第95話 閑話休題~特別製の枕~
「「ふう…」」
夜、蝋燭で照らされた台所で、テーブルを囲んだミエとクラスクが同時に嘆息する。
以前なら食事は夕暮れ時で、その後二人の時間が長く取れたものだが、最近の食事の時間もめっきり遅くなった。
まさに晩飯である。
まあ以前はそもそもオーク族の≪暗視≫と蝋燭などの灯火の欠如も相まって、オークの村で夜を長く過ごすのは臥所の中以外ではできなかったのだけれど。
「旦那様お疲れ様です…」
「お前もな、ミエ」
「「ふう…」」
二人が随分と疲れた様子なのは、実際互いに恐ろしい程に多忙だからである。
クラスクはまず若手のオークを鍛えるのに注力している。
単に力任せに斧を振るのではなく、集団で戦場を有利に変えるよういわば戦術を叩きこんでいるのだ。
そういう戦い方は個々の実力とはまったく別の要素が重要であり、オークの苦手とするものだ。
だがだからこそ近いうちに絶対必要になるとクラスクは予測していた。
まあ戦術や技術を教えてくれる専門家がいればもっと良いのだろうけれど。
さらに彼は村のオーク達に
共通語であれば無論ミエの方が上手いのだが、種族特性にまでなっている女性蔑視の感覚は特に老齢のオーク程抜けにくく、頑迷だ。
その偏見を解き相互理解を深めるために互いの言語を学ぼうというのに、その最初の一歩で躓いていては元も子もない。
ゆえに族長であるクラスクが教えざるを得ないのである。
その上彼は族長としての仕事もこなさなければならない。
オーク同士の諍いの調停や決闘の審判、さらに陳述や陳情への対処、そして村の方針の決定と推進、他の部落との交流・交渉…など様々である。
他にもオーク達が好む宴や酒盛りにその都度引っ張り出され付き合わされたりもする。
これまた族長として断りにくい用件なのだ。
それに加えて現在彼らは襲撃方法の変更や略奪婚の禁止、そして女性に対する扱いの改善と言った諸問題を同時に進行させている。
既に過去の略奪や襲撃で女性を囲っているオーク達はそれを嫁とすることで軟着陸できそうだが、未だ嫁を得ていない若手オークには不満が多い。
それを宥めながら新しい体制で一刻も早く成果を上げなければならないのだ。
新族長の心労たるや、実に筆舌に尽くしがたい程なのである。
一方のミエはミエで色々と気苦労が絶えない。
まず各家庭の点検と改修である。
鎖で繋がれた女性が解放されれば当然生活スペースや寝る場所が必要になる。
必要なら土方として目覚めたリーパグに協力してもらい家の増築をしなければならない。
さらに建造が止まっていた公衆トイレと公衆浴場を完成させつつ、並行して村全体の衛生意識を改革させる必要がある。
他にも女性達にオーク語を教えながらそれぞれの攫われた状況や事情などを聞き取りつつメンタルのケア。
化粧品などで彼女たちの身だしなみを整えてネガティブな気分を払拭、愚痴や泣き言を丁寧に聞いて回っては応援し、どうしてもオークとの生活に耐えられないという者がいた場合いずれ故郷に返すという約定の元で現状を受け入れてもらうよう説得。
さらに酒造りを主とした女の仕事の確立。
サフィナが主体となって進めている村の周囲の花畑の水撒きや施肥、簡易な果樹園作り、蜜蝋製品の製造法などを村の女性達に教授しながらそのシャミルと一緒に品質のチェック。
そしてこれまたシャミルと共に村で手に入る素材から作れる特産品の開発等々…
ともかく二人の仕事はずっと先まで山積みなのだ。
「そうダ、ミエ」
「はい、なんでしょう」
「お前、いつも夜俺の事待ってル。大変」
「いえ。妻なのですから当然です」
最近お互い忙しく、食事の時間も合わないことが増えていたけれど、ミエはどんな遅くてもベッドで夫の帰りを待っていた。
場合によっては眠そうに、うとうとしながら、それでも夫の顔を見るまではまず横にならない。
クラスクはそれが少し気になっていたのだ。
「お前体壊すのダメ。ミエが疲れてルならその日は抱けなくテもイイ。我慢すル。事前にわかルならその方がイイが時間合わなイなら無理はよくなイ」
クラスクとしてはミエを最大限気遣った言葉だった。
新族長に就任こそしたが彼はまだまだ若い盛りのオークであり、性欲も旺盛だ。
それは可能なら毎日だって好きな女を抱いていたい。
けれどそれによってミエの健康が損なわれてしまうというのなら、笑顔が失われてしまうというのなら、幾らでも我慢できる。
クラスクはそれくらいミエの事を愛しているのだ。
(事前にわかる…事前に…?)
