第94話 底抜けのお人よし
「に、に、に…!」
「に?」
「虹貝ニャ…!?」
「虹貝?」
虹貝…海の中で見つかる虹色に輝く巻貝である。
これまで生きている虹貝は確認されたことがなく、必ず貝殻で見つかる。
この世界では装飾品としても宝石の一種としても扱われており、かなり珍重されている高価なものだ。
先程ミエが発注した品は確かに特注品で、王宮御用達の職人に結構な額を払わないと作れそうにない。
けれどこの虹貝があればそれを全部賄った上でそれなりの釣りが出る。
それこそアーリが自前の商売をするための軍資金にだってできる額だ。
「ニャ! ニャニャニャニャニャ!」
「どうしました?」
「慌テテルのか?」
「とんでもないニャ! こここれっぽっちも慌ててなんかなななないニャニャニャ!」
アーリはぶんぶんと首を振って取り繕う。
顔中に冷や汗が滲んで怪しさ満点である。
彼女の動転ぶりにミエとクラスクは互いに顔を見合わせた。
「それで…こちらでお願いできますでしょうか」
「おおおお願いニャ!? それはもう足りるというか十分というかいやでもどうかニャー、お釣りまではどうかニャー。割とギリギリかもしれないニャ―…?」
わざとらしく口笛を吹きながら必死に残額をせしめる算段をするアーリ。
これまた挙動不審なことこの上ない。
「まあギリギリなんですか? それならそう言っていただければ…」
「ア゛ニ゛ャ゛…ッ!?」
ミエがそう呟いて小袋に手を差し込んだ後、取り出したものをみてアーリの声が完全に裏返った。
虹貝である。
それも三つも。
これだけあったら商売の元手どころではない。
このまましばらく豪遊して寝て暮らせるレベルの財産である。
「これで足りますでしょうか?」
「ニャ、ニャ、ニャ…ッ!」
わなわなとその身を震わせ、しばらく面を伏せたアーリが…ぶつぶつと何かを呟く。
「…アーリさん?」
「ふ、ふ、うふふふふふ…」
「はい?」
「ふ、ふ、ふざけるニャァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!」
「ふぇっ!?」
そして、突然キレた。
「その宝石は! めっちゃくちゃ! 価値がある! ニャ! お高いニャ! 発注品は確かに特注になるし急いで作らせたらさらにお高くニャるけど! ニャるけども! それでも! コイツ一つで! お釣りが来る程度には大金ニャ! それを二つも! 三つも! 商人に見せたらどうニャるニャ! 商人は利潤を求める生き物だニャ! 仕事をこなすより儲かる方法があるなら当然そっちを選ぶニャ! だからその宝石全部持って納品なんかせずとっとととんずらこくニャ! そんなことも! わからずに! 迂闊にそんニャものを商売人に見せるニャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」
荒い息を吐きながら、一息に。
言いたいことを全部まくしたて、深く息を吐く。
「…しまったニャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!?」
そして、数瞬してから我に返って頭を抱えた。
「う、うう…馬鹿ニャン…お馬鹿ニャン…ニャんで、ニャんでこんニャチャンス…フニャァァァァァァァァァァァァァァァァァ…」
机に突っ伏してしくしく泣き出すアーリ。
隣の椅子からその肩をぽむぽむと叩く子狼のコルキ。
だがアーリはそんな有様だったため、彼女の様子を見て微笑頷き合うミエとクラスクに気づくことができなかった。
「すいません色々と貴重なご意見を教えていただいて」
「ま、まあしょうがニャいニャ。最初に物の相場を教えろって言われてたからニャ。これが最初の授業ニャ」
(そうそう。アーリは商人としての信義を守っただけニャ。何も間違っていないニャ。間違って…ニャアアアア)
なぞと考えつつ激しく落ち込む。
なにせあれだけ喉から手が出るほど欲しかった商売の元手が向こうから降って湧いて来たというのに、それを自らふいにしたのである。
落ち込むなと言う方が無理な話だろう。
「まあまあそんなに落ち込まないでください。ささ
「すまニャいニャ…」
酒を口に含み少し気分が落ち着くアーリ。
そんな彼女の様子を確認してから…ミエはぽんと手を叩いた。
「そうだ、せっかく商人が村にいらしたんですし、うちの村の特産品を見てもらいましょう! 外と商売する前に商人に目利きしていただけるなら心強いですし!」
「特産品ニャ…?」
先程の黒板、フェルトペン、さらに蜂蜜酒。
これ以上他に何かあるのだろうか。
アーリの尻尾が興味に再び上向いてゆらゆら揺れる。
「えーっと例えばこれとか…」
「外のハ俺ガ運んデ来ル」
「あ、お願いします旦那様」
ミエが、そしてクラスクが机の上に、或いは床に並べる品々を見て…アーリは目を丸くした。
これを?
