第153話 ピアニストの弟子
ピアニストである
引退後は、近所の子ども達相手に気まぐれにピアノを教えてもいたが、ピアニストにしたいというわけではなく、趣味としてピアノが弾ける程度にするというものだった。
賢は母以外には笑顔も見せない頑固な人で厳しく、子ども達も小学校に入った頃から始めても卒業するころには辞めていった。
そんな賢がただ一人、教え子として受け入れていた者がいたと母から聞いたことがあった。それも中学生の男子だと知り、心底驚いた。
修は海外に拠点を持っていたので、賢の晩年にはほとんど日本に居なかったのだ。
その間に、自分の教え子だと言えるほどの人ができたということなど、賢が亡くなって三年経って、最近知ったことだった。
公演があって、葬儀にさえ出席できなかった修には、知る機会がそれまでなかったのだ。賢がそこまで思い入れのあった人物ならば、その時に会えていただろう。
その青年の音を少し聞けば、この人だと直感した。賢が唯一教え子と認める人物だと分かった。その音の中に、確かに現役だった頃の賢の持つ、独特の響きが感じられたのだ。ピアニストとしての経験のある修だからこそ聞き分けられるその響き。
「彼が……っ」
会いたかった。会ってみたかった。修のピアノさえ最期まで納得しなかった賢が、唯一、認めた音を出すことのできた者。賢にとっての教え子とはそういうことだ。
「……確かに……認めるわけだ……」
誰かの真似ではない。確かなオリジナルを含むその音色。修さえも今も模索し続ける自分の音を持っていることに、驚きを感じた。
「すごいでしょう」
陽が満足げに、小さな声で囁いた。
「はい……もう少し若ければ、嫉妬して耳を塞いでいたかもしれません……」
唯一の音を持つ彼に。ピアニストと名乗っても
「一度だけ高耶君から聞いたことがありました。自分のピアノの師匠は、霧矢賢だと……お父様でしたな」
「ええ……っ……」
この人がそうかと思い見つめる。だが、次第に心は落ち着き、ピアノの音色に意識を委ねた。不思議と癒されるような、そんな確かな力に包まれているような気がした。
演奏が終わり、高耶が奥に消えていく。それを、誰もが静かに見送る。
「っ……」
ゆっくりと、知らず詰めていたらしい息を吐いた。
「終わってしまいましたね」
「そう……なのですね……」
陽の言葉に、修は肩を落とした。もっと、もっと聴いていたかった。そう思える素晴らしい演奏だった。
「ふふ。彼の演奏は癖になるのですよ。また聴きたいと思える。聴いた後は、胸にあった重みが消えているように感じられるんです」
「ええ。本当に……あのような演奏……羨ましい限りです」
正直な感想がそのまま出た。
「彼なら、あなたの抱えている問題を解決できるかもしれません」
「彼が……ですか? ですが……」
修が今回、陽と顔を合わせたのは、賢の所有していた別荘について相談するためだった。曰くの付いてしまったその別荘を、不動産会社である稲船に任せる。それが、知人から受けた提案だった。
「あ、やっぱお前の言ってたのってのが彼か。いくらお前でも、この店にただ連れてきてくれたわけじゃないとは思っていたが」
「そういうことだ。さて、場所を移そう。ここじゃ、相談には向かないからな」
そうして、強引に陽に連れ出され、二軒ほど離れた個室付きのレストランに入った。
「すみませんねえ。あそこで高耶君と仕事とはいえ、付き合いがあると聞かれるのはマズイので」
「はあ……」
「ははっ、あの人気っぷりではなあ」
そういえばと思い出す。高耶の登場を待つ間に周りから聞いていた話を考えると、確かにあまり良くないだろうというのはわかった。知られれば、詰め寄られるのは必至だろう。
「そうなんだよ。他の人らも、もちろん付き合いがあるのもいるんだろうが、バレないようにやっているから」
食事もテーブルに並び終わり、食べながら話を進める。
「彼は、いわゆる陰陽師の家系でね。それもあの年で当主だ。だから、曰く付きの建物とかの問題を解決してもらっているんだよ」
「は? 陰陽師?」
「……」
訝しむのは無理からぬことだろう。普通、陰陽師と聞いて胡散臭いと思わない者はこの時代にはそうそういない。
「わかるよ? 胡散臭いって思うよね。けど、彼は本物なんだよ。先日も、怨霊になって家に憑いていたのを祓ってもらった。きちんと見て確かめたからね。間違いじゃない」
陽は、のんびりと食事を続けながら、その家のことについて話した。だが、それを聞いても、にわかには信じられない。
「まあ、信じてもらえなくても仕方ないけどね。それでも、彼ならなんとかしてくれるよ」
「……だと有難いのですが……」
「お札持ってエイエイってやるのかい? あの彼が?」
修にも想像できなかった。あんな演奏を聴いた後だ。仕方ない。現実と非現実ぐらい差がある。
「いやいや、それをやる方が信用ならんよ。高耶君にはすごい式神がいてね。あと、水で出来た剣とか使うんだよ。この前は怨霊を蹴り飛ばして叱り付けてたけどね」
「……想像できませんね……」
「蹴り出んの? あの子?」
こっちの方が信じられなかった。
「はははっ。まあね。見ないとなんとも言えないか。けど、この前ので確信したよ。高耶君はその場の過去を視ることが出来るんだって。これは、応援で来てくれた刑事の人に聞いたんだけどね」
「っ、それは本当ですか?」
「ほぉ。それは確かに、今回の件にはもってこいだ」
その屋敷であったことが、修は知りたいのだから。
そこで、引戸をノックする音が響いた。
「お、来たか。待ってたよ」
陽が嬉しそうに自ら開けた。そこに立っていたのは、私服に着替えた高耶だった。今日、最後の演奏を終えてすぐに駆けつけたのだ。
「お待たせしました」
「いやいや。遅い時間ですまないが」
「いえ。明日は午前の講義が休みなので、夜更かししても問題ありません」
「そりゃあ良かった! 高耶君も何か食べるだろう?」
「いただきます」
「よし!」
陽は早速メニューを取って色々と注文し出した。その間、席に座った高耶は、前に座る修へ声をかける。
「はじめまして。現役のピアニストの方に聴いていただけて光栄です」
「っ、私のことを知って?」
「はい。昨年の夏のロンドン公演に、知り合いに連れて行ってもらいました」
「そうだったのかっ。あ、いや、とても嬉しいよ」
修はかつてない程の喜びを感じていた。それだけ、高耶という存在が、修の中で大きくなっていたのだ。
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