こいびとごっこ

夏緒

第1話

「なんだこれ……まじか」

 バスを降りてから重い荷物を二人分ガラガラ引いて、海沿いの通りを抜けて木々の向こうに出たら、純日本家屋みたいなハルさんの別荘があった。

「何してんの孝信、早くおいで」

 ハルさんが手ぶらでこっちを振り向いて手招きをする。

 俺は今日から一週間、この縁側と小さな庭のついたハルさんちの別荘で、ハルさんを独り占めする。




こいびとごっこ




「あー疲れたー、あっちー、うっわ埃くさっ」

「人んちに着いて早々煩いな」


 歩いてきた道沿いの海は確かに綺麗だった。

 ガードレールの向こうは岩場がゴツゴツしていて、ちょっと降りられそうにはなかったけど、打ち寄せる波が昼間の太陽を反射してキラキラしていた。

 そんな日陰のまったくない道のりをひたすらまっすぐ歩いて、アスファルトが途切れて砂利道になり、海が見えなくなってなんかいろんな種類の緑色の葉っぱの連なった垣根に変わってきた頃、ハルさんの別荘は蝉の鳴き声とともに唐突に現れた。

 垣根でその姿はあらかた隠れていたけど、少しばかり草の伸びた、それなりの広さの庭があって、その向こう側には縁側のついた古い、でもなんかちょっと洒落て見える家があった。

「俺の別荘じゃないよ。俺の親の、な」

 ハルさんがガラガラと派手な音のする引き戸の玄関を開けると、閉めきられていた家の中からは、少しだけ木材の匂いと、あと圧倒的湿気とカビの匂いが漂ってきた。

「あー疲れたー、あっちー、うっわ埃くさっ」

 上がり框に荷物を置いて、うわ、なんかちょっと白く見えるけどもういいや。

 そこにどすんと腰を降ろす。

 手をつくと汗ばんだ手のひらにざらりとした感触がこびりつく。

 正直な感想が素直に口から零れ落ちた。

「埃すげー……」

「窓全部開けないと駄目だな、明るいうちになんとかしないと。……孝信、お前なんでそんな疲れてんの?」

 ハルさんがカギをちゃりちゃり鳴らして遊びながら不思議そうにこっちを見る。

 あほか。

「あんたの荷物まで運んでやったからだよ!」

「うん、知ってる。ありがとな」

 にっこりと笑みを浮かべるハルさんは、可愛い。

「自分で運べよ」

「重いじゃん」

「……あっそ。あー、汗だくになったわ。シャワーしてぇー」

「使っていいよ、シャワー」

「まじで」

「うん。ついでに風呂掃除してきて」

「…………」

「俺掃除機かけるから、お前水回り担当な」

 ああ、なるほどね。あっそ。


 ハルさんは、25歳のいわゆるフリーターってやつで、今は俺の知る限りでは珈琲ショップで働いている。

 俺はといえばまだ大学3回生で。

 今は華の夏休みで。

 ハルさんが一週間の夏休みもらえたっつーから、なんとか口説き落としてその一週間まるまる俺がもらった。

 ハルさんは俺に優しいし、話していても楽しいし、誘えば拒まないし触り心地も良いし感度も良いし相性も良い。

 でも、俺たちは付き合っているわけではない。

 事の始まりは俺の一目惚れだった。

 あの珈琲ショップで見かけたとき、一瞬で「この人だ」と思った。

 茶色なんだか金髪なんだか分からないような派手でさらさらな髪に、女みたいな飾りのついた赤いピアスを付けていて、それでいてどこか儚げな、とにかく、見た瞬間に強烈に「欲しい」と思った。

 だから軽い気持ちで声をかけたら、思いの外ほいほいついてきて、俺の部屋でセックスがしたいって言ったらハルさんは二つ返事で頷いた。

 ラッキー、って思っていたんだけど、やっぱちょっと甘かった。

 キスをしたあとで、ああでもな、と付け足してきやがる。

「俺、お前と付き合ったりとかはしないよ」

「なんで? 恋人がいる?」

「逆。しばらく誰とも付き合わない。それに、お前みたいなやつが他にもう一人いる。それでも文句言わないって言うんなら、好きにしていいよ」

 なんっじゃそりゃ。

って思った。

 でもその時の俺は深く考えることをしなかったから、まあ、別にいいんじゃね。くらいにしか思わなかったのも事実。

「それポリシーかなんか?」

「別に。そこまでドMじゃないだけ」

 言葉の意味は分からなかったけど、取り敢えずやれればいいやと思って俺はそれを流した。

 いざやってみたハルさんの身体は、想像以上にしっとりと俺に絡みついた。

 一回きりでは勿体ないと思った。

 そこからずるずるそんな関係だけを引きずって、気づけば俺はハルさんからどんどん離れられなくなってきている。


「ハルさん」

 自分の身体洗って風呂場も洗って、パンイチで戻ったらハルさんは縁側全開にして畳の部屋に本当に掃除機をかけていた。

 前屈みになった腰が気になる。

 掃除機の騒音で俺の呼び声には気づいてないみたいだから、そのまま黙って後ろから抱き締めてみた。

「ぉうわ! びっくりした!」

「ただいま」

「おかえり。すっきりした?」

「うん。ハルさんもシャワーしてくれば」

「ああ、じゃあ掃除機代わって」

 抱き締めた首筋からハルさんの汗の匂いがする。

 ハルさんは俺よりもちょっと背が低いし、華奢なもんだから、腕を回せばすっぽりと収まる。

 たまらん。

「孝信」

「なに」

「放してくれないと俺風呂行けないんだけど」

「うーん、別にいいんじゃね」

 ハルさんの匂い、今洗い流されると勿体ない気がする。

 べろ、と首筋を舐めると、ハルさんはびくっと身体を震わせた。

 身動ぎするのを片手で押さえてシャツの隙間から手を入れて下腹を撫でたら、ハルさんの身体は汗でちょっとひんやりしていた。

 掃除機煩いな。

「腹冷たい」

「うんだから、あったかくしてきたいなー」

「俺があっためてやるよ」

「要らん。……着いて早々から、そんな、」

「大丈夫だって。掃除機止めなよ、あとで手伝うから」

 勝手に掃除機止めて、無理やり首だけこっちを向かせてキスをした。

 ぬる、っと舌を絡ませると、ハルさんはくったりと身体のスイッチをそういうモードに切り替えて、俺にしがみついてくる。

 俺はこの瞬間を堪能するのが好きで、ハルさんのエロいキス顔を薄目に眺めるのも好きだ。

 キスだけはしない、とか、そんな少女漫画みたいなことは言わない、欲望に忠実なハルさんが俺は好きだ。


 縁側からはわりと気持ちのいい風が入り込んでくる。

 そんでもって垣根で遮られて周りからは見えない。

 気分は



カアーーーーーッッット!!!!



 あーあ。

 せっかく風呂上がりなのに。

 汗だく。

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