これも?
こんなのまで?
これがこの村の特産品!?
でもこんな材料を一体どこから?
この製法は一体どこをどうやって?
いや仮にそれらが解決できたとしてこの質の良さはなに?
興奮に息が荒くなり尻尾の揺れ幅が大きくなる。
だが同時に理解が追い付かず混乱する。
アーリの頭の中では並んでいる品のラインナップとその品質、さらにはこの村とそこに住んでいる種族とがどうしても組み合わない。合致しないのだ。
「アーリさんアーリさん」
「ニャ、なんニャ…?」
ミエに話しかけられてドキリとする。
商人としてこれらの商品の質は見抜ける。間違いなく一級品だ。
いやこれらの品はまともに製造できた時点で既に一級品である。
その上でさらに高品質であるなら、その商品はむしろ特級品と呼んだ方がいいかもしれない。
ただ…アーリにはこれらの商品の成り立ちがわからない。
商人として認め難いことだけれど、口が裂けても言いたくないことだけれど、どうしてこんな場所でこんなものができるのかを説明できない。
そこをミエに話しかけられたのだ。
自分にわからないものがあると、足りてないものがあると自覚した瞬間に話しかけられたのだ。
あまりのタイミングの良さに、まるで理解が追い付かぬ己の頭の中を覗かれたような気すらしてしまう。
「あのですね…先程お願いした道具を用立てていただけたら…この品々が安定供給できるようになる、って言ったらどうします?」
「ニ゛ャ…?!」
安定供給?
これを?
そんなこと王侯貴族ですら為し得ていないのに?
…もしも、仮に、そんなことができたのなら…
それは革命だ。
間違いなく、この地方全土を揺るがす革命になる。
気付いたとき…アーリは床に両手をついて頭を深く叩きつけていた。
「この代金はっ! いらないニャ! なくても絶対に頼まれた品を届けるニャ! 超特急で届けるニャ! だから…ニャから…! アーリにもこの商売を…ッ!」
やりたい。
手がけたい。
これらの品々の商売を、流通を、その末端でもいいから手伝いたい。
商売人としての彼女の本能が、矜持が、そう強く訴えかける。
「わかってるニャ! あんた達は純粋にお金が欲しいわけじゃないニャ! この村の様子を見ればわかるニャ! この村は貨幣経済がなくても回ってるニャ! だからこの品物でやりたい何かがあるはずニャ! アーリはそれも手伝う! 手伝わせてほしいニャ! だから…っ!!」
だから、参加させてほしい。
これを使ってやろうとしている何かに。
商人として、商売人として、絶対、絶対大切な仕事があるはずだから……!!
「…困っタナ」
「困りましたねえ」
だがクラスクとミエの表情は芳しくない。
どうにも困惑した体で互いに顔を見合わせている。
「やっぱり…駄目かニャ…?」
興奮と高揚が冷め、がっくりと肩を落とすアーリ。
それはそうだろう。
こんな金もない一介の行商人を信じて欲しいだなどと土台無茶な話だ。
それも獣人の商人である。
信用しろという方が無理な話ではないか。
そんな彼女の猫耳に、机の向こうからミエの言葉が届いた。
「私達商人の知り合いってアーリさんしかいないんですよ。むしろ断られたら困ると言いますか…」
「…ニャ?」
目を二、三度
だが嘘偽りを言っている様子はない。
「ということは…ニャ?」
「はい。最初の内はアーリさんのところで専売でお願いします!」
「専…ッ!?」
驚愕するアーリの前で、さらにミエが言葉を続ける。
「あとこの貝殻の宝石、1つで足りると仰ってましたけど…もう1つお渡ししておきますね?」
「ニ゛ャ゛!?」
「これから色々うちの村の商品で商売していただくんですから元手が必要ですよね?」
「イイノカ。渡シ過ぎタら戻って来なイト言ってなかっタカ?」
クラスクの疑問に、だがミエは笑顔で答える。
「ですがこのようなこともも仰っていました。持ち逃げした方が明らかに利益がある場合はそうする、と」
「…言っテタ気がすルナ」
「はい! 私としては…このくらいの額でしたらうちの村を裏切るより協力して戴いた方がアーリさんにとって有益かと思いましたので。アーリさんは…アーリさん?」
石にかじりついてでも聞きたかった言葉を己の予想を遥かに超えた好待遇で叩きつけられて、さらにずっと欲しかった軍資金を倍以上の額出資されて…
アーリンツ・スフォラボルは、目を開けたまま気絶していた。
「きゃん!」
隣席に座って尻尾を振っていた子狼のコルキが…ぽむとその太腿に手を置いて一声鳴いた。
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