第003話 平穏な一日を願う

夜七時を回る少し前。


母が仕事から帰って来た。


「お帰り母さん。夕飯作っておいたから、父さんが帰って来たら温めて食べろよ」

「ありがと~。あ、優希ちゃんは?」

「勉強してる。怒ってやるなよ。学校に行けなかったからその分、家で勉強するって、昼からずっとやってんだ」


優希は、学校を休んだ事に罪悪感を感じていた。元々、通学団で学校までは行っていたのだ。教室に入る前に嫌なことがあって、そのまま飛び出して来てしまったらしい。


なまじしっかりしている子なので、思い切った事をやる。まだ一年生になって数ヶ月。普通は学校に行ったら一人で帰ろうとは思わないだろう。それをやれてしまうのだ。相当悔しい思いでもしたのか、ある意味勇気がある。


「あらあら。そう」


母は寧ろ良くやった的な顔をしていた。優希の手元へ目をやった母は、今度は高耶を見てその表情を浮かべる。


「手作りの問題集?」

「……時間割り通りに勉強するって言うから、簡単にな……」

「デキる息子で助かるわ」

「はいはい。俺は出かけるからな。帰りは遅くなるからしっかり戸締りしろよ」


照れ隠しをしながら高耶は玄関へ向かう。荷物も準備万端だ。


「わかったわ。優希ちゃ~ん。お兄ちゃんが出かけるからいってらっしゃいしましょ」


母が声をかけると、優希が走ってくる。


「いっちゃうの?」


寂しそうにする顔を見ると、少しばかり心が揺らぐ。よく懐いてくれているのが分かって嬉しいばかりだ。


「ちょっとお仕事にな。留守番頼んだ」

「……はい。いってらっしゃい……」


不満そうだが、母が頭を撫でて無理やり納得させる。


「気を付けてね」

「ああ。行ってきます」


手を振る母と妹を玄関に残し、高耶は家を出た。時刻は七時二分前だ。


「なんとか扉を使えば間に合うか」


まだ日が落ちてからそれほど時間が経ってはいないが、これくらい薄暗ければ大丈夫だろうと、高耶は人や車を轢かないように気を付けながら駆けた。


これは、有名な忍びの技術の一つだ。まったく節操がない先祖にも困ったものだと思わなくもない。


向かうのは駅で二つ行った隣町。しかし、今高耶が向かったのは駅ではなく、寧ろ駅から離れたマンションだ。


その一階の一部屋に滑り込む。


「あ、高耶さん遅刻っスか?」

「……やかましい」


部屋の主は、高耶が以前助けた人狼の血を引く青年だ。先祖返りのせいで、生まれた町で暮らせなくなったこの青年をここに住まわせている。


後見は、現代の陰陽師や魔術師達が連携して発足された『幻幽会』だ。名前は怪しいが正式に認められている団体でもある。


元々、日本には妖と呼ばれるものが多い。八百万とまで言われる神の多さも関係しており、そんな人外の起こす現象や事件は毎年、多数上がってきていた。


それらに対処できる者たちは貴重で、不思議や不可解な事を嫌う現代を守るため、国や世界が密かに手を組んでいるのだ。


彼のように、妖の影響を受けて普通とは違う力を持ってしまった人々を支援するのは会の事業の一つだ。そして、そんな人々は高耶のような者に恩を感じており、色々と協力してくれる。


