第285話 掃除しましょう

男性の名は久納くのう克樹かつきといった。


高耶はお茶を飲みながらそちらに目を向けて口を開く。


「立派な神棚ですね」

「っ、ああ。妻の家は神道の家系でね。隣の神社も管理していたんだが……親友を事故で亡くしてから気鬱になってしまって……」


外に出ることも嫌がるようになったらしい。笑うことも少なくなり、さらに昊の母である娘が仕事であまり来られなくなると、会話もあまりしなくなったという。


克樹かつきも昼間家に居ないのだ。外に出なければ、本当にほとんど誰とも話もしない生活になってしまった。


「最近は特に寝込みがちでね……昊が来ると、何とか無理してでも起きて来ていたんだが……」


それも出来なくなってきているらしい。だが、体が悪いわけではない。精神的なものだ。食事をきちんと取ってもらうくらいしか、克樹もできることがないと言う。


それもあり、エルタークに顔を出せなくなっていたのだ。


高耶は、今一度神棚の方を見る。


「……繋がりが切れ始めているので、余計でしょうね……」

「ん?」

「いえ。そうでしたか。だから、昊くんは、おばあちゃんにピアノを聴かせたいんだね」

「っ、うん……おばあちゃん、ピアノすきだったから」


確認は出来た。そして、ピアノを早速見せてもらうことになった。


「部屋は少し掃除したんだが、防音の部屋だから、あまり動かしていない換気扇しかなくて、少しまだ埃っぽいんだが……」


かなり埃っぽかった。


部屋の掃除も、あまりできていないのだろう。克樹は昼間、仕事に出掛けているし、家事が滞るのは仕方がない。


そこで高耶は考えた。


「……先に失礼ですが、奥様に許可をいただいてもいいですか? その……この辺りも掃除をしましょう。寝ておられるなら、空気の入れ換えもきちんとした方がいいですし」

「え、ああ……いや、すまない……恥ずかしいな……」

「いえ。お仕事をしておられますし、奥様も、日によっては、家事をやりたくない時もあるでしょうから」


それが聞こえたのだろう。女性が奥から顔を覗かせた。


「あの……お客様……?」

「あ、お邪魔しています。騒がしくて申し訳ありません」

「いえ……」

「お身体の調子はどうですか?」

「……あ……大丈夫……です……」


警戒しているのはわかる。


それに聞こえたはずだ。掃除をすると。女性は、夫など、家族に掃除など手伝って欲しいと思っていても、実際は手を出すと嫌な気分になる者もいる。


それは、家が彼女たちの守るべき領域、場所だからだ。勝手に触られるのは嫌なのだ。だから『この辺の掃除をして』と言われた場所だけやるのはある意味正しい。


他の所までやると、人によっては『私がやってる所が気に入らないのか』と思わせるからだ。必ず手をつける所はやっても良いか聞くべきだろう。


夫相手でもそうなのだ。他人にというのは、もっと嫌悪する。ホームヘルパーやハウスキーパーという職の人を雇った方が楽だと分かっていても、娘でさえも嫌だと思う人は多いのだ。だから、無理をする。


「ご挨拶がまだでしたね。秘伝高耶と申します。お孫さんに相談されまして、ピアノの調律に伺いました」

「っ、あ、そんな。祖母の春奈はるなといいます。そうだったんですね……古いピアノなので……」

「いえ。中を見てみないと分かりませんが、可能な限り弾ける状態にさせていただきます」

「ありがとうございます」


本当にピアノが好きなのだろう。少し笑ったのがわかった。


「それで、ピアノを見ている間、掃除などお手伝いをさせていただけないかと。もちろん、手を付けて欲しくない所は、触りませんので」

「そんな……」


恐縮する様子の春奈。そこで、克樹が尋ねてくる。


「ん? 高耶くんはピアノを見るんだろう? まさか、このお嬢さん達が?」


誰がやるのかという当たり前の問いかけだった。


そこで、高耶は笑って見せた。


「いえ。一つ、私の秘密をお見せしますね。【エリーゼ】」

《はい。お呼びにより、エリーゼ、参りました》

「「「え?」」」


克樹、春奈、昊が揃って目を丸くする。


驚くのは当たり前だ。メイドがいきなり現れたのだから。それも、金髪の明らかに日本人の顔でもない女性だ。


「私はいわゆる陰陽師の家系の者でして、彼女は式神みたいなものです。家事はお手のものなので、指示だけしていただければ掃除も洗濯も料理も問題ありません」

「……陰……陽師……」

《何でもお申し付けください。頑固な油汚れも、取れなくなったシミも、お子様のアレルギーを考えたお料理もお任せください!》

「え、あ、その……お願いします……」

《はい!》


混乱させたまま行こうとエリーゼは春奈を笑顔で魅了して、掃除を始めた。


「お兄ちゃん。ハクちゃんもよんで〜。おちつくまで、みんなでしゅくだいやってる! ソラくんもしゅくだいあるでしょ?」

「っ、うん。もってきてる……けど……?」

「分かった。【珀豪】」

《うむ。エリーゼだけ喚んだので、何事かと思ったが……女性の領分に無理やり入るのはいかんな》


さすがは主夫だ。分かっている。


「ああ。とりあえず、エリーゼだけでいいだろう。優希達の宿題を見てやってくれ。ただ、その前に、ここの埃だけ外に出してくれ」

《承知した》


あっという間に珀豪は、部屋の中の埃を集め、外に捨てる。そして、空気の入れ換えもしてくれた。


《これで良いな。待たせたな優希よ》

「ううん。いいんだよ〜。じゃあ、こっちでしゅくだいみて。あ、この子、ソラくんだよ」

《うむ。ソラよ。分からない事があれば聞いてくれれば答えよう》

「あ、はい!」


昊は、珀豪が優希を迎えに来ているのも見ていたのだろう。キラキラした目で見ながら素直に従った。


そして、気遣いのできる珀豪は、部屋の隅にあった将棋盤を目敏く見つけて克樹に声をかける。


《そちらの……》

「あっ、か、克樹といいます」

《克樹殿。将棋をやられるのか?》

「ええ……会社でもクラブがありまして……ただ、最近はあまり……」

《では、相手をしよう。どうだろか》

「それはっ。是非!」


神秘的な召喚というものを見たことで、克樹は抑えていたようだが、最後には興奮気味に返事をしていた。


「さてと……やるか」


高耶はこれで憂いなく、一人ピアノと向き合うことができそうだった。


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