…が、その時ミエに電流走る。
(だ、旦那様に、旦那様に…YES/NO枕を作れって言われた気がするー!?)
…これである。
その日からミエは空いた時間にちくちく、ちくちくと裁縫をして、村のオークが獲ってきた鳥の羽を分けてもらい袋に詰めて大き目の枕を作った。
そして遂にそれが完成する。
「じゃーん! どうですか旦那様!」
「オオ…!?」
それは枕だった。
クラスクとミエが同時に頭を乗せてもまだ余裕のある大きな枕である。
さらにその枕にはカバーが付けられており、それは面には『
「これを表にしていれば、もし私が寝ていても…」
「起きてなくてもわかルのか! ナルホド! ミエは凄いナ!」
恥ずかし気に枕を抱えるミエに感嘆するクラスク。
よくもまあこんなアイデアを考え付くものだ、と素直に感心する。
「これならミエもイつデも休めるナ!」
「はい!」
嬉し気に微笑み合う夫婦。
そしてその夜…
村のオークの酒盛りに付き合わされたクラスクが寝室に入ると、ミエがすやすやと眠っている。
だが彼女が敷いている枕は『
「オオ、ミエ…」
普段ミエが先に寝ている、ということ自体あまりないため、寝ているミエをどう起こすか、どう事に至るかなどと考えながらベッドに潜り込むクラスク。
その晩、二人はとても頑張ったようだ。
そして次の夜…
オーク同士の諍いから決闘に発展し、その審判役を引き受けたクラスクは結局夜遅くまでその決闘を見届ける羽目となってしまい、疲れ果てて家に帰った。
溜息をつきながら寝室に入ると、彼女が敷いている枕は『
「オオ、ミエ…!」
体の疲れはどこへやら、ミエが受け入れてくれるのが嬉しくて、いそいそと臥所に潜り込むクラスク。
その晩も二人は大変頑張ったようだ。
そして次の夜…
若手のオーク達の物覚えがよく、いつもより訓練に熱が入ってしまいそのまま酒盛りに突入してしまったクラスクは、これまた夜遅くに帰宅する。
欠伸をしながら寝室に入ると、彼女が敷いている枕は『
「…ミエ?」
流石に困惑したクラスクはミエをそっと起こして事情を尋ねる。
折角こういう枕を作ったのに、これでは以前と大して変わらぬではないか、と。
けれどそれを尋ねられたミエは耳まで赤くなり、枕をぎゅっと胸に抱いて恥ずかし気に視線を逸らす。
そしてぼそぼそと、消え入りそうな声で囁きながら夫を潤んだ上目遣いで見上げた。
「えっと…その…私、嫌なときはちゃんと嫌って言います、から……」
つまり、それは。
ミエが自分の意志でそれを望んでいたということで。
彼女が毎晩毎晩期待して待っていてくれたということで。
そしてそんな彼女が…今真っ赤になってこちらを見つめていて。
胸に抱えている枕には大きな文字で『
「すまんミエ。モウ我慢、無理」
片言で呟いたクラスクは…獣のような雄叫びと共に妻に襲い掛かった。
その晩二人は無茶苦茶がんばって…
そして、のちに村の特産品として、アーリが販売するこの枕が割と評判になったという。
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