第67話 おねだり、森の道行き

「ハァ~…」


机の上に両腕を伸ばしたまま突っ伏してミエが大きく嘆息する。


「ドうシタ、ミエ」

「旦那様~…井戸端会議で毎日お話を聞いたんですけど…皆さん色々事情があるんですねえ…」

「…そうダナ。ミンナ色々事情がアル」


クラスクは瓶で作っていた自家製の酒…果実酒を陶器製のコップに注ぎ、一口飲んで顔を顰めた。

どうやら失敗作らしい。


「リーパグの奴ハいつも調子のイイコトしか言わないガ、女ノ扱イダケハ大キナ口叩かなカッタ。今回ようやくわかっタ。アイツ女ノ尻ニ敷かれテル」

「やっぱりそうですよねえ…」


風呂場での様子などを思い出し、ミエも賛同する。


「あの家の女…シャミル? あんなニ小さいノニ凄イ女ダ」

「ちゃんとお相手がいるんですからっちゃダメですよー? オークなんですから二人目三人目がダメとは言いませんが…」

「奪らない奪らない。俺ハミエガイイ」

「ま、お上手なんですから…」


唇を尖らせつつ、だが満更でもない表情のミエ。


「あ、そうだ、旦那様。今晩は…その、なさるんですか?」

「ナサルナサル、すゴくナサル」


大真面目な顔で頷くクラスクにぽ、と頬を赤らめるミエ。


「わかりました。その、私もシャミルさんに色々教わったので…えっと、色々頑張りますね!」

「わかっタ。俺も頑張ル」


最近婦人会でよく発動しているミエの≪応援≫が己にかかり、ふんすと腕まくりするミエ。

…まあ頑張り過ぎたせいでいつもより興奮した夫に凄い目に遭わされることになるのだが。




×        ×         ×




「…ねえ旦那様?」


ベッドの中でミエがすぐ隣にいる夫に話しかける。

完全な暗闇で、ミエには彼の姿は見えないけれど、肌のぬくもりだけは伝わる…そんな距離感。


「なンダ」


今夜の営みが無事終了し、クラスクは肩の力を抜いている。

ミエの≪応援(ユニーク)≫は、今晩珍しく彼の筋力と耐久を向上させていた。


「あの…お願いがあるんですけど…」


クラスクの胸に指先を当てのの字を描きながらミエが頼みごとをしてくる。


「ウホウ!? イ、言っテみロ」

「あの…村の外に出たくて…」

「一人デカ」

「いえ、その、婦人会のみんなと…」

「山菜採り…ジャナイナ、その顔ハ」


ミエにはさっぱり夫の顔が見えないが、暗視持ちのクラスクには彼女の顔がよく見える。

彼女の≪応援≫スキルによって知力も判断力も上がっているクラスクには、だから妻が何やら普段と違うことをしたがっている空気を感じた。


「村の誰カと一緒なら森に入っテもイイト言ってル。なのにわざわざ俺に頼んデくルトイう事ハ…それに俺もつイテ来イと言う事カ?」

「ハイ! さすが旦那様、ご明察です」


全て看破されてしまったミエは、けれどそれゆえにこそ嬉しそうに破顔する。


「あの、お願い…できますか…?」

「オオゥ…」


そしてクラスクの胸元にその身を埋め、見えぬながらも真下から上目遣いでしてきた。

ミエの厚い吐息が胸から首筋にかかる。


「ワ、ワカッタ! ワカッタカラ!」


思わずしどろもどろになって許諾してしまうクラスク。

普段貞淑で夫の言うことに従順な彼女であったが…

それでも、亭主を御する術は徐々に学んできているようだ。




×        ×         ×




「こっち…このまままっすぐ」

「ええいサフィナ足が早いわ! そうスタスタ歩くでない!」


まるで草原でも歩くかのように軽やかな足取りでサフィナが森の中、木々の合間や藪の隙間を抜けてとてとてと歩を進め、思わずシャミルが不満を叫ぶ。

その背丈ゆえの歩幅の小ささから普段は他のミエやゲルダの後を追うことが多いサフィナであったが、流石に森では立場が逆転するようだ。


「うおっとっと狭い狭い!」

「ゲルダさん大丈夫です?」

「別に痛かねえけど枝やらなんやらに引っかかって服がほつれるのがちょっと困るっつーか」

「自分で繕った服ですもんねえ…ラオさんも気に入ってるって言ってましたし」

