2-5 お友達
未だに「心ここにあらず」状態の歌恋とともに何とか注文を済ませ(きっちりとフードとドリンク、更にはデザートまで注文した)、暫し無言で見つめ合う。
歌恋が落ち着くまで待とうと思っていたのだが、あまりにも沈黙が長くなってしまった。フードとドリンクも運ばれてきてしまい、手を付けるべきか何か話し始めるべきか悩んでしまう。すると、歌恋に異変が訪れた。
「……育田、さん?」
じわりと瞳が潤んだと思ったら、雫が頬を伝っていく。歌恋は「すみません」と小声で呟き、ハンカチで目元を拭った。
次から次へと真実を伝えすぎただろうか。
不安に思いながらも言葉が出てこない自分を、武蔵は情けなく思う。
「あー……っと。育田さん、悪かった。そんなこと、一回目のデートで言えよって話だよな。本当に、ごめん」
考えて考えて、ようやく出てきたのは謝罪の言葉だった。
すると歌恋は目を見開き、慌てたように手をブンブンと振る。
「違います! そうじゃ、なくて……」
歌恋は小さく息を吸って、武蔵を見つめた。
「私、同じ趣味の友達……初めてで。……嬉しいんです。だからこれは、嬉し泣きなんです。紛らわしくて、すみません」
申し訳なさそうな表情も混ざってはいるものの、歌恋はようやく笑みを見せてくれた。その瞬間、武蔵の心はズキンと痛む。これは「友達」と断言されたショックなのかと一瞬思ったが、そうではない。
「そうか。だったら尚更、もっと早く言えば良かったな」
同じ趣味の友達が初めて――ということは。
武蔵が歌恋に対して思っていた「理解してくれなかったらどうしよう」という気持ちよりも、もっと大きな不安があったのかも知れない。
なのに自分は今の今まで言えなかった。「次のデートで本当のことを話す!」とか格好付けたことを言いながら、先延ばしにしてきたのだ。
別にデートの時じゃなくても学校で言えたはずなのに。本当に、自分が馬鹿みたいだ。
「俺はただ、育田さんがこの趣味を理解してくれなかったらどうしようって。それが心配なだけで言えなかった。言えば育田さんともっと仲良くなれたってのにな」
ははは、と武蔵は乾いた笑いを漏らし、頭を掻く。
すると歌恋は、静かに首を横に振った。
「そんなこと言わないでください。ずっと言えなかったのは、私も同じなんですから」
「そう……だな。と言うか、今は湿っぽい空気になってる場合じゃないよな。……さて、そろそろ食べよう。冷めちまう」
「あっ、そうですね。お話に夢中になっちゃいました」
照れ笑いをしてから、歌恋は手を合わせる。武蔵も同じように手を合わせて「いただきます」と呟いてから、ようやく目の前の食事にありついた。
食べながらも、言いたいことは溢れて止まらなかった。
「俺、育田さんがこっちの世界に理解がある……って言うかまぁ、オタクってわかって凄く嬉しいんだよ。正直意外すぎて、すげービックリしたけどな」
今もこうして喋っていながらも、心臓が高鳴っているような感覚がある。
もっと早く言えば良かったという後悔もあるが、とにかく想定外の展開による衝撃や喜びの気持ちが大きいのだ。
だって、まさかあの歌恋が。
クラス内では真面目な優等生のイメージがあって、友達との会話はバラエティー番組や男性アイドルの話題が多い歌恋が。まさかこっち側の人間だったなんて。
ぶっちゃけ、オタクやイベンターとはかけ離れた存在だと思っていた。だからこそ、驚きが顔に出てしまったのだろう。
「やっぱり、意外に思いますよね……。えへへ、へーい」
思い切り歌恋に苦笑されてしまった。「へーい」も心なしかやけくそ気味に聞こえる。
「私、
京堂さんとは、同じクラスで歌恋の友達の京堂
「そうか。……京堂さんとは昔からの付き合いなのか?」
「いえ、高校からですよ。よく休日にショッピングをしたり甘いものを食べに行ったりしてて……。奏ちゃんと普通に過ごしているのも楽しいんです。楽しいんですけど、いつかは本当のことを言わなきゃなって、思ってるんです」
言いながら、歌恋は不安気に目を伏せる。
そりゃあ不安にもなるだろう、と武蔵は思った。奏多は多分、正真正銘の一般人だ。そして歌恋も、一般人として奏多と接してきた。今更自分の趣味を明かすのは、なかなかに勇気のいることだろう。
「あの……自分で言うのも何ですけど。私、勉強が好きなんですよ」
「おう、それはわかってるぞ。成績も上位だし、凄いよな」
「ありがとうございます。実は……始めはオタクを隠すために真面目っ子を演じていたんです。それが、勉強好きになったきっかけで」
別に武蔵も勉強が嫌いな訳ではない。数学が苦手なくらいで、あとは程々にできる方だ。まぁ、一番好きなのは家庭科なのだが。
でも、休み時間まで勉強をするのは変わっているな、とは思っていた。まさかオタクを隠すためだったとは。想像もしていなかったことだ。
「……そんなに隠したいか? いや、今まで育田さんに言えなかった俺が訊くことじゃないかも知れないが」
