第44話 閑話休題~アニキとアネゴ~
あの決闘の日からミエの生活が色々と変わった。
まず村の中を大手を振って歩けるようになった。
いや元から別段禁止されていたわけではなかったのだけれど、常に変な目で見られていたためやや遠慮がちにしていたのだ。
だが今や村のオーク達も当たり前のように挨拶してくれるようになったし、話しかけられるたりすることも増えた。
さらには村の外に野草などを取りに行く時なども特に見咎められることがなくなった。
生活環境は大幅に改善したと言っていいだろう。
ただその代わり…新たな問題が発生することになった。
「ア、ミエノアニキダー!」
「オ、ミエ・アニキジャネェカ。ドコ行クンスカ? 散歩ッスカ」
「ミエのアニキ、クラスクガ探シテタゾ」
村の中央で縄を編んでいたオーク達がミエに話しかける。
「もう! ワッフさんリーパグさんラオクィクさん! だから私は
そう。ミエは注目の若手オークであるクラスクの『ヨメ』なる存在として村の尊敬を勝ち得…
一部のオーク達から兄貴分として遇されるようになっていたのである。
「エー、デモアニキハアニキッスヨー。ナーワッフ」
「ダベナー、リーパグ」
二人してなー? と首を傾けるオーク達。
ちなみにこの三人は先刻の決闘の折ミエをガードしていた三人…つまりクラスク派のオークであり、彼を最も支持してくれているオーク達でもある。
以前は夫であるクラスク以外のオークはいまいち見分けがつかなかったミエではあったが、最近は慣れてきたのかだいぶ区別がつくようになっていた。
やや小太りで大食い、特に甘いものに目がなくてオークにしては性格の温和なワッフ。使うのはややリーチの短い両刃斧。
お調子者でいつも強気に出るが、実際は虎の威を借る狐であって本性は臆病者のリーパグ。
彼は斧よりもむしろ弓を得意とし、なかなかの腕前だという。
この二人がクラスクより年下で弟分。
そしてクラスクと同い年で2mほどの長身かつ痩身、落ち着いた物腰のラオクィク。
彼は斧の他に槍も得意であり、同期のクラスクを己より上だと認め自ら彼の下についているという。
「だから私は女であって
「ジャアドウ言ッタライインダ?」
「ええっと…ですからス……シ……あれ?」
「スシッテナンダ?」
「ヨクワカランガ食イ物ナ気ガスル」
「喰イモノ?! ドコダベ?!」
ラオクィクに尋ねられたミエは、彼らのオーク漫才をよそに自らのオーク語の知識をおさらいしてみるが…
ない。
兄貴分の女性形が、どうにもオーク語には存在しないらしいのである。
オーク語には男女によって使用に制限のある単語や表現がある。
他言語で言えば男性形や女性形に当たるだろうか。
けれど女性の地位が低いオーク族に於いて女性への尊称が用いられることはなく、したがって『兄貴分』に相当する女性形もまた存在しなかったのである。
「ええ…? ちょっと待って
腕を組んで首をくく、と傾げつつミエがぶつぶつと呟く。
なんとなくその呟きに耳を傾けるオークども。
「う~ん…兄貴分の女性形って言ったら『姉御』とか『姐御』とかになるのかなあ。でもそれに該当するこっちの言葉…
首の角度がさらに深くなり、ぴったりの言葉を探すミエ。
だが彼女の言葉に耳を傾けていた一同は…
「『アネゴ』? 今『アネゴ』ッテ言ッタカ?」
「言ッタナ」
「アネゴ…悪クナイ…」
うんうん、と肯く三人。
「ええっとですから私の事はですね…」
「ワカッタヨアネゴ!」
「ふえ?」
彼女が悩んでいる間に…オーク達は彼女に相応しい呼称を手に入れたようだ。
「ミエ・アネゴ!」
「ミエのアネゴ!」
「ミエ・アネゴ!」
「ミエのアネゴ!」
「ミエ・アネゴ! ミエ・アネゴ!」
腕を振り上げながらリズムよく叫ぶ三人。
「オ、ナンダナンダ?」
「アノ女ノ呼ビ方ダッテヨ。兄貴分ノアノ女版ラシイ」
「ヘェーアネゴカー」
顔を見合わせた他のオーク達がミエに視線を向けて、先日のあの猛々しい応援っぷりを思い返し、もう一度口の中で反芻する。
「「アネゴ、ワルクナイ」」
「ちょっとちょっと待って待ってくださいー! ふええええええ?!」
「ミエ・アネゴ! ミエ・アネゴ! ミエ・アネゴ! ミエ・アネゴ! ミエ・アネゴ! ミエ・アネゴ! ミエ・アネゴ! ミエ・アネゴ! ミエ・アネゴ!」
「どうしてこうなるんですかー!」
こうして…兄貴分の嫁、のような敬意を示すべき女性に対する呼称として『アネゴ』という言葉が村に定着した。
以前オーク達に告げた
だが誰が知ろう。
この『アネゴ』という言葉が他の部族にも伝わり、やがて北の大陸中のオークの共通言語として定着することになろうとは。
そしてあまつさえ『ミエのアネゴ』、あるいは『ミエ・アネゴ』という言い回しがオーク族の慣用表現…いわゆることわざとして後代に伝わることになろうとは…
この時は、まだ誰一人知る由もなかったのである。
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