「最近は面倒っスよね。どこもかしこも防犯カメラがあって」

「まったくだ。そんじゃ、扉を借りる」

「どうぞ~。行ってらっしゃいまし~」


ドアを閉め、ポケットに無造作に入れてあった紙を取り出す。それに力を込め、ドアを慎重に開ける。一歩を踏み出したその先は、隣町にあるバイト先の店内だった。


ドアを閉めて、確認のためにもう一度開ける。すると、問題なくバイト先のドアを開けた先の外の裏路地だ。転移は上手くいったらしい。


ここの防犯カメラはドアを入った中にあるので安心だ。


高耶のバイト先の一つ。クラブ『エルターク』お洒落な社交の場であり、お客のほとんどは様々な業種の会社の社長や重役達。国籍も問わず多くの人がやって来る。


商談のためでなく、あくまでも対等な交流を持つ場として重宝されるクラブだ。とはいえ、ここで出会って商談が決まることも多々あるらしい。


そんな店のジャズピアニスト兼、警備要員として高耶は週に一回働いている。制服に着替え、仕事用に髪を整えてメガネを取ってからホールに出ると、オーナーと目が合った。


野暮ったい印象から一転、どこからどう見ても好青年に見える。


「遅くなりました」

「家は大丈夫だったか?」

「はい。ありがとうございます」

「いや、家族は大事にしろよ。それより、来てすぐで悪いが、常連が待ってるぞ」

「わかりました」


いつも高耶の演奏を楽しみにしてくれている客達が、もう席で待っているらしい。それに応えるためすぐに向かった。


「おっ、やっと来たか高耶くん。今日も良いの聞かせてよ」

「高耶ちゃ~ん。今日もステキ!」

「一週間、待ってたよ〜」


まるでアイドルのようだと揶揄されたのはいつだっただろう。高耶の他に三人いるピアニスト達よりもファンが多いというのは聞かなかったことにしている。


高耶がピアノを始めたのは、能力の高さからピアノや他の楽器なんかも極められるのではないかと思い立ったのがきっかけだった。


一族の凄さは、何でもこなしてしまえる能力の高さにある。物覚えが良く、全てを修練の結果、可能にする能力。それを生かし、ピアノも覚えた。教えてもらったのは、公園でたまたま知り合い、今はもう亡くなった日本でも有名なピアニストだった。


実は演奏には陰陽術の力を少し込めている。高耶の握力では、気を付けないと弦をすぐダメにしてしまうのだ。気持ちが入ると余計に力が入るもの。だから集中するためにも始めてみたのだが、音が響く範囲の場所が少なからず浄化されるという効果が出てしまった。


お客達は、この効果を実感しているのか、高耶の演奏をセラピーの感覚で聞きにくるようになった。


休憩を入れながら四時間。十一時に上がる。


「お疲れ。今日は平和だったなぁ。お前が居るとトラブルが何でか起きないんだよな。お客が穏やかになるっていうか、出来れば後一日入って欲しいんだが?」


ここでまとまった前商談は多い。それも、高耶の日は特にそれが顕著に出る。もちろん、力のお陰だ。


「すみません。他にも仕事入れてるんで」

「だよな。気が向いたらいつでも言ってくれ」

「はい。お先に失礼します」


この一連の会話はほとんど毎週している。気に入ってもらえるのは嬉しいが、あいにく、高耶は普通の学生より忙しい身だ。


そして、またドアから来た時に使ったマンションへ転移する。今度は中の住人である青年と顔を合わせることはない。もう寝ているのだろう。外に出たようになるので、扉を閉めたら鍵もかかった状態だ。


家に向かって歩いていると、頭上から声がかかる。


《今日は体をほとんど動かしてねぇぞ》

「……それ、毎週言ってるだろ。週に一日くらい休ませろ。陰陽術は使ってるだろ」

《何を軟弱な! これだから今時の若者はっ。いいか! 一日休めばそれだけ体が鈍るっ。動く事で常に肉体の熱量を一定に保ち、毎日コツコツ……》

「はいはい……」


本当に面倒くさい。一日中、師匠に張り付かれ、事ある毎にお小言が降ってくるのだ。勘弁して欲しい。


「こんな煩いのが見えるのが羨ましいとかいって、ネチネチと妬まれる身にもなれってんだ」


明日の夜の会合。そこに懲りずに顔を出すであろう本家の従兄弟達の事を思い出し、欠席にすれば良かったと今更ながらに考える。


《高耶! そんで、オレをいつ霊界に送るんだ!》

「っ、だから何で帰って来やがった!?」

《あんなところで一人寂しいのはいやじゃ!》

「『いやじゃ』じゃねぇよ! 手間かけさせんじゃねぇ!」


後十分で家に着き時刻は十一時半。夜食を食べて風呂に入って十二時を過ぎる。日が悪いのと場所の関係で霊界の門を開くのにそれから一時間。眠れるのは二時近くなるだろう。


高耶は、睡眠時間が削られるとストレスが溜まる。これから一週間、どう睡眠時間を捻出しようかと考えながら、ため息をついたのだった。


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