私が死ねと言ったら死になさい!
六条さかな
第1話 図書室ランデブー
その日はわたくしの心とは裏腹に、とても晴れやかで雲ひとつない青空が広がっておりました。
体育や移動教室がある生徒たちの喧騒はこの静かでひとっこひとりいない図書室にも流れてきて、余計にわたくしたちの重苦しいような、逃げたくなるようなめんどくさい空気を引き立てています。
逃げたくなっているのはわたくしだけではなく、この目の前の教師も同じようで、決まり事のようなお説教を垂れたあと
「じゃあ先生は教員室に戻るわ」
と、適当に話を切り上げました。わたくしはただ、はい、はい、と神妙なお顔を作っていただけでお話は終わってしまったのです。
「でも今日は、お二人にはここにいて貰います。カバンは持ってきているわね? じゃあ、課題が終わったら職員室に提出すること。そうしたら帰ってもいいから」
「はい、わかりました」
「……佐々森さんは、災難だったわね。内申点には響かないようにするから安心しなさい。それじゃあ」
そういって先生は踵を返して図書室を後にしました。ピシャッ、と小気味いい音が響いて、そのあとすぐにシーン……と静けさが戻ってきました。その間にも女生徒たちの笑い声がここまで渡ってきます。わたくしには関係ありませんが、この青空にはぴったりのビージーエムではないでしょうか。健康的で、なによりですわ。
暇ですわね。
あーあ、なんで、こんなことになったのでしょう。
わたくしはわたくしの美しい髪をひと房指に取って、くるくると弄んだりしましたが、この美しいストレートヘアーに跡が付いたらいやなのですぐに止めました。
わたくしはこの学園の高等部二年生で、幼稚舎から通っているのでおよそ10数年はこの学園に通っていることになりますけれど、やはり女生徒がひしめくせまっ苦しい教室の喧騒よりはこの埃っぽい図書室の方がマシだと思います。といってもそれはおさぼり……サボタージュしている時の話であって、今は違いますわ。今はサボタージュの時間ではありません。
「めいりどのっ」
「…………」
ちら、と隣に目を配せると、やたらと目をランランと輝かせ、こちらになにかを期待しているおひとがいらっしゃいました。
いちおう、この学園の制服を着ているので、信じたくありませんがやはりわたくしの同級生……なんですね。
「とても長いお説法でしたね……今日は天気が良いので溶けてバターにでもなってしまうかと思いましたよ。でもこの課題テキストが終われば帰ってもいいとのことでよかったです。あっ、このたまみ、めいり殿が暑さに負けぬようお飲み物や飴なども持ってきましたよ! なにが良いか分からず数種類持ってきたのでお気に召すものがあればよいのですが……めいり殿はお紅茶が良いですか? それともスポーツドリンクが良いでしょうか? おっふ、話していたらなんだかたまみも喉が渇いてしまいましたぞ……お先にお茶、頂きますね! おふ!」
……なにやら、このように親しげに馴れ馴れしく距離感という文字が頭にないような所作で話し続けている彼女は……とてもさっきまで重苦しい空気のなかで腫物に扱われるような態度で叱られていたとは思えない明朗な声で話しかけてくる彼女は……。
ゾワッ。
こんなに暑いのに、身の毛がよだつ音が頭に響きました。
「てめー……」
「はい? どうしましためいりどの?」
「きやすく名前を呼ぶな!」
「おふ?!」
「ていうか、お前だれだよ!!!!!!」
ガタンッと机が揺れました。当然です、わたくしが怒ったので揺れるんです。
「おっふおふ、これはこれはめいりどの、ご冗談が過ぎますぞw」
「草生やすんじゃねえ……殴るぞ」
「ゑ……本当にお忘れに……?」
「いや忘れたんじゃなくて知らないんだよ」
「はっ、もしや昨晩あまりのショックで記憶を失ってしまったのでは!? もしやもしやこれは機関の仕業でめいり殿の記憶を改ざん!?!? 早急に病院に行くのでありますよ~~~!!!」
「てめぇが行け!!!」
なんなんですの、この人は……?