「別にアイツのためとかじゃねーよ!?」

「はいはい。ごちそうさまです」

「だから違うかんな!?」


ミエの言葉に過剰に反応するゲルダ。

いつものことと流すミエ。

なおもムキにあるゲルダ。

最近よく見る光景である。


「この下…」

「アア、この辺りダナ」


サフィナが尾根筋から下の街道を指差し、クラスクが頷いた。


「うーん…ああ確かに脇道みたいなのがありますね旦那様。藪で隠れてますけど…」

「どれどれ。どこだよミエー」

「ハァ、ハァ…ま、待たんかお主らー…っ!!」


サフィナの指差したあたりを物色するミエとゲルダ。

その後から息も絶え絶えに追いつくシャミル。

ただでさえサフィナより背が低く他より足の遅い彼女にとって、今回の移動はだいぶ堪えたようだ。


「だからアタシが運んでやろうかって言ったのに」

「ゼエ、ゼエ…それで先刻お主に肩車されて危うく木の枝に目の玉をくりぬかれるところだったではないか!」

「そうだっけ?」

「この…! この!(どげし」


シャミルが腹立たし気にゲルダの足を蹴るが、逆に自分の足を痛めたようで痛そうにぴょんこと跳ねた。


「シャミルさんシャミルさん。そんなことよりほら」

「そんなこととはなんじゃあ!」


ゲルダを蹴った足を押さえながら怒鳴り返したシャミルは、けれど素直にミエが指差す方を崖の上から見下ろす。


「ふむ、元沢筋の支流じゃな。何か残っておるとよいが…」


ミエ達がやってきたのは以前サフィナが話していた、彼女が乗っていた馬車のあった場所である。


「サフィナちゃん瓶とか薬品とかって言ってましたもんね。多分化学…もとい錬金術関係の何かかと」

「ウム。世界樹の加護を受けておる娘と分かって買ったのならおそらく目的はとしてじゃろうし…」

「「なにそれこわい」」


ミエとゲルダが真顔でツッコむ。


「要は買主は実験好きの魔導師か錬金術師あたりじゃろ。ならば役に立つ薬など残っておるやもしれん」

「サフィナ、じっけん…されちゃうの…?」


真っ青になったサフィナがわたわたとミエの腰にしがみつき身震いする。


「大丈夫大丈夫。ぜーんぶワッフさんがやっつけてくれたんでしょ?」

「う、うん…」


ミエに頭を撫でられて少し落ち着いたサフィナがとてとてと崖を降りようとする。


「転げ落ちないか、ガキドッキィ

「む~、ガキじゃないもんヴェル ドッキィサフィナだもんオウ サフィナ

「オウ、悪イ悪イ」


唇を尖らせてオーク語で返すサフィナにクラスクが謝る。

サフィナはクラスクが己に勝手に付けていたあだ名の意味を知ってずいぶんとおかんむりであった。


「ではワシは今度こそゲルダの肩を借りるかの」

「おいおい今度はアタシ使うのかよ」

「ここには上に邪魔な遮蔽物がないでのう」

「調子いいなあ…」


ぶつぶつ文句を言いながらシャミルを肩に乗せ崖を滑り降りるゲルダ。

一人でひらりひらりと岩を蹴り崖を降りるサフィナ。


「えーっとそれじゃあ私は…」

「ミエ!」

「あ…はい! ん~…えいっ!」


一息に崖を飛び降りどすんと着地したクラスクが、ミエの下に来て斧を横に置き両手を広げる。

ミエはぱあと顔を輝かせ、勢いをつけて崖の上からクラスクに向かってとぉーっ! とダイブした。


「おっトっト…(ばすん!)…怖くなかっタカ?」

「はい! 旦那様が受け止めてくれましたから! あの~…その、お重くありませんでしたか……?」

「軽イ軽イ。ミエ手斧より軽イ!」

「きゃんっ!? …ひ、比較対象が斧ですかぁ~~~~?」


抱き止めたミエを頭上に掲げてぶんぶんと振り回すクラスク。

目を回しながら弄ばれるがままのミエ。


「やれやれ、ごちそうさまじゃな」


それを横目に藪の中に分け入るシャミル、ゲルダ、サフィナ。


「おー、残ってるじゃねーか」





彼女たちの前に…蔦の張った馬車が横たわっていた。

サフィナが鉄格子に入れられて運ばれたという、あの馬車である。





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