第7話

 空が青い。

 あーあ。

 扇風機の強風を浴びながら、直射日光降り注ぐ昼の縁側にごろんと寝転んで、昨日の盛大に振られた瞬間をぼんやり思い出す。

 空が青い。

 濃い青さだ。

 雲もどこにもない。

 暑い……。

 顔が焼けそう。

 振られた、んだよなあ、あれは。

 告白する前に振られるっていうのは、きっとこういうのを言うんだなあ。

 選ばない、か。

「聞くんじゃなかった……」

 自爆。

 みたいな、もんだったもんなあ。

 それもこれもそもそもはあの仁とかいうやつが悪い。

 全部あいつが悪いに違いない。

 だってあいつがハルさんにあんな思いをさせたりするから俺がこんな……いやでも、よく考えたら、あいつがハルさんと別れてくれないと、ハルさんは俺とこんなことになってないのか。

 ならまあ、しょうがない。

 あともっとよく考えたら、ハルさんのあの身体開発したのも、つまりはあいつってことか……?

 あのテクニックも、あの感じ方も、あの奥のほうのスポットも、あれもこれもそれも全部あいつが仕込んだのか。

「………………」

 ……やるなあ。

 確かにエロそうなやつだったもんなあ。

 なんだ、俺はあいつに感謝をしないといけないのかよ。

 結果的には受け入れてもらえないのに。

「複雑」

「どうしたー? そんなとこずっといたら顔面火傷すんぞ」

 いつの間にか昼飯の買い物から帰ったらしいハルさんが、縁側に寝そべっている俺の頭のところにぺたんと座り込んでくる。

 ハルさんの身体に纏わりついた外気温が伝わってくる。

 それでもちょっと覆い被さるみたいにして、俺の頭に影をつくってくれる。

 自分だって今外歩いてきて暑かろうに。

 覗き込んでくるその顔を見て思う。

 好きだ。

 好きだ。

 やっぱり好きだ。

 俺はあんたが好きだよ、ハルさん。

 もう言ってもいいか。

 どうせ受け入れてもらえないなら、伝えたって隠したって一緒なんじゃないのか。

「ハルさん」

「なに」

「好きだよ」

「え、」

 ハルさんは、俺を見下ろしたまま目を丸くした。

 俺はそんなハルさんのほっぺたを、下から腕を伸ばして親指で撫でる。

 あったかい。

 ちょっと柔らかい。

「好きだよ」

「どうした?」

「別に、どうもしないけど。言いたくなったから言っただけ。俺はあんたが好きだ」

「……なに言ってんの」

 あー、戸惑ってる。

 そうだよな、昨日の今日で、こんなこと言われるとは思わんわな。

 でも俺は、もう口に出しちゃったから、一度出したらなんかもう止められない。

「ずっと好きだ。結構前から」

「………………勘違いだろ」

「どんな勘違いだよ」

「お前は、あれだろ、俺とするのが好きなんだろ。それは、別に俺のことを好きなわけじゃないよ、」

 そう言って、ハルさんは俺の短い前髪を軽く摘まんだ。

 ベルト型ブレスレットが目前で揺れる。

 なんだよ。

 そりゃまあ、そうなんだけどさ。

 そうじゃないんだよ。

 いや、それだけじゃないんだよ、のほうが、正しいか。

「……そうだよ。俺はハルさんとするのが好き。ハルさんが気持ち良さそうにしてんの見るのも好きだし、勿論俺も気持ち良いことすんのが好き。してもらうのも好き。本当は他の誰にも触ってほしくないって思ってる」

 起き上がって、ハルさんの唇を触ってみる。

 柔らかい。

 触りたい。

 全部触りたい。

「この口も、髪も。首筋も、腕も背中も足も、爪の先でも、全部ずーっと触っていたいし、他のやつには触らせないでほしい、本当は。ずっとそう思ってる。こういうの、俺は好きっていう気持ちなつもりなんだけど、あんたにはこれでは駄目なわけ?」

