第56話 言葉の壁を乗り越えて

「…ナンダアレ」


後から藪を分け入ってきたリーパグが呟く。

サフィナが手にしている赤い輪環状の物体を指したものだ。


ミエはそれを昔見た覚えがある。

それどころか作った覚えすらある。

病院の庭で、かつて自分の手作りを両親に贈ったこともあった。



それは…王冠。

火輪草を編んで作られた、目にも鮮やかな紅蓮の花冠であった。



「妖精さんたちにお願いして摘ませてもらったの。よかった…たせてくれたみたい」


サフィナはそう呟き、ゆっくりと花畑を通り抜けワッフの前へと進む。

彼女が歩いた後の花の海にはなぜか足跡がなく、風に揺蕩う以外に一切乱れた様子がない。


ミエたち女性陣はそっと横に離れ、オーク達も…一向に察せず動かないリーパグの耳をクラスクが引っ張りながら…逆方向へと離れた。




オーク族のワッフと、エルフ族の少女サフィナ。

二人は…花の海のほとりで向かい合う。




サフィナは己を飼っている目の前のオークを上目遣いに見つめると、胸に手を当て小さく息を吸い込んで…



彼の眼を見つめ、静かに語り掛けた。



貴方のために作ったのオウフィ ルゴク デック イェア

「「「!?」」」


ワッフが目を丸くし、オーク達が驚愕する。

それは…オーク語だった。

鈴の鳴るような美しい声音で紡がれた…けれど間違いなく彼らの言葉だった。



もらってくれるブキウキ グニ ルゴク?」

「オ、オ、オオオ…!!」



呻くような呟きを漏らしつつ、震える手で花冠を受け取ったワッフは…




…それを、そのまま腕に嵌める。




ちがうユーセック…」


思わず呟いてからはっと口を押さえるサフィナ。

彼には通じない。

けれど先程喋った以上のオーク語を未だ彼女は知らない。わからない。


オーク語を学ぼうと村でミエに言われたときすぐに彼女に聞うたのだ。

是非教えて欲しい言葉があると。あの人に伝えたい言葉があると。

あの花冠が枯れる前に伝えたい、と。


まさかそれを聞いたミエがその足であのオークの元へと向かい、その日の内にここに連れてきてもらえるとは思ってもみなかったけれど。


だから伝えたかったその言葉…それだけはしっかり覚えてきたけれど、サフィナはそれ以上の言葉は知らない。知らない。



くやしい。



(くやしいってなんて言うんだろう)



しりたい。



(しらないと、なんにも言えない)



あのひとの言葉を。

もっと。もっと。



(彼の言葉を覚えたら…もっといっぱい聞けるかな?)



わからないことが。

伝えられないことがとってもとってももどかしくって。

サフィナは目尻に涙を湛えそのオークを見上げた。



けれど…彼女がちゃんと言葉を紡げていないというのに、ワッフは何故かその花輪を腕からそっと外す。



「……?」



サフィナが不思議そうに首を傾げるその背後……ワッフの視線の先で、ミエが声を出さず、かわりに大袈裟なモーションで彼にダメ出しをしていた。


(ちーがーいーまーすー! それは冠! 冠ですから! こう! こうやって頭に! 頭に乗せるんですー!!)


両腕で大きくバッテンを描き、手にしたものを頭に乗せるジェスチャー。

それはあまりに大袈裟かつコミカルなもので、ミエの左右にいるゲルダとシャミルが口元を押さえ笑いを堪えている。


だがいまいちワッフには伝わり切れていない。

腕に嵌めるものではないとは理解できたようだがその後どうするのかがわからず、花輪を両手で掴んでしきりに首を捻っていた。


(いい加減教えてやれよ)

(ここで声出したらせっかくの雰囲気が台無しじゃないですかー!)