思わず、本音がぽろりと出てしまった。
でも歌恋は、戸惑う顔を一瞬たりとも見せない。じっと武蔵を見つめ続け、迷いなく答える。
「わからないから、怖いんです。周りに同じ趣味の人がいなかったので、本当の自分を知られたらどんな反応をされるのか、想像もできなくて……」
「最近はそんなに偏見もないも思うんだがなぁ」
言いながら、武蔵は「でも自分は歌恋に言えなかった」と自分自身に突っ込みを入れる。歌恋が真面目だから真面目に返すけれど、「俺は何様なんだよ!」と思ってしまう武蔵だった。きっと、何とも言えない表情になっていることだろう。
「ライブとかイベントでそういう友達ができたりしないのか?」
「男性の方が多い現場ばかりに行くので、なかなか……」
「あぁ、なるほどな」
シュシュやハンカチなど身に着けているグッズから察するに、歌恋は異性よりも同性のアーティストが好きなのかも知れない。もっと言えば、女性声優が好きなのだろう。相間伊月も村崎輝夜も女性人気は高い方だが、それでもライブとなると女性客は埋もれてしまう。例えば一つの列で、男性だらけの中に女性がぽつりと一人で立っている――というのもわりと珍しくない光景だ。
「とか言いつつ、隣が女性の方でも、声をかける勇気がないんですけどね。へへ……」
力ない笑みを見せて、歌恋は俯く。
友達はいるけれど、イベンターとしては一人ぼっちの歌恋。学校ではいつも笑顔で誰にでも優しく接する彼女が、今はとても寂しそうに見えた。
「……まぁ、確かにな。向こうから話しかけてきてくれても、結局話が続かなくてフライヤーに目を移しちゃったりしてな」
「あー、わかります! フライヤーって助かりますよね。開演前の暇つぶしになります」
「だよな。ぼっち参加の時は俺もまずはフライヤーを見ちまう。……って、何で俺達はフライヤーの話で盛り上がってるんだ……?」
武蔵がぼそりと呟き、歌恋がふふっと楽しそうに笑う。
――そうだ。そうなのだ。
もう、歌恋は本当の意味で一人ぼっちではない。同じ話題で盛り上がれる相手ができて、武蔵がその相手になれた。
こんなにも嬉しいことはないな、と思う。
何だかんだで不安だった。歌恋程ではないにしろ、「嫌われたらどうしよう」という気持ちは頭に渦巻いていたのだ。
なのに今は、凄く楽しい。歌恋のことをもっと知りたいと思うし、何より一緒にライブやイベントに行ってみたい。歌恋が好きで自分が手を出していないアーティストがいたら教えて欲しいし、自分が好きなアーティストを歌恋が知らなかったら全力でおすすめしたい。
「的井さん」
「……おぅ、何だ」
「私、今楽しくて仕方がないです。幸せです」
まっすぐすぎる言葉だった。
翡翠色の大きな瞳に吸い込まれそうで、武蔵は息を呑む。
「あの……あのですね! 言いたいことが色々ありすぎて、頭がぐるぐるしてます。でも、一つだけ言いたいことがまとまりました」
武蔵は無言で頷く。
ただ一つ、視線を逸らさないことを目標に、歌恋を見つめ続ける。
「まずはお友達になってくれませんか? ライブとか、一緒に行きたいです!」
前かがみになりながら、歌恋は一生懸命伝えてくる。
全然、まったく。「友達」という響きに傷付いたりはしなかった。そりゃあ最近のデートだの何だのという流れには舞い上がっていたけれど。でも、だからと言ってすぐに歌恋と恋愛に発展する訳ではない。高校生にもなって何を言っているんだという話だが、恋愛と言われても何をしたら良いのかわからないのだ。それに――林檎のことも頭をよぎる。簡単に結果を求めてはいけないと、心の中が叫ぶのだ。
「……すみません」
すると、何故か歌恋に謝られてしまった。
「お付き合いしてくださいって言った方が、良かったですか?」
「ぐふぅっ」
ドリンクを口に含んだところでそんな爆弾発言をしてきたため、武蔵は吹き出しそうになってしまう。何とか堪えたものの、むせてしまった。
「だっ、大丈夫ですか?」
「あ、ああ……大丈夫だ。ちょっと育田さんの発言が衝撃的すぎて」
馬鹿正直な感想を漏らしつつ、武蔵は歌恋に差し出されたティッシュで口元を拭う。
「……私だって、言おうかどうか悩みました。でもデートをしている訳ですし、お付き合いしてくださいって言う方が自然なのかな、と……。でも、私は……友人関係すら上手くできないんです。だからいきなり恋人っていうのは……ちょっと」
言いながら、歌恋は申し訳なさそうに俯く。
――つくづく、この人は自分に似ているな、と思った。
恋愛に慣れていないところとか、すぐに焦るところとか、時間には余裕を持ちたいところとか、お互いにオタクでイベンターであることを言えなかったこととか……。
「いや、それは俺も同じだから気にしないで良いぞ。恋愛なんて、ラブコメ作品とかギャルゲーの知識しかないからな」
「あっ、私もです。私はそれに少女漫画を加えます!」
