悲鳴や叫びを把握する。


どうやら副隊長エモニモ達の隊はだいぶ苦戦しているようである。


彼女ほどはっきりとは聞き取れない配下の騎士達は、だが森の中に時折木霊する仲間たちの絶叫に不安を煽られ、怯える。

声を上げられた者たちはまだ抵抗できている方で、実際には声も上げられずに無力化し、されている者の方がはるかに多いのだが、流石にそれが把握できているのは隊長のキャスバスィだけだ。



「お前たち、決して私から離れるなよ」

「「はい!」」



部下達に声をかけ、落ち着かせる。

彼女が率いていた当初15人ほどいた小隊も、現在は9人まで減っていた。

最初に2回ほどあったオーク族の挑発で先行した騎士達を失ってしまったのだ。


だが彼女はすぐに方針を変更し、迂闊に隊列を乱すことを禁じた。

そこから先は遠くに現れてこちらを挑発するオークどもには釣られず、弓で狙うのみとしたのだ。


当然それでは相手を倒すことはできないけれど、それ以降の被害は出ていない。


(だがどうする…? このままだとオーク達の討伐などと言っていられる状況ではないが…)


撤退するか。

一瞬その考えがよぎるが、すぐに否定する。


キャスバスィはハーフエルフである。

人間族からはエルフというだけで迫害され、エルフ族からと蔑まれてきた。

それでも必死に人間の街で生きて来たのだ。


そんな彼女がとある事件をきっかけに翡翠騎士団に入隊することができた。

なんぞという嘲笑わらえる肩書きを背負った、国王直属の騎士団である。


なぜ貧民街で暮らしていた彼女がそんなに預かれたのか。

それは彼女の才能が翡翠騎士団団長の目に留まったことが大きいのだが、同時にこの王国特有の複雑な事情が影響している。


国の王が、王国内のに負けぬために少しでも、僅かでも己の勢力を増強させる必要があったからだ。

そのため彼の直属である翡翠騎士団も少しでも戦力になりそうな手駒を確保したかったのである。


キャスバスィ以外の、この隊の他の隊員たちもそうである。

通常の、小姓から従者となり、その後騎士へ叙勲されるような、いわゆる正規の騎士ではなく、訓練の間従者の名を与えられ、そのまま臨時の騎士に取り立てられた貴族の次男や三男、さらには騎士に憧れていた豪農の息子などまで含まれている。


ゆえに彼らは他の騎士達から疎まれている。

他の騎士団からも、当の翡翠騎士団からも、だ。


これまで彼女はそれを実力で黙らせてきた。

戦果を示し続けることで己の立場を守って来た。


だから撤退は許されない。

失敗は即足元を見られる。

戻ったところで床に敷き詰められているのが針の筵では、到底己のとは呼べまい。


だから前進するしかない。

この先も戦果を上げ続けるしかないのだ。




死にたくない。

死ぬわけにはいかない。

こんなところでは、絶対に。

少なくとも…再びに会うまでは。




キャスバスィは藪の間を器用に抜けながら傷ひとつなく前進を続ける。

隊員たちは彼女の無造作な所作を真似しようとするが、鎧やサーコートに蔦が絡まり枝が引っかかって諦めて少しだけ迂回する。


「なにをしている。離れるなと言っただろう」

「ええー…」


隊長の言葉に頭を掻いて困惑する一同。

彼女のは彼女に与えられたエルフの血の恩恵なのだが、彼女自身にはあまり自覚がない。


隊員が命令通り彼女と離れないようにするには彼女の真似をして棘だらけの藪を減速せずかつ無傷で突っ切るしかないが、そんなことをエルフでない人間族がやろうとするなら野伏レンジャー森人ドルイドでもない限り不可能である。


「あーまた隊長がなんか無茶ぶり言ってるわー」

「いつものことだろ」

「違いねえ。ハハハ」


とはいえ表情や雰囲気から彼女のその言動を部下たちが鬱陶しく思っているような様子はない。

彼女が本来騎士隊長などを任されるような身分ではなかったのと同様、彼らもまた本来騎士に叙任されるような立場ではなかったのだ。


そんな彼らを彼女が目をかけ取り立てて猛烈な訓練で鍛え上げ、周囲の白い眼を彼女自身と隊の実力で黙らせてきたのである、

キャスバスィは己のやり方で、彼らから大いなる信用と絶大な信頼を勝ち得ていたのだ。


(この違和感は…だな)


