第57話 閑話休題~オーク語罵倒講座~

「そんなわけでよー、あの野郎アタシを抱くときにいつも罵倒ばっかり言いやがってさー」


オーク語を習い始めてすぐ、ちょっとした休憩時間にゲルダが愚痴を漏らす。


「ほんと酷い勢いで罵詈雑言浴びせてきやがって。だからアタシも言い返してやんのさ。ま、お互い意味は分かってないんだけどな! ハハハ!」

「聞くたびにこう…新鮮ですね…」


ミエにとっての夜の営みはもう少し雰囲気のあるもので、ゲルダの家のような互いに罵り合うような激しいやり取りは経験がない。

まあ激しさで言えばミエのところも負けじとだけれど。


「おー…ゲルダ、ラオと仲悪い?」

「仲悪いっつーか…こうつい口が先に出ちまうというか…いや手も出すんだけど」

「手も出すんですか」

「だからお互い生傷だらけだ! まあどっちも元から傷だらけだけどな! あっはっは!」


ミエとサフィナが並んで思い返してみれば、確かにラオクィクとゲルダにはその体に無数の傷痕がある。


「おー…? でも他のオークもみんな傷だらけ…?」

「言われてみればそうですねー」

「おー…オークたたかうの、下手…?」

「言い方!」

「あっはっは! 言うなあサフィナ! もっと言ってやれ言ってやれ!」


サフィナに思わずツッコむミエ。

馬鹿受けするゲルダ。

それを小指で耳をほじりながら聞いていたシャミルがつまらなそうな顔で補足する。


「違う違う。元々オーク族は傷痕を誇りや名誉と捉える風習があるんじゃよ。じゃから中には自分で自分の体に傷を刻む者もおる。ラオクィクとやらもその類じゃろ」

「あー、言われちゃナイフ炙って自分の体に傷入れてるとこ見たことあるなー」

「いたい。ラオそれいたい」

「ははあ…刺青いれずみみたいなものですかね」

「ミエは本当によくわからん知識を持っとるのう…」


想像して涙を浮かべ泣きそうになっているサフィナと自分の故郷の風習に当てはめて考えるミエ。

そんな様子を興味深く眺めていたシャミルは…やがて何を思いついたのか意地悪くニヤリと笑った。


「で…本当にそれは罵倒なのかの? ん?」

「なんだよ疑うってか。前も言っただろ?」


ちょっとムッとした表情でゲルダがシャミルを睨む。

険悪な雰囲気にあわあわするミエとサフィナ。


「いやいや疑っとらんよ。罵倒ももちろんあるんじゃろ。じゃが本当になのかのう…とちと疑問に思うてな」

「んー…じゃあオーク語でディーコッグ! ってのはどんな意味だ、ミエセンセー?」

「えーっと…『この阿呆!』くらいのニュアンスですかね…」

「ほらみろー!」


ミエの言葉に我が意を得たりを胸を張るゲルダ。

だがシャミルのニヤニヤは止まらない。


「他には? もっと聞きたいのう」

「いっぱいあるぜーアイツの罵倒語録。他はアタシに向かってヴェル・ノーキブス! とかウヴォーク・ベミック! とか…あとなんだ。ヴェスカム! とか吐き捨てるみたいによく言ってんな」


ゲルダの言葉にミエが汗を流し乾いた声で笑う。


「あっははははは…ええっとそれはその…『暴れんな!』とか『この馬鹿力!』とか『引っ掻くな!』的な意味かと…最後のは人のっていうより猫に引っ掻かれるニュアンスですね。まあ確かに全部罵倒ではありますけど…」

「あー…」


そのセリフを浴びた状況を思い出し、ばつが悪そうに視線を逸らし顎を指で掻くゲルダ。

どうやら思い当たる節があるらしい。


「ま、まだあるからな! 他にも人の顎引っ掴んでドシ・オクぐる…ぶふ? みたいなこと吐き捨てるように言いやがってよー! ありゃあ絶対悪口だろ!」

「んー、それだと意味が通じないなあ。えーっと…あ! もしかしてドゥシ・オクヴルブフ…みたいな発音じゃありませんでした?」

「あーそうそう! そんな感じそんな感じ!」

「じゃあたぶん『お前顔は悪くない』って意味かと。誉め言葉じゃないです?」

「んなっ!?」


ミエの翻訳に少し頬に朱を入れ慌てるゲルダ。

案の定ニヤニヤ笑っているシャミル。


「おー…ゲルダ、美人」


こくこく、と肯くサフィナに見つめられ、なんとも面映ゆい心もちとなるゲルダ。


「じゃ、じゃあ! フクウェクライキ! ってのはどうだ! あれはこう…暴力的な…っていうか乱暴なっていうかこう…アレだよ、アレ。こうオーク的な乱暴っつーかいたぶるっつーかこう……最中? に言うやつだし酷い罵声じゃね?」

