いろのひめごと
このはりと
花明かり
「ねえ、みどりちゃん。おはなし聞いて」
「今日はどんなお話なのかしら?」
「あのね──」
これが、絵描きを目指すわたし、
「たかいところからおちると、お舟になるもの、な〜んだ?」
「なぞなぞね。学校で流行っているの?」
「はやってるよ。このなぞなぞは、だれにもわからないわ」
そう言って、えっへんと胸を張るいろちゃん。
「ということは、いろちゃんもわからないのね」
「そうなの」
そう言うと、いろちゃんはとたんにしおれていく。ころころと変わる様子が、キュートである。
「先生には聞いてみた?」
「先生もわからなかったよ」
今の小学生は、ずいぶんと難しいなぞなぞに挑んでいるのだなあ、と感心してしまう。高い所から落ちると、舟になるものがあるらしい。なんのことやらさっぱりだ。
「舟を高い所から落としたんじゃないのかなぁ」
「先生もおんなじこと言ってた。おとなって、みんなそうなのね」
考えなしに答えたのを、ずばり見透かされた。子どもは、ときに鋭い。じとりとした目で、いろちゃんがこちらを見ている。流れを変えなくてはなるまい。
「ごめんなさい。まじめに考えるわ」
「おねがいね」
打って変わり、彼女のつぶらな瞳が、期待に満ち満ちた。
まずは状況を整理しよう。
「いろちゃんも答えを知らないってことは、なぞなぞを考えたのはいろちゃんじゃないのね」
「そうよ。おともだちの、さくらちゃんがかんがえたの」
さくらちゃんめ、手強いじゃないの。
「さくらちゃんは、同級生なの?」
「おんなじクラスの女の子だよ」
小学一年生の女子が思いつきそうなこととなれば、いったい何があるだろうか。わたしが小学生の頃も、なぞなぞは流行った。中には答えが無理やりすぎるものもあったが、おおむねは、答えを聞くと「そうなんだ」とうなずけた。正解すれば小躍りし、答えがわからなければ、それはそれは悔しがったものである。その頃の思いが、ふつふつと湧き上がってきた。
(正解してやるわよ、さくらちゃん)
わたしは、会ったことのないいろちゃんのお友達に、静かな闘志を燃やした。
「さくらちゃんは、何かヒントを出してくれた?」
わたしは、いきなり手がかりを頼った。今の情報量をもとに考えたところで、頭が熱を持つだけだ。大人は回り道をしないのである。そんなわたしに彼女がもたらした情報は、思いもよらないものだった。
「さくらちゃんがね、みどりちゃんならわかるかもしれないって言ってた」
「わたしなら? さくらちゃん、わたしのことを知っているの?」
「うん。いろがおはなししたから」
「それって、どんなふうに?」
いろちゃんの説明では、わたしは「物知りな絵描き」でとおっているようだった。町のあちこちに出没し、難事件を解決する謎のお姉さん、と。おばさんじゃなくてよかった。けれども、難事件を解決するなんて難しい言葉を、どこで覚えてきたのかしら。子どもの記憶力は、案外あなどれないのである。
「物知りなのは、いろちゃんから見たら、よね」
「みどりちゃんは、いろの知らないことを、いっぱい知ってるもん」
さくらちゃんには、わたしが絵描きとして伝わっている。わたし自身は、知っているのは絵のことだけ、の認識だ。両者にずれはない。となると、なぞなぞの答えは、絵にかかわること、となりそうだ。
「なぞなぞは、学校で聞いたのかな?」
「ううん。このあいだの夜、おはなみに行ったときだよ。川のちかくにさくらちゃんがいたの」
この町には、自転車で少し行けば手軽にお花見を楽しめる場所がある。川辺にソメイヨシノが植えられているのだ。だいぶ散り始めたようだが、まだ見られたはずだ。
「さくらちゃんは、何をしていたの?」
「川に入っちゃったみたいで、さくらちゃんのおかあさんにおこられてた」
夜のお花見会場で川遊び、か。それはお母さんに叱られるだろう。さくらちゃんは、おてんばな女の子なのかもしれない。
「そのときに、なぞなぞを聞いたのね」
「うん。さくらちゃんのおかあさんが、じょうずねって、さくらちゃんのことをほめてたよ。なぞなぞがじょうずだと、えらい?」
うまいなぞなぞを披露すれば、子どもの間では尊敬を集められるだろう。そして、それを解いた者は、もてはやされ英雄になる。
「高い所から落ちると、お舟になるもの、なーんだ」
そう口にしてみたが、さっぱり答えは浮かんでこなかった。わたしが「逆立ちしたって無理じゃないかしら」と言うと、いろちゃんは「みどりちゃん、足もって」と勢いよく逆立ちを試みた。あえなく失敗し、くにゃりと崩れ落ちる彼女の体を慌てて支える。子どもの体は、柔らかくて温かい。「みどりちゃんもやって」とせがまれたが、大人なので人前でそんなことはしない。なぞなぞも逆立ちも降参である。
その夜、わたしはひとりでお花見会場へ足を運んだ。
「わあ──」
見事な夜桜に、思わず声をあげてしまった。桜吹雪とはよくいったもので、花びらが散りゆくさまは、さながら雪が降っているようである。両手を広げ、物語に登場するお姫様のように、くるりと、優雅に踊ってみた。しかし、本人の想像と現実は大きく異なるもので、足がもつれよたよたとし、恥ずかしい思いをしただけである。わたしは、体いっぱいに花びらを浴びながら、
(これは、また──)
散った花びらが、川に絨毯を敷いているようだった。上を見ても下を見ても、桜の色が世界を染め上げている。夜を忘れるほどに明るく、心がふんわりとした。さて、と川を見ると、花びらに乗れそうである。
(さくらちゃんは、乗ろうとしちゃったのね)
川面に浮かぶ、桜の花びらの絨毯。子どもであれば、わっと飛び込んでも不思議はない。そこで、ふいに思い出した。こんな状況を指す、色の名前があったはずである。
わたしは、いつでもどこでも絵が描けるよう、画材を持ち歩いていた。あわせて、知識欲を満たすため、色の名前の辞典も持っていた。ぱらぱらとページをめくり、お目当の名前をさがす。
「……あったわ」
なるほど。高い所から落ちると舟になり、絵描きのわたしなら知っているかもしれない、その答えは──。
(さくらちゃんは、どこでこの言葉を知ったのかしら)
いろちゃんのお友達は、風流心のある、わたしよりも物知りな女の子なのかもしれない。散った桜の花びらが水面に浮き、それらが連なって流れゆく様子を、彼女は言葉として知っていたのだ。言葉をそのままに受け取って、おてんばをしてしまったようだが、子どもであれば無理からぬ話である。難解ななぞなぞが浮かんだのは、ただお母さんに叱られただけではつまらない、との思いからだろうか。
「こんなにきれいなお舟に乗れたら、どれほど気分がいいかしらね」
美しい桜の舟に乗った女の子の姿が思い浮かぶ。わたしは、忘れてなるものか、とスケッチブックを取り出し、その幻想的な情景を描き始めた。完成したら、いろちゃんと、なぞなぞを考えたさくらちゃんにも見せてあげよう。
絵の題名は、わたしがたどり着いた言葉以外に、ふさわしいものはない。
おしまい
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