第32話 ホットアップルパイの夕べ
秋の夜長とはよく言うもので、近頃はすっかり日が暮れるのが早くなってきた。
今年は残暑が引くのも早くて、段々季節が
こうなるとわたしなんかにも秋が目に見えてくる。そうすると季節の移り変わりに少し感傷的になりもするのだ。我ながら単純なものだと思う。
少し涼しくなったら、現金なことに温かいものが食べたくなる。
でもまだちょっと暑いから、冷たいものも恋しい気持ちがある。
そんなどっちつかずのわたしの前には、今ちょうど良いメニューがある。
「〝冷温協奏〟ホットアップルパイのバニラアイスクリーム添えです」
いつも通りキビキビと、いつも以上にキビキビと星原さんが供してくれたのは、ひと皿に温かいアップルパイと冷たいバニラアイスの乗った、いかにもおいしそうで、そして
「ありがとうございます!」
こういう儚いものを前にすると、わたしは焦るのだ。早く食べないと溶けてしまうし、冷めてしまう。デザートを食べる時はかなりの確率でそうだから、こうして一人でお茶に来ているというのはわたしにとってベストな状態なのかもしれない。
つい食べる手が早まって、無言になってしまうのだから。
今日のわたしは夕方にまれぼし菓子店にやってきた。日はもう暮れかけで、お店には星原さんが立っていた。
星原さんはちょっと悪戯な表情で、
「聞きましたよ、こないだ木森の彼女と間違われたって」
「あっ……それは、木森さんのお姉さんが来たタイミングが、ですねえ!」
「ふふ。あいつもあなたに懐いてるからなあ」
「そうなんです?」
「木森は人見知りだからね……厨房からもあんまり出たがらないし。手嶌とは逆」
確かに星原さんの語る二人のイメージは、私が思うそれと
接客上手の星原さんに手嶌さんと、接客は苦手だけどお菓子作りには飛びっきり情熱のある木森さん。
お店をやるには良い組み合わせだと思う。
でもそういえばこの三人は何処で出会って、どうして一緒にお店を開いているのか……。
ちょっと気になった。
いつかその話を聞ける日も来るのだろうか? 自分から聞いてもいいのだけど、何となく話してくれるのを待ちたい感じだった。
「それで、今日は何にします?」
「あっ、えーと……」
すっかりぼんやりしていたわたしは慌ててメニューに目を通す。
そこで目に付いたのがアップルパイ(温められます)の文字だった。
「あったかいアップルパイですか?」
「ええ、そうなんです。それにバニラアイスクリームを添えるんです。併せて一緒に食べると美味しいですよ」
ごくりと思わず喉がなった。
そこで、話は今に戻るわけである。
まずは温かいアップルパイをフォークで切って口に入れる。
自然な甘みのりんご。シナモンの味がほどよい。それがぱりっとした外皮に包まれている。温かさでりんごのジューシーさと甘みが増し、皮のパリッと感も増してとても美味しい。
その後、今度はバニラアイスを食べてみる。まれぼし菓子店のバニラアイスが……アイスクリームがおいしいのは、すでに折り紙付きだ。口に広がる優しい冷たさと、バニラビーンズの香り。あっという間に溶けてなくなるけど濃厚なのだ。
そして……いよいよ。そのふたつを合わせて食べることにする。単体で食べてこれだけ美味しいのだからと、期待マシマシである。
温かいアップルパイの上にバニラアイスを載せると、あっという間に溶け始めるので、慌てて口に運ぶ。
トロリとした食感。その後にシナモンとりんごの味が口の中で混ざり合う。
これぞ協奏……というに相応しい、冷たく温かく、とびきり美味しい。
かりっとした生地をバニラアイスと食べると、ウエハースとアイスを一緒に食べている気分になる。食感が楽しいし、香ばしくて大好きだ。
パイの下の生地が、溶けたバニラアイスを吸って少ししんなりしているのも好きだ。しっとりしたバニラとパイ生地を平らげる。
アイスが溶けきらないうちにそれらを急いで行う。そんなこんなで、アップルパイとアイスは、あっという間になくなってしまった。
「で、どうでした?」
夢中で食べていたわたしがフォークを置いたところで、香り高いダージリンを供してくれながら、ちょっと笑って星原さんが言う。
「……丸わかりだって言いたいんじゃないですか?」
「ピンポンです。お口にあったようで良かったわ」
わたしは咳払いをひとつしてから、星原さんの淹れてくれた紅茶を飲む。
ほっと一息。
もちろん、言わずもがな。大満足だったのだ。顔に出ていた……今回は動作にも出ていたのかもしれないけど!
「今日はちょっと長居して良いですか?もうデザート平らげちゃったけど」
「もちろん。秋の夜は長いですからね」
「部長の愚痴とかしょうもない話を聞いてくださいよ」
「いいよ~」
わたしが笑いながら言い、星原さんも笑いながら答えてくれる。
もうとっぷりと日が暮れている。
癒しの場所で過ごす、秋の夜長はとても幸せなのだ。いくら長くても良いくらいに。
そう思いながら、わたしはもう一口紅茶をすするのだった。
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