「あー! はいはいはいはい…ははあ…なるほど。フクウェケーキ! 確かに…」


やや語調が弱まったゲルダの問いかけ。

それに対し何やら妙に納得した風のミエはゲルダの体を上から下まで丹念に眺め、一人納得して何度も頷く。


「なーんだーよー早く言えよ! アイツなんつってたんだよ!」

「ええっとー、そのー…多分ですけど『肢体カラダは最高!』的な、意味、かと…」

「んがーっ!?」


ぽっと頬を染め照れながら答えるミエ。

横に向いて吹き出すシャミル。

瞳を輝かせるサフィナ。


「おー…(そんけいのまなざし)…ゲルダのカラダさいこう? さいこう?」

「ち、ちが…っ! あの野郎そんな…! じゃああれだ! すげえひでえツラで言ってたあれはどうだ! スゴクボック・ミック! とかって台詞! なんか語調からして絶対ひどい罵倒だろこれ!?」

「きゃ…っ!?」



なおも食い下がるゲルダの一言に…ミエが思わず小さな悲鳴を上げる。



「ほーらみろ! ちょっと引くくらいのひっでえヤツだろ?」

「え、ええっと、その…」


困ったように目を逸らすミエ。

それを見て図に乗るゲルダ。


「なあなあ、ここで言うのもはばかられるようなすげえ奴だよな?」

「ま、まあ…確かにここで言うのははばかられますし、すごいやつでもありますけども…」


指をつんつんとつつき合わせながら頬を染め、所在なげに視線を泳がせるミエ。


「ほーら見たことか! アタシの罵倒レパートリーを舐めんなっつの!」


シャミルに向かってへへーんと胸を張るゲルダ。

だがシャミルの口元は一向に愉快げに歪んだままだ。


「で、実際のとこどんな意味なんじゃ?」

「そうそう、せっかくだし教えてくれよ。あまりにひでえ奴だったらぶん殴りに行ってくるから」

「えー…でもでも、その、こ、これ、ここで言っちゃっていいやつなんです…?」


珍しく歯切れの悪いミエの背をゲルダがばんばんと叩く。

あまりの怪力と勢いにミエは一瞬呼吸困難に陥りそうになった。


「遠慮すんなって。アタシらはオーク語を学びにここに来てんだろ?」

「そうじゃそうじゃ。言うてやれ言うてやれ」

「じぃー…(期待に満ちた目)」

「ええー…?」


三人の好奇の視線に遂に根負けしたミエは、頬の赤みをいや増しながら、ラオクィクがねやでゲルダに投げかけたその言葉の意味を告げた。



「ええっと…その、『いい声で鳴きやがる』的な、ニュアンスかなー、と…」

「んがーっ!?」



罵倒だと思い込んでいたその台詞を投げかけられたシチュエーションを思い返し、ゲルダの顔がぼんっ、と一気に朱に染まる。

言いながら恥ずかしくなって火照った頬に手を当てるミエ。

耐え切れずくつくつと腹を抱え笑いを堪えるシャミル。


「あ、あんにゃろォ…アタシが意味わかんねえって思ってそんなこと言ってやがったのか……かぁー! てっきりひでえ悪口かと思ってたじゃねえか…っ!!」


わなわなとその身を震わせ羞恥に耐えるゲルダの前に…



「おー…ゲルダいい声? お歌うたう?」



その言葉の意味をまったく理解していないサフィナが無邪気に問いかけた。




「んがああああああああああああああああああっ!」




遂に耐え切れなくなったゲルダは机をどんつくと叩き勢い良く立ち上がる。

びっくりしたサフィナが慌てて涙目でミエの背中へと避難し、ミエの腕越しに顔だけ出して抗議の威嚇をした。


「あの野郎…! ちょっと行ってぶん殴ってくる!!」

「どうしてそうなるんですかっ!!」


ゲルダが叫び、ミエが突っ込む。

サフィナはミエの服をくいくいとひっぱりながらぎゅーとしがみついていた。


そんな様子を眺めながら…部屋の隅で耳穴を弄っていたシャミルが、小指の先についた耳垢を吐息で飛ばしつつ呟いた。




「やれやれ…皆若いのう」




相手が聞いていないと思って好き勝手言うものではないという教訓(?)である。

バレたとき大変だからね。





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