 ハルさんは抱き締めても嫌がらなかった。

 太陽の熱を浴びた温度だ。

 汗の匂いがする。

「キスしてもいい?」

「……だめ」

 口だけなんだよなあ。

 抱き締めたまま、全然避けようとしないその唇に出来るだけ優しくキスをする。

 柔らかくて、吸い付くと気持ちいい。

 何度か食むとハルさんも同じように返してくれる。

 好きだ。

 伝われ。




2行だけカットしまーす。


 気持ちいい。

 溶けそう。

 扇風機が首を振る度に汗で湿ったハルさんの髪が少しだけ揺れる。

 なんか昨日までと違う。

 今までずっと言わずにいたものを、口に出したら途端に自分の中で何かが変わった。

 気持ちいいだけじゃ足りない。

 繋がってるだけじゃ足りない。

 キスをしても、抱き締めても、まだ足りない気がする。

 優しくしたい。

 全部が欲しい。

 見えないものをもっと与えたい。

 受け取りたい。

 伝われ。

 伝われ。

「たかのぶ……なんか……」

「どうした?」

「なんか、胸が苦しい」

「……なんで泣いてんの」

 抱き締めてた腕を緩めて顔を見ると、ハルさんはいつの間にか泣いていた。

 しゃくり上げるわけでも、くしゃくしゃになるわけでもなく、ただ目尻から流れ落ちるその涙を、俺はとても綺麗だと思った。

 それから、ハルさんから俺の背中に腕を回してくれる。

「心臓が痛い、孝信……お前何してくれてんの」

「ごめん」

 溶けてひとつになろうとしてる。

 スライムみたいにどろどろになって、身体の境目が分からないくらいに混じり合ってしまいたいと思ってる。

 優しく抱き締めるとハルさんの心臓の音が聞こえる。

 どくどくと脈打って、そらぁこんだけ打ち付けたら痛いかも。

 可愛い。

 可愛い。

 誰にも渡したくない。

「孝信、もう、」

「ごめん、まだ、」


あかーん。




「明日、帰ろうか」

「明日?」

「うん、明日。俺も帰ってすぐ店行ってもしんどいしさ」

 ちょっと早いけど、明日、帰ろうか。

 ハルさんは、ゆるゆると服を着込みながらそう言った。

 庭でひぐらしが叫んでいる。

 4日。

 一週間の予定だったのに、俺がハルさんを独り占めできる時間は、4日で終わる。


「俺な、お前が俺のこと好きなの、本当は分かってたんだよ。分かってたんだけど、分かった上で、知らない振りをしてた。また前みたいに嫌な思いするの、怖くてさ。お前の気持ちを利用していた。最低なんだ、俺は。自分のことばっかりだから。でもお前はいい子だからさ、こんな、俺みたいなの選んだら駄目だよ」

 俺がなに選ぼうと俺の勝手だろ。

「ハルさん、」

「なに」

 やめてくれよ。

 別れ話みたいじゃん。

 付き合ってるわけでもないのに。

 こんな寂しそうな顔をさせたいわけじゃなかった。

「俺はあいつとは違うよ。いなくなったりしない」

「最初はみんなそう言うんだよ」

「嘘じゃないよ。そんな簡単にやめられるんなら、俺は今あんたとここに居ない」

「……、祥太郎さんも、待ってるしさ」

 今その名前を出すのかよ。

「俺なら、絶対、手放したりしないのに」


 ハルさんが昼に買ってきてくれていた塩焼きそばは置きっぱなしですっかり忘れ去られていて、夜に思い出して二人で食べた。

 最後の晩餐は、油っこくて生温かった。




 5日目の朝は、二人で家中のごみをかき集めて纏めて、軽く掃除して、ハルさんが最終的にぞんざいに扱っていた浴衣をなんとなく畳んで元に戻して、自分たちの荷物纏めて、家の鍵閉めて、俺はまた二人分の荷物ガラガラ引いて、ハルさんは緑色の骸骨が入った紙袋だけぶらぶら提げて、一番初めに降り立ったあのバス停まで汗だくで歩いた。

 長く揺られた人の少ないバスの中ではあんまり喋らなくて、代わりにどちらからともなくずっと手を繋いで、指を絡めていた。


 2時間もすると窓から見える景色が段々見慣れたものに近づいてきて、最後は人が溢れ返った喧騒の中の最寄りのターミナルに着く。

 荷物持って降りて、片方ハルさんに渡して、じゃあな、って優しく言われて、ハルさんは、それから連絡が取れなくなった。

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