鋼翼の戦闘姫(ワルキューレ)
杉浦ヒナタ
第1話 翼をなくしたワルキューレ
大きく息を吸い込んだ
(体が、動かない……)
黒いストレートの前髪がかかる眼には、うっすらと涙がうかんでいる。
きっと近くで倒れているはずの僚友の名を未冬はかすれた声で呼ぶ。
「エマちゃん。……エマ!」
彼女の必死の叫びに、すぐそばで動く気配がした。未冬は少しだけ安堵する。
「未冬か……。あたしはもうダメだから、お前だけ先に行け」
その弱々しい返事に未冬は目を瞑った。
エマ・スピットファイア、未冬の親友で、戦友でもある。そして今ではかけがえのない恋人なのだ。
その彼女も未冬と同じ状態に陥っていた。
「いやだよ、そんな事言っちゃ。行くときは一緒だって言ったじゃない」
「すまん未冬。でも……愛してるから」
「エマちゃん。わたしもだよ!」
☆
その時、士官学校女子寮の部屋のドアが大きな音をたてて開いた。
「何やってるんですか、二人とも。朝食の時間、終わっちゃいますよ!」
入り口では、きっちりと士官学校の制服に着替えたマリーン・スパイトフルが仁王立ちしていた。メガネの奥の瞳が、信じられないものを見るように細められている。
「まったくもう。誰も食堂にいないと思ったら……」
マリーンは彼女よりさらに小柄なフュアリ・ホーカーの首根っこを掴んで引きずって来ていた。フュアリは二人を見ると、ぬいぐるみのような人懐っこい笑顔で片手をあげる。
「おはよう諸君。今日も無事でなによりじゃのう」
「うう……」
未冬とエマはやっとのことでベッドから顔をあげた。昨夜は訓練が終わると、シャワーだけ浴びて、そのままベッドに倒れ込んだ二人だった。
士官学校も二年目になると訓練の激烈さが増して、毎朝こんな状態だ。
「どうしてそんなに元気なの、マリーンちゃん」
マリーンは呆れたように腰に手をやった。どちらかと言えば華奢な彼女だが、格闘戦では教官ですら一目置くほどの身体能力を持っている。
「もう、未冬さん。なんですか、あれくらいの訓練で」
そんな彼女にとっては大した訓練ではなかったらしい。
「あのな、マリーン。傷病兵にはもっと優しくしてくれてもいいんじゃないかな」
シャワーのあと乾かさなかったせいで、ひどい寝ぐせのついた赤毛を押さえつけながらエマは呻いた。
「ただの筋肉痛の人を傷病兵とは言いませんよ、エマさん!」
まったく容赦がなかった。
「き、厳しいよぅ」
3人は寝間着姿のまま、マリーンの後に続く。マリーンは一瞬眉をひそめたが、諦めたように先頭を行く。
フュアリのモコモコのネコ柄パジャマと、エマの短パンTシャツはまあ許容するとして、未冬は緑色の恐竜型の着ぐるみだ。フードにはギョロ目と、背中にはご丁寧に背びれみたいなものが付いている。
いまさら周囲の視線を気にしても仕方ない。マリーンはため息をついた。
ペンギンの行進のようなぎこちない動きで、彼女たちは食堂に向かう。
「やっぱりこの格好じゃ食べにくいな」
そういって未冬は恐竜型着ぐるみパジャマを脱ぐ。その下はエマと同じTシャツ姿だ。
「おほう♡」
フュアリが思わず変な声を出す。
「未冬、またでかくなったんじゃないの、それ」
うん? 未冬は胸を見下ろす。
「あはは。おかげさまで順調に生育しているよ、フューちゃん」
ほらほら、と上下に揺らしてみせる。
「いやー。でも重くて困るんだよね」
「貴様だけは許せんぞ、未冬」
「ええー、なんで?」
☆
「ところで、今日の訓練はお休みですけど。皆さんはどうするんですか」
未冬とエマの部屋に集まった4人は今日の計画を話し合っている。
「わたしは1年生たちと買い物にいく予定だよ」
フュアリはその一見すると可愛らしい容貌から、後輩に人気があるらしい。本人は将来のために後輩どもを手懐けているのだ、と言っているが。
「そういうマリーンはどうする。ああ、そうか、デートかな」
エマに訊かれたマリーンはきょとん、とした顔になった。
「いえ。わたしはジムでトレーニングですけど。一緒に行きますか」
3人は全力で首を横に振った。
「さあ、未冬。マリーンとジムでトレーニングか、技術開発部か、どっちを選ぶ」
さっきから黙っていた未冬は、その言葉で顔を曇らせた。
「う、うう。行くよぅ。エマちゃん」
……軍の技術開発部へ。実験材料として。
「人聞きが悪い。せめてテストパイロットと言え」
未冬が行っている実験は装着型の飛翔装置を使った飛行実験だった。これは思念によって空間偏移を生じさせることで、空中を飛行するというものだ。開発と調整にはエマも関わり、実際に装着して飛行実験を繰り返していたのは未冬である。
開発は順調に進んでいたが、最終試験を前に重大な問題が生じていた。
「どうしてだろう、最近うまく飛べないんだよ」
まったく出力が上がらなくなったのだ。
普段は能天気な未冬だが、この話題になると本気で落ち込んでいる。
「まあそういう時もあるんじゃないかな。気にするな、未冬」
うん。と小さくうなづいた未冬だったが、装置に異常が見られないことから、原因が未冬自身にあるのは間違いなかった。
でもその原因は彼女にも分からなかった。
「わたしの翼が……」
未冬は呟くと窓の外に目をやった。
そこには真っ青な海と空だけが広がっている。そして、島影はまったく見えなかった。
☆
地球上の大陸がすべて海中に沈んでから300年あまり。
人々は巨大な都市空母を建造し、その中で暮らしていた。その空母のサイズは一隻で大都市に匹敵する、まさに前代未聞の巨大人工建造物だった。
世界中で建造された空母群は、文字通り水の惑星となった地球上を、あてどない航海を続けているのだった。
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