小声で言い交わすゲルダとミエ。

だがそのあたりの細かやな女心の機微を察するほどには、クラスクの精神性はまだ成長していなかったようだ。


「ワッフ。そりゃあ花で作っタ王冠…あー他ノ種族ノお偉イさんガ被ル兜みタイなモンダ。頭に乗せロ」

「オオ、兜…!」


ようやく得心したワッフが頭の上に花冠をちょこんと乗せる。

無骨なオークには似合わないことこの上ないが、本人はいたくご満悦のようである。


そしてそれを見て…サフィナがにこ、と嬉しそうに微笑む。


「オ、オ、オオオオオオオオ…ッ!」


サフィナの愛らしさと手ずからの贈り物に天にも昇らんばかりだったワッフだったが、けれど先程クラスクに言われたことと教わった言葉を思い出し、必死に心を落ち着ける。

そして胸に手を当て、幾度も深呼吸した後…彼は、真っ赤になってこう叫んだ。


あ、あ、貴女のお名前なんてーのイ、イ、イフェスト ウィアル メノ!」

「「「っ?!」」」



これにはミエをはじめとする女性陣が一斉に驚いた。



「ワッフさん、それって、それって…!」

「オイオイオイ…! マジか…!」

商用共通語ギンニムではないか…!!」



そう、彼が口にしたのは共通語ギンニムだった。

発音もお粗末。言葉もたどたどしい。クラスクに聞いたばかりで単語の意味すらろくにわかっていない。



それでも…間違いなくクラスクではないオークの口から、彼らの種のものではない言葉が漏れたのだ。



少しびっくりした様子のサフィナだったが…すぐに彼の真意を察して顔を輝かせ、目を細めながら己を指差しその名を告げる。


「サフィナ!」

「サフィナ…オオ、サフィナ…!!」

「ワッフー?」


感動に打ち震えるワッフを指差し、今度はサフィナが問いかける。

ワッフは何度も何度も頷いて己を強く指差した。


「ワッフ! 俺ワッフ!」

「ワッフー!」

「サフィナ!」

「サフィナ! ワッフー!(こくこく)」



互いに名乗りあい笑い合う。

あどけない。けれど純粋な交流。






あの日と同じく、互いが口にしたのはそれぞれ別の言語ことばで…

けれどその日、二人は確かに互いの想いを通じ合わせたのだ。






「オオー、アイツ俺達ノ言葉使イヤガッタゾ」

「ソウダナ」

「アネゴ以外ニ喋ル奴ガイルトハナー」


リーパグが感心したように口笛を吹き、ラオクィクが腕を組んで頷く。


「ナアナア、モシラオガぎんにむ…? ッテヤツ覚エタラドウスル?」

「俺カ? ソウダナ…アイツニアマリ暴レルナ言イタイ」


ラオクィクは体の各部についた最近の生傷をさすりながらぽつりと呟く。

ゲルダはの最中よく引っ掻くのである。

傷が増えること自体は彼にとってむしろ誇りではあるのだが、できれば自分で刻むか戦場で増やしたいラオクィクであった。


「ナンダヨツマンネーナー俺ナラ言葉ワカッタラウチノ女ニ色々サセタイナー。アレ着ロートカアレシロートカサー」

「…オ前ニデキルノカ」

「デ、デキルモンッ!」


ムキになって反論するリーパグは、だが何故か妙に慌てた様子だった。




「ふーん…なあミエ」

「はい?」


そしてオーク達同様ワッフとサフィナの様子を眺めていたゲルダが呟くようにミエに語りかける。


「悪ィな。さっきアンタの言ってたこと、実は話半分に聞いてたんだ。鎖に繋がれねえならなんでもいいかなって」

「まあ…そうですよね。知ってました」

「でもアイツら見てアタシもちょっとやる気になったよ。確かに相手の言葉知っとくってのは悪ィことじゃないかもな。それに…アイツがアタシに言ってる悪口の中身もわかるしな! ハハ!」


ニッ、と犬歯を見せながら笑い、ウィンクするゲルダ。


「はい…ハイ! 一緒に頑張りましょうね!」


ぱあああ、と顔を輝かせ、ゲルダの太く重い手を取りぶんぶんと何度も振るミエ。




ただそんな中にあって…何やら疑念と懸念を持つ者が二人いた。




「で…サフィナの奴はなんであのオークにあんなに懐いとるんじゃ…?」

「確かあのガキドッキィ…じゃあねえサフィナダっタカ。アイツ普通に荷馬車襲って攫ってきた娘ダッタヨナ…?」






互いに花畑の対岸にいるシャミルとクラスクは……似たような疑念を抱きつつ、不思議そうに幾度も首を捻っていた。





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