「……意外と女性らしい趣味もあるんだな」
女性声優が好きだから、てっきり男性向けのものばかりが好きなのかと思っていた。でもそうではないらしく、ぼそりと本音を漏らす武蔵を不満そうな目で見てくる。
「確かに可愛い女の子は好きですけど。一応私も女ですから、色んな憧れくらい……ありますよーだ」
「わ、悪かった。そんなに拗ねるなよ。ほ、ほら、そろそろデザートを持ってきてもらおうぜ」
完全に拗ねてそっぽを向いてしまう歌恋に、武蔵は苦笑する。そして、店員を呼ぼうとインターフォンを押そうとした。
「……ん」
しかしその手は止まった。ポケットの携帯電話が震えたのだ。
「ああ、悪い。親父からメールだ……」
電話ではなくメールだったことに安心しつつも、武蔵は父親のメールに目を通す。父親からわざわざメールが来るなんて珍しいし、しかも長文だ。何だか、嫌な予感がしてしまう。だんだんと、武蔵の顔を覗き込む歌恋の顔が不安そうな表情になった。
「どうしました?」
「……ばあちゃんがこけたって。あ、いや、骨折とかそういうのはなくて、ただの風邪でふらついただけみたいなんだが」
父親は休日出勤中で、祖父が祖母を内科まで連れて行ってくれたらしい。武蔵には、帰りに桃の缶詰を買ってきて欲しいというのと、夕食にお粥を作って欲しいということだった。今は家で寝ているみたいだから安心してくれ、とのことだったが武蔵は心配になってしまう。祖父も祖母も元気な方だが、足腰が痛いと普段から言っている。きっと祖父にもだいぶ無理をさせてしまっただろう。
今日は早く帰った方が良いんじゃないか、とまで思ってしまった。
「的井さんは、家族想いなんですね」
気付けば、歌恋が優しい表情でこちらを見ていた。まるで微笑ましいものを見るような視線に、武蔵の笑顔は引きつる。
「何と言うか、物は言いようだな。俺としては家族想いが過ぎるって言うか……。もっとこう、普通の男子高生ならさっぱりとした家族関係を築くだろう、みたいな」
歌恋は「そんなことない」と否定するように、静かに首を振った。
「そんな顔しないでくださいよ、的井さん!」
歌恋は優しい表情のまま、武蔵をじっと見つめて言い放つ。
「私はそういう、優しいところが好……あ、わ……や、優しいところが的井さんのことが気になった理由……と言いますかっ」
「……やっぱり育田さんってあざといよなぁ。ある意味林檎ちゃんよりもあざとい……」
「ええ? 何ですか?」
わざとらしく耳に手を当てる仕草をする歌恋。
絶対に聞こえていると思いつつ、武蔵は咳払いをした。
「とにかく育田さん。悪いんだが、今日は早めに切り上げさせてもらっても良いか? この埋め合わせは必ずする」
「こうして的井さんは、何気ない素振りで次のデートを決めてしまうのでした……」
「何だその変なモノローグみたいなのは」
突っ込みを入れつつも、武蔵は呆れ気味な笑みを零す。でも本当は呆れてなんかいない。歌恋とこうやって冗談めかした会話ができているのが嬉しいのだ。
「って、とりあえずデザート食べないとな。もうちょっとだけ付き合ってくれ」
「……あの……」
今度こそインターフォンを押してデザートを頼むと、急に歌恋が上目遣いでもじもじし始めた。やっぱりあざといが、いちいち反応していてはキリがない。武蔵は視線だけで返事をする。
「的井くんって呼んでも良いですか?」
「…………どうぞ」
普段から歌恋はガチガチの敬語だ。ため口で話すのはクラスの友達――奏多くらいだろう。だからこそ、苗字ではあるものの唐突の「くん付け」にはドキッとしてしまった。
「じゃ、じゃあ俺も……いくちゃん……いややっぱりやめておこう!」
この流れならいける! と思ったのだが全然駄目だった。小っ恥ずかしさが勝ってしまう。だいたい自分の「いくちゃん」呼びへの憧れっていったい何なのだろう。響きが良いからだろうか? 自分でもわからない。と言うか、どうせなら名前で呼べよ、という話だ。
「じゃあ、的井くん」
「……おう、何だ」
「改めて言わせてください。これからも、よろしくお願いします」
今度は何を言われるのかと思ったら、礼儀良くお辞儀をしてきた。
普通の言葉かも知れないが「よろしく」という言葉は耳に心地良い。嬉しさがひしひしと込み上げてきて、武蔵は照れ笑いを浮かべる。
「ああ、よろしくな」
歌恋と「よろしく」と言い合える関係になれたのがとても嬉しい。
きっとここから先、慣れないことで悩みまくることになるだろう。でも、それでも構わないと思った。たくさん悩めば良い。難しいことは、ゆっくり時間をかけて結果を出せば良いのだ。それよりも今は、喜びで溢れている。
この人と出会えて良かった、と。大袈裟かも知れないが、そう思う武蔵なのであった。
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