第362話 初心って大事

高耶と修は、体育館の舞台から離れた後ろの方に用意されている椅子に座る。


将也を喚ぼうかと思っている所に、校長の那津と教頭の時島がやってきた。


「まあっ、御当主っ、来られたのですねっ」

「ええ。優希に言われまして……」

「ふふふっ。責められました?」

「呆れられました」

「あらあら。女の子は難しいですわねえ」

「本当に……」


そんな話をしながら、那津は高耶の隣に座る。時島がその隣だ。二人も見学に来たらしい。


マイクチェックの音を聞き、時島が口を開く。


「そういえば、あの方達は本当に良かったのか?」


目を向けているのは、舞台袖を出入りしている、黒いジャンパーを着た人たちだ。


「あ〜、房田音響の人たちですね」

「学芸会をその道のプロにお願いするというのは……それに、古い音響機器の調整や修理までしてもらったんだが……」

「構わないと思いますよ。あの人たち、本当に音響系のものが大好きで、趣味でアンプをバラしたり組み立てたりして遊んでいますから」

「それにしても……」

「お礼は、学校内の音で支払い済みでしょう」

「そうなんだがな……」


高耶が紹介した彼らは、舞台音響も手がけるその手のプロだ。学芸会の話をしたら、是非協力したいと乗り気だった。もう少しすると、請け負っている仕事で右往左往することになるという時期。


新人達も慣れてきた所なので、少し息抜きにもなるからと参加を希望した。もちろん、手に入りにくい学校の生の音が採集でき、学校にある古い音響機器を見て触れるという下心もあったようだが、害はない。


「あの人たちにとっては、こうした閉じられた場所の生の音というのは貴重なんですよ。いきなり、会社とはいえ、伝手もない知らない人に『学校内の音を録らせてほしいんです』なんて言われても許可は出せないでしょう」

「無理だな」

「無理ね」

「上の方から順に許可を取っていくというのも、精神的に疲れますしね……」

「そうよね。手続き、手続き、それで計画書とかね? 差し戻しばかりされたりしたら、更にやる気もなるなるわよね」


法的手続きというのは必要だろうが、司法書士や弁護士など、その手の人にしか用意できない、知らない正式な書式で提出しろと言われても調べる時間ばかりかかって嫌になる。


「せっかくの情熱が冷めるんですよね……」

「あら、修さん。何か実感がこもっていますわね?」

「ええ。まあ……本人だと証明しろとばかり言われたり、本当に虚偽報告ではないか証明しろと言われたり……証明、証明って……本人が言ってるのに何を? とか……はい……」