キャスバスィは森を見通す鋭い視線で周囲の木々を見渡す。

遠くの木々の樹上に幾つかの気配がある。

おそらくはオーク達のうち目のいい幾人かが樹上からこちらの状況を把握し、他のオーク達に伝えているのだ。


そもそもオークがそうした見張り、状況認識、周囲への伝達といったいわゆるを行ってくること自体が驚きである。

これまでそんなオークに会った事など一度もなかった。


なによりそうした戦術は現在の状況に対して非常に

命令を遂行するために馬を降り得意戦術を奪われ苦手な森に分け入らざるを得ない、隠密を苦手とする騎士の集団。

遠方でこちらの位置を把握するのは容易く、対策も立てやすいだろう。



もしそこまで考えてこの策を実行しているとしたら、それは相当警戒すべき、国にとって危険なオークと言うことになる。



(そうだ。彼らの逃げ場がないところを攻めればいいのだ…オーク達の棲処を暴ければ…)


元々それもあって隊を分けたのだし、最悪オーク族の集落さえ暴ければそれを戦果とできなくもない。

ならば当初の予定通りこのまま前進して…



「ッ!? お前たち…っ!!」




背後に、突如、猛烈な闘気を纏った何者かが出現し、手にした大きな得物を振るっている。

考えるより早く抜剣し、振り返りながら地を蹴りその気配めがけて突撃するキャスバスィ。


だが一歩遅い。


どこからともなく突然現れた…凄絶な気配の持ち主…その大柄なオークは、手にした戦斧ので隊の後方を薙ぎ払う。

めきめき、と耳を塞ぎたくなるような鈍い音がして、兵士が四人ほど体をくの字に曲げて真横に吹き飛んだ。


「貴様ァ!」


叫ぶと同時にエストックを突き立てる。

それを大袈裟に避けると同時にそのオークは、手にした斧をこれみよがしにぶんと振り回した。


一人の騎士がその斧頭に引っかかって斜め上方に吹き飛び、ばきばきという音と主に樹上の木の枝の中に吸い込まれ、消える。


騎士達は慌ててそのオークから距離を取った。

そんな力任せの攻撃に巻き込まれてはたまったものではない。


だが決して蜘蛛の子を散らすように、ではない。

逃げたわけでもない。

隊長の邪魔をしないよう、自分たちを落ち着かせ、己を鼓舞するため、

そしてまだ抜剣していない者は剣を抜き、戦闘準備を整えるため。

それぞれ十分な間合いを取ってそのオークを包囲しようとしたのである。



「いかん! お前たち、それは…っ!」



そう、そのオークを囲うように…彼らは、それぞれに離れたのだ。



悲鳴が、響いた。



猛烈な勢いで四方八方の藪から飛び出したオーク共が、分散し単身となった騎士達に背後から数人がかりで襲い掛かり、その口を塞ぎ、武器を奪い、腕を絡め、足を払って引きずってゆく。

ばたばたと足をばたつかせ、だがオークの怪力の前になにもできず、涙を浮かべながら森の木々の中へと消えてゆく騎士達。


そんな仲間を見せつけられ、だが同じように抑え込まれ、自分にもどうにもできず、泣きながらかどわかされてゆく他の騎士ども。


あっという間の出来事だった。

その一瞬で、キャスバスィは引き連れていた配下を全て失った。


がぎん、と放たれた凄烈な剣撃を斧の腹で弾く大柄なオーク。

ニタリ、とんだその表情は、己の策謀が全て通った策士のそれであった。



「貴様…名前は!」

「聞イてドウすル」



そのエルフ族娘の問いかけに商用共通語ギンニムで短く答え、だがそのオークは目を細めて警戒する。


普通オーク族はオーク語を話し、他種族の言語を学ぼうとしない。

だから大抵の相手は彼らが自分たちの言葉など知ろうはずがないと油断し、共通語で喚きながら自分たちの作戦などを彼らにだだ漏らす。


だがその女…この兵隊どもを率いるリーダーらしき娘は、こちらの策に嵌りこそしたがその理由をちゃんと察している。

が共通語を学んでいると理解し疑わぬ。

己の常識を覆されてなお状況から導き出される結論に迷わずその身を委ねられる者はなかなかいない。

かなり有能な…そして決して侮れぬ相手である…彼はそう結論づけたのだ。



「名前を聞いておかねばできんだろう」

「俺に勝つつもりカ?」

「どちらが勝つかはわからん。強い方が勝つだけだ。だが…死体からは名前が聞けんだろう?」



互いに剣を、斧を構えたまま、一触即発の雰囲気で放たれたその言葉に…そのオークは明らかに虚を突かれ、感心したように瞠目した。


「ハッハハハ! 確かニ! それはお前ガ正しイ! 悪かっタ。謝ル。俺の名はクラスク。この森のオーク族を総べル族長ダ。そうイうお前の名前ハ?」

「名乗る必要などない」

「ずるくなイ!?」

「ずるくない」





まるで諧謔かいぎゃくのようなやり取りをしながら…

だが翡翠騎士団第七騎士隊隊長キャスバスィと、オーク族族長クラスクは互いに寸毫の油断もせず、得物を構えながらじり、と腰を落とした。



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