母の嫉妬心
糸井嵜諸常
第1話
母はある日ふと、娘の部屋の扉を、娘の彼氏が居る時に開けようと思い立った。
それは奇妙なことであった。
普段から娘は母親と同居しており、掃除やら洗濯やらで毎日、それも何回も娘の部屋には入っている筈だからである。
娘には彼氏が居る。
娘とその彼氏はだいたい1年くらい前に知り合ったらしい。
よくその彼氏のものらしき靴を見たり、明らかに来客が居る雰囲気を感じたりはする。
だが母は例の彼氏が来ているかいないか正確な事は知らない。
何故なら娘が頑なに彼女の彼氏について話そうとしないからだ。
娘は昔っから母親っ子で、何でもかんでも母親に聞いた様な子が、である。
だからこそ逆に、母親は興味心が湧いたのだ。あの幼い頃から全て見知っている娘が、一体彼氏の前でどの様な姿を見せているのかみたかったのだ。
階段を忍び足で登りながら、母親ふと考えた。
この好奇心は、思春期のころ、友達が告白したりされたりしてるのをコソッと見る、あの好奇心に似ていた。
何十年振りだろうか、こんな高揚感は。こんなに、何がする前から奇妙な興奮を覚えるのは、そう思いながら母は遂に思い立ち通りに、微かにちらと、扉を開けた。
瞬間聞こえたのは、微かな喘ぎ声であった。
それはほんの僅かにしか聞こえず、これが押し殺した声か、と思わず感心してしまう程であった。
そして母親は、直ぐにその扉をそっと、しかして慌てて閉めた。
確かに娘は、その彼氏以外に決して見せぬ表情息遣いを、ほんの一瞬だけみた。
だがそれが脳裏に強く焼き付いたことは火を見るより明らかであった。
母の心に残ったのは、覗く前の思春期の様な心躍る好奇心はなく、嬉しいでいてまた悔しいような、安心して寂しい様な、例えれば幼馴染が告白されているのを見るような、そんな嬉しいようでどこか嫌な感じが混じりあった複雑怪奇な気持ちが残った。
例え母親が、この感情が彼氏への嫉妬心だと気付いたとしても、その烏滸がましさに恥ながら気づかない振りをするのだろう。
母の嫉妬心 糸井嵜諸常 @minazuki41
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