「「……」」


那津も時島もそれは嫌だなという顔をする。


「著作権とかの問題ですよね」

「そうです……色々ありますよ。守ってくれるのは有り難いんですが、問題があった時にどうしても弁護士とか挟まないといけなくなるんで……嫌なんですよね……」

「自分でパパっとなんとかしたいですよね……無駄に時間かかるのも嫌ですし……」

「ええ。本当に……」

「「……」」


那津と時島は、引き続き口を閉じて、高耶と修を気の毒そうに見つめていた。


そこに、房田音響の一人が駆け寄って来た。壮年の、体格の良い男だ。


「よおっ。高耶っ」

「こんにちは。房田さん」


彼は房田音響の社長だ。


「良い音は録れましたか?」

「おうっ。あ、校長先生も、ありがとうございました」

「いえいえ。先日の練習から、今日のリハーサルまでご協力いただいて……本当にありがとうございます! 本番も是非よろしくお願いします」

「もちろんです。いやあ。楽しいですよ。初々しい子ども達の演技も見えますしねえ」

「ふふふっ。なんだか子ども達も、効果音が入ったことで顔つきが変わりましたわね。演技のレベルが上がりましたわ」


まるで舞台役者にでもなったように、本物の音が自然に入ることで、物語の中にしっかりと足を踏み入れたような、そんな雰囲気が出てきたのだ。


「そう言ってもらえると嬉しいですねえ。邪魔になっていなければいいんですが」

「邪魔だなんてっ。保護者の方々に見せられる本番が、子ども達だけでなく、私たちも楽しみで仕方がないんですよ。本当に、感謝いたしますわっ」


今回の学芸会は、最高のものになると確信している那津は、感動気味に大喜びしていた。もちろん、時島もだ。長く教師をしているからこそ、その違いがよく分かる。


房田社長は嬉しそうに照れたように後ろ頭を掻いて告白する。


「私共の普段の仕事は、どうしても機械的になってしまうんですよ……舞台監督の指示に従うばかりで。こうした表現するものは、まとめ役の感じるものが基準になります。だから、こちらで意見を言っても聞き入れられないことも多い……時間的な余裕もないですからね」


自分が感じるものを伝えるのも難しい。頭の中のイメージをそのまま伝える術はないのだから。こうした仕事は多くの人の葛藤と内から何とか絞り出したものを、そのまま伝えられないもどかしさとの戦いが裏にある。


「この仕事を始めた頃は、それでもなんとかこうしたらどうかと、意見を言ったり、相談したりしていたんですけどね……慣れて、効率、場の空気を考えて、そうした話し合いの時間はお互い削るようになります……」


話し合いくらいならば良いが、意見を言い合うというのは、体力も精神力を削る。それをしても良い物をと熱意を込められる間は良い。しかし、慣れてくると機械的に、全てを受け入れて言われるままに行動することが楽で、聞かれたことにだけ意見をする。それが効率も良いと思って諦めてしまうのだ。


だが、今回この場では、まとめるべき先生達の誰もが同じ位置に立っている。効果音一つ入れるのにも、意見を聞いてくれる。それが、房田音響の職員達にはとても新鮮に感じた。


この学校の教師達は、自分たちが学ぶ事も前向きに受け入れられる人たちだ。一時期、不和を起こす教師が居たからだろうか、今のなんの問題もなく、協力し合うというのが楽しくて仕方がないらしい。


だからこそ、余計に好意的に房田音響の社員達を受け入れた。気になったことがあればすぐに質問し、教え合い、次に自分たちだけでやることになった時のためにと、知れることはこの機会に知ろうと向き合っていた。


「ここでの事は、とても楽しかったですよ。先生達に教えるのも、子ども達のために、舞台に立つ人のためにと熱意ある話し合いをするのも、本当に楽しかった。私たちも舞台を作る者の一員なんだと……決して、裏方だからと影に控えていてはいけないんだと、初心を思い出しました」


裏から支えるんだと思っている。しかし、だからと言って、黙って控えている必要はない。言うべきことは言わなくては、本当に良いものはできないのではないかと、そうはじめの頃に思った熱意を思い出したらしい。


「煩く言う気はないんですけど、こっちから口を出すと、機嫌が悪くなって、雰囲気を壊すんじゃないかって……けどそれも、時と場所を考えれば問題ないんじゃないかと。目が覚めましたよ」

「ふふっ。私にも分かりますわ。そうですわよね。時と場所を選べば、かなり問題は軽減しますわよね。周りが見えていないことに気付かないのは怖いですわ」

「ええ。時に環境を変えてみるというのは、確かに良い事だと実感しましたよ。高耶、ありがとな」

「いいえ。こちらこそ、良いものが出来そうで嬉しいですよ」


お互い、今回は良い事づくめで良かったと笑い合う。


しかし、房田社長が言いたいことはこれだけではなかった。


「おうっ。最高のもんが出来るだろうさ。あ、それで、ここの音響機なんだが、アレはすげえぞっ。あと数年で良い付喪神になるっ」

「「「付喪神……?」」」

「……」

「あ……」


誇らしく、嬉しすぎて思わず言ってしまった房田社長は、高耶の『今ここで言うか……』という視線から、ゆっくりと目を逸らした。


時と場所を考えると言った口でやらかしたことに、房田社長も失敗を悟っていた。









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