思わずわたくしの語調も荒々しくなってしまいます。嵐が丘のようですわね、おほほ。
「おふぅ……仕方ありませんな。それではとりあえず昨晩のことからお話致しましょう」
「話してみなさい、自分の罪を懺悔するのよ」
「あれはいつものようにたまみがめいり殿を警備しつつその麗しいお姿を眺めながらご自宅まで送り届けたあと、そういえば最近めいり殿は余り体調が良くなさそうだったと思い出し心配になって外からご様子を伺っていた時のことでありました……」
つまりストーカーなんだなお前は。
*
めいりどのはたまみのお姫様なのであります。
めいりどのはたまみの最も愛するゲームに出てくるお姫様にそっくりなのです。最初はとても綺麗なひとだと遠くからこそりと覗いているだけでありました。同じ学校なので、めいりどのの出席する授業にはなるべく顔を出そうとしていました。止められましたけど。
最初に声を聴いたとき、まるで透明な世界に絵具が滲んだみたいに鮮明でした。
この世界で、たまみの世界で唯一クリアな存在がめいりどのだったのです。
その喋り方は洗礼された佇まいのめいりどのに相応しいものでした。話し相手への配慮に富んだやさしい、かといって媚びを含まない声色……まさに姫でありました。
「素敵であります!」
たまみはうっかり小声を出してしまいました。幸い、めいりどのの耳には入ることなく、めいりどのは電話を切って家路へと入ってしまいました。
そこでたまみの頭にふとよぎった悪いしらせ。
キラキラしためいりどのを汚そうとする、世界からの悪の手。
綺麗なものは汚されてしまう、だから、誰かが守らねばならぬ。
「めいりどのをお守りしなくてはなりませんね」
たまみはピピッと指令を受けました。世界からのお知らせです。たまみの小さな脳みそはピッと、受信。
たまみはめいりどのの小さくなった後ろ姿を見失わないように追いかけました。優雅に歩くめいりどのに追いつくのは容易でありました。
「めいりどの……大丈夫、でしょうか……」
「最近なんだか、元気がないような気がします……」
夕暮れ時になるとお夕飯のにおいが漂ってきます。たまみには余り縁のないにおいのはずなのに、なんだか何処かから『懐かしい』なんていう、感情が湧いてきます。
あ、かぼちゃの煮つけのにおい。いいな、たまにはそういうものも食べたくなりますな。人間の匂い。かぼちゃのにおい。家族、のにおい。
「黙れ! 黙れーっ! お前らに、私のなにが分かるの!!!!!!」
ぽつ、と灯ったあかりがゆらと揺れたような気がします。突然の怒声に、たまみの身体はびくりと同じく揺れました。
「くそが……くそが……」
「わたしの、なにが、おかしいの……」
「あqwせdrftgyふじこlp;@」
「――――――――…………」
狭いトンネルを抜けていくように小さくなっていくその声は、めいり殿のお声に間違えありませんでした。
その切なる悲鳴は、風と一緒に消えてしまいそうで。
とっぷりとした夜闇のなか、とても幸福そうにみえるお城からは「だれか……誰か」お姫様のかぼそく、とてもお辛そうな声が聞こえてくるのです。
「たすけて」
たまみは暫らくのあいだジッとそのお声に耳を澄ませておりました。
「くるしいよ、痛いよ」
小さく、今にも消えてしまいそうなお姫様のことばは、初夏の生ぬるい風と一緒にたまみの耳のなか、ちっぽけな脳みそのなかにスルリと入り込んできたのです。
虫が、飛んでいます。「助けなきゃ」虫が言うんです。「困っている人がいるよ」。
「あ…………」
たまみの口から言葉にならない声が零れました。
それを打ち消すように、めいりどのの声が直接、脳に打ち込まれた、のです!
「ダレカ、ダレカ、ダレデモイイノ……ワタシヲ、私を呪縛から救い出して」
呪文のようなその言葉を理解するのに、数秒かかりました。
テクマクマヤコン、みたいな……意味が分かると、途端に美しく聞こえるその言葉。
「分かりましたよ、めいり殿」
「たまみが、今……お救いいたします!」
一人きりのその路地に、たまみの声が静かに響いたような気がします。
「めいり殿を苦しめるその呪縛、たまみが解き放ってみせます!」
*
「……とまぁこんな感じですかな? 姫の悲鳴にいち早く気付けるだなんて日ごろの警備の賜物ですなぁ! ひとりの従者として誇りに思うのですよ!」
「……あのですね。たまみ、さん?」
「はいっ! なんでしょうかめいりどのっ!?!?」
名前を呼ぶと、露骨にしっぽを振りまくるこの女。
せめて苗字で呼べばよかった、と後悔するのも遅く、たまみは目をランランと光らせ、一方通行の会話……いやこれは会話ではないな……を始めた。
「たまみはっ、めいり殿の忠実なる従者であります! お美しいめいり殿の近くにいられるだけでそれはもう、幸せなのです! さあさあ、なんなりとこのたまみにお申し付けくだされっ! めいりどののご命令とあればなんでも、そうなんでも! なんでも遂行するのが忠義というモノでありますよっ!」
ブンブン、としっぽの代わりに拳を興奮気味に揺らしながらデカくてやけに通る声で話すたまみを見て、わたくしはふらりと、倒れそうになりました。「ああっ大丈夫ですかめいりどのーっ!? 具合でも悪いのでしょうか、はっ……まさか熱中症にでも?! やっぱり病院に行った方が良いのですよ!」お願い、黙って。病院は、あなたが行って。
対話を試みたわたくしが、バカでしたわ。
こいつは、こいつはマジモンのヤバい奴ですわね。
先ほど話していた、この女の話をわたくしの視点から『正しく』まとめると、こうなります。
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