第75話 これは《幻》ではなかった

「クソ外道が! 熊猫拳シュンマオチュアンッ!」

 京譲りの《氣》を込めた怒りの拳を阿津の顔面目掛けて叩きつける。

「ぐうォォォッ!」

 あっけなく阿津は吹き飛ばされる。阿津の脳を移植した絡繰兵は戦闘用に作られたわけではなく、あくまで通常の移動に支障がなければいいという程度だ。

 軍人や功夫遣いに近接戦闘で勝てる道理はなかった。

「軍に突き出してやるよ」

「クケケ、なぜ儂が貴様の事を知っているか知りたくはないのか?」

 怒りに震える手で阿津に掴みかかろうとするのだが、阿津は妙な事を言いだす。

「知りたくもねェな」

 脅しのつもりで腕をへし折ろうとしたのだが、阿津は不気味に笑い。


「まさか、あの功夫遣いの使用人こそがお前が家族同然だと思っていた娘だったとはな。完全に思考まで支配できたわけではなかったか。じゃがお前を殺すだけなら問題なかろうて」


「なッ!」

 醜悪な笑みを強め、阿津が言うと、アイシャの手から力が抜ける。

「油断したのゥ! いでよ、最強のキョンシーよ!」

 距離を離した阿津が手を掲げると、地面からキョンシーがゆっくりと現れる。

「……」

「嘘だろ……」

 青白い顔は札で隠れ、道士服を着ていたが、使用人のスーだった。

「貴様らを外法でキョンシーに変えてやろうと思ったが、このキョンシーで殺してやろう! 行け!」

 スーはアイシャに近づく、キョンシー独特の動きを省いたその動作はまさに功夫遣いそのものだった。

「!」

 スーの上段からの蹴りがアイシャを襲う。

「ちッ!」

 受け止めるもスーの蹴りによる衝撃はすさまじい。キョンシーにされたことで制限が解除され常に恐るべき力が出せるようになってるようだった。

「ッ!」

「クソ、早すぎるだろッ!」

 蹴りにしても速いとアイシャは毒づいた。そもそもスーは生前、絡繰兵から奪った剣で戦っていたはずだ。

「そやつの功夫は護身拳フーシェンチュェン、要人を護るのための功夫よ。ゆえに徒手空拳だけでなく様々な武器の扱いを習うのじゃ。こやつは修めきれなかったようじゃがなァ……」

 阿津がいうには使用人が習う要人護衛のたの功夫だ。相手の武器を奪うことも前提であったのなら話も分かる。

 とはいえやはり功夫ゆえに、徒手空拳が中心ではあるのは間違いない。しかし、

蟷螂脚タンランジャオ!」

 アイシャは蟷螂の鎌を模した蹴りを放つ。鋭い蹴りは鋭くスーを刈り取るのだが。

「!」

 しかし、スーはキョンシーゆえの痛覚がないのかすぐに起き上がる。

「嘘だろ……」

 京に受け止められた蟷螂脚だが、今度は無防備だったのだ、倒れないわけがなかった。

「これが道士級のキョンシーよ。軍隊など相手にならぬぞ? 剣も西洋の銃も利かぬからなァ」

 これは事実だ。道士級のキョンシーとなると桃の木などの特殊な方法で浄化するか、《陰》の氣で《陽》の道術を絶たねばならない。 

 ――クソッ……、師範せんせい……。

 京の顔が浮かぶが、それは願ってはならなかった。京が極陰拳を使えば命を縮め、もし奥義を放つとなれなかつての紂王がしたように死を覚悟しなければならないのだから。

「!」

 スーの拳の連撃が襲う、その動きは西洋の拳闘技、ボクシングのジャブをを思わせるものだ。

 それもただのジャブではない、制限が外されたうえでのジャブだ。その威力は常人が放つそれの比ではない。

「ぐッ、畜生……ッ!」

 アイシャは熊剛体シィォンガンディで耐えるものの、極陰拳のそれに似た技と違い威力を完全に殺せるわけではない。

「クケケ、先程までの威勢はどうした」

 阿津は愉快だと笑い、その勝利を確信していたのだが――。


「そこの功夫遣い、義によって助太刀するッ!」


 濃霧すら切り裂くのではないかという女の声が響いたのだった。 


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