第68話 ひとりの時間のクラブハウスサンド

 朝と言うには遅いけど、お昼にはちょっと早いかな? と言う時間。

 今日が休日なのに安心して、春眠暁を覚えずをしていたベッドから這い出し、身支度をすませる。


 お天気はというと、薄曇り。

 でも春らしく花の香りがどこからが漂ってきていて、芽吹き始めたばかりの緑たちが鮮やかで、フレッシュな気持ちをもたらしてくれる。

 お散歩の日和としては悪くない。曇りには曇りの、晴れには晴れの、雨には雨の良さがあると思う。


 今日みたいな曇りの日のお昼前は、なんとなく静かに過ごしたいような気持ちになった。

 静かに……と考えて、いつもの面々が浮かんだ。

 カフェでは、気分じゃないのにすごく話しかけてくるスタッフさんがたまにいたり、出会ったりする。

 けれど手嶌さんや星原さんは空気を読むのがうまい。木森さんは……もともと無口だ。

 この時間まだモーニングをやっているカフェも何軒か思いつくけど、やっぱりまれぼし菓子店に足が向くのだった。



「クラブハウスサンド」

「〝贅沢なひととき〟クラブハウスサンドですね。かしこまりました」

「あと、コーヒーをお願いします」

「かしこまりました。少々お待ちくださいますか」


 銘打たれた言葉の意味合いを考えながら、今日は静かに過ごす、ことをする。

 落ち着いた音楽と、小鳥のさえずり。うん、やっぱり今日はそんな気分だ。

 先に手嶌さんが運んでくれたコーヒーを飲んで深呼吸する。

 そうするとこのところ忙しなかった気分が、やっとすごく落ち着いた気がする。


 やがてクラブハウスサンドが運ばれてくる。

 予想通りというか予想以上に、なかなかのボリュームだ。

 手嶌さんは今日はあまり話をせずに、微笑んで給仕してくれている。


「ピックで止めてありますので、外してから召し上がってください。では、どうぞごゆっくり」

「ありがとうございます! じゃあ……いただきますっ!」


 トーストした三枚のパンに、具材がはさまれている。

 たまご。チキン。レタス。トマト。きゅうり。それにベーコンまで。

 豪華すぎるラインナップだ。ブランチにぴったりかも、と自分の選択を褒め称える。


 そしてギュッと両手でパンをつかむと、あーんと口を開けてかぶりつく。

 ちょっと恥ずかしいかもしれないほど、まあるく口を開けたかもしれない。

 でも、今はひとりの時間だから。たまにはこんな思い切った感じでいいのだ。


 カリカリに焼き上げられたトーストの歯ざわりが嬉しい。レタスときゅうりの食感は、トーストとはまた違った存在感を醸し出している。

 しっとりしたチキン。口の中でほぐれていく。

 ベーコンはこれまたカリッと焼かれていて、染み出す油のコクと旨味。

 ジューシーなトマト。トマトって、食材としてしっかり存在しながらも、調味料的な役割も果たしてくれるからすごいと思う。

 パンにはバターと、マスタードと、マヨネーズ。鶏肉との間にはケチャップが塗られていて、これまた仕事をしている。刺激的で飽きさせない味だ。

 具だくさん盛りだくさんのサンドイッチを、一気に食べる喜び!


 時々ナプキンで口をぬぐいつつ、黙々と食べ進める。

 平らげる頃には、おなかも気持ちも満たされていた。


 コーヒーを飲みながら、一息ついて、店内を見渡す。他のお客さんたちが思い思いにくつろいでいるのが見える。わたしも、そのうちのひとりだ。


 ふと手嶌さんと目が合う。

 彼は何も言わなかったけれど、少し微笑んでくれた。わたしもまた、同じようにする。


 学生の頃は、ひとりの時間を過ごすのはそんなに得意ではなかった。

 大体グループがあって、皆で一緒に行動していたのだ。ごはんの時や、出かける時なんかもそうだった。ひとりということがひとりぼっちということと同じような気がして、なんだか居心地が悪かったのだ。

 でも今ではひとりの時間を愛おしく思っているわたしがいる。

 こうして他に色んな人がいる中でも、〝ひとり〟を楽しむことが出来るようになったのだ。

 かけがえのない時間、だと思う。


 何も言わずにコーヒーの残りを飲む。

 言葉にしないと伝わらないこともあるけど、言葉にしなくても伝わることもある。

 手嶌さんと笑顔を交わして、またコーヒーを飲んで。

 そういう日があっても良い。


 ある春の休日、お昼前。曇りの日。

 贅沢なひとときを過ごしながら、わたしはうーんと背伸びした。

 来週もきっと、頑張れるだろう。

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