第17話 盾作り、求婚する
その日、リルは珍しく安樹の工房を訪れなかった。
仕事が終わり、弟子たちが工房から引き上げると、安樹は一人残ってリルのための新しい盾を作りはじめた。
盾の性能は、設計の段階、つまりどんな素材でどのような形の盾を作るかというところで九割方が決まってしまう。設計が同じなら、弟子たちが作った盾と安樹が作った盾の間にもさほど大きな差はなかった。
どんなに良い盾でも二十本の矢を受ければ壊れて当たり前で、安樹の腕をもってしても、それを二十一本にするのが精々だ。
しかしそれでも良い、と安樹は思っていた。
戦場では、その一本の違いが明暗を分けることもある。
リルを守るための盾を作る。
彼女の髪一本でも多く守れるのなら、どんな苦労も惜しくはない。
安樹は昼間のシギの言葉を思い出していた。
「なぜ、盾作りになったか」
安樹は生まれたときから盾作りの家にいて、それ以外の道へ進むことなど考えたこともなかった。だから、昼間あわてて口にしたあの答えも決して嘘じゃない。
でも冷静になってよく考えてみると、今、このオルド・バリクで盾を作っている理由はただ一つ。
リルを守るためだ。
(そういえば、シギ様は他にもおかしなことを言っていたな)
「鉄砲を防ぐ盾ができるか?」
単なる話の流れかもしれないけれど、シギは無駄なことを言う男じゃない。そう思うと、安樹の心はざわついた。
もしかしたら、キヤト族は近いうちにシャンバラとの戦争を予定しているのではないか? そのために鉄砲を防ぐ盾を必要としているのではないだろうか?
鉄砲という武器を、安樹は話でしか知らない。
火薬の力で鉄の弾を飛ばす飛び道具。
一里先からも標的に当てることができるという世界最強の武器。
そんなものが本当に世の中に存在するのかすら、安樹には疑問だった。
しかし、キヤトの赤き狼がその鉄砲と渡り合う可能性があるのなら、彼女の盾はそれを防げなければならない。
いつ帰ってくるかわからない師匠を待っている場合じゃないのだ。
今、彼女を守れるのは、自分しかいないのだから。
安樹は、作りかけていたリルの盾を設計から練り直すことにした。持っている知識と工夫を総動員して、最強の盾を作らなければならない。
その夜、安樹の工房の灯りが消えることはなかった。
* * *
次の日も、その次の日もリルは来なかった。
安樹は、最強の盾作りに没頭していた。
強力な飛び道具を防ぐには、何よりも表面の鉄の硬さが必要だ。できるだけ炉の温度を上げて硬い鉄を作らなければならない。しかし、硬い鉄だけでは繰り返しの衝撃ですぐにひび割れをおこしてしまう。
硬い鉄を柔らかい鉄の上に焼き付ける技法は、田常から教わっていた。
さらにもう一つ工夫を凝らした。
鉄砲が小さな鉄の弾丸を飛ばすものならば、正面から弾き返すのではなく、角度をつけて軌道をそらす方が有効だ。
このため安樹は、二層の鉄を丸く伸ばして盾の形を半球面とした。
衝撃を逃がしにくい半球の中心部分は鉄を厚くして補強をいれる。最後に表面全体を磨いてできるだけ滑らかに加工した。
こうして作業を開始してから十日後、リルのための新しい盾は完成した。
それは、安樹にとってこれまでの技術の全てをつぎ込んだ集大成といえるものだった。半球であるため持ち運びは不便で打撃武器の防御には劣るけれど、飛び道具に対してはまさに鉄壁を誇る。
(これならば、キヤト族の強弓であっても耐えられる……しかし、はたして鉄砲となると)
安樹の胸には、やり遂げたという達成感と、それでも残る不安感が同居していた。
* * *
リルが安樹の工房に現れたのは、それから数日後の夜のことだった。
前の訪問から二週間あいたことになる。
最強の盾の作成に夢中で安樹は気づいていなかったけれど、戦もないのにリルがこれほど長く会いに来ないのは初めてだった。
久しぶりに現れたリルは青い唇をしていた。
いつも赤みを帯びた頬が今日は白い。
(体の具合でも悪いのか?)
安樹の頭に不安がよぎる。
けれど、リルは安樹を見ると満面の笑みを浮かべた。
「アンジュ、遅くなってすまないな。やっと父様との交渉が成立したんだ。おまえは今日からオルド・バリクの囚人じゃなく、キヤト族の一員だ。城の外におまえの天幕を準備させているから、完成しだいそこに移れることになるぞ」
「ありがとうございます、姫様。私のために骨を折っていただいて」
安樹にとっては、オルド・バリクで囚人として暮らすのも、草原でキヤト族として暮らすのもたいした違いではない。
ただ、リルが自分のために何かをしてくれることは嬉しかった。
それに何よりも、囚人のままではどうしても手に入らないものがある。
リルの前にひざまずくと、安樹は改まって言った。
「それでは、姫様、先日のお話をもう一度させていただきとうございます」
安樹の脳裏に、五年前、延安の郊外ではじめてリルに話しかけた日の記憶がよみがえる。
あの時はわけもわからずに十年後も二十年後もリルを守ると誓った。
状況はまったく変わってしまったけれど、あのときの約束は今も安樹の胸で生きている。
「姫様はおっしゃいましたね。私がキヤト族の一員になれば、キヤト族の娘を娶ることができると。私はこの五年間、姫様だけを頼みに生きてまいりました。これからも一生を姫様に捧げるつもりです。もし許されるなら、私と結婚していただけませんか。すぐにとは言いません。ハーン様のお許しをもらえるよう頑張ります。盾を一万枚作れと言われれば作りますし、十万枚と言われても作ってみせます」
石造りの工房に、沈黙が訪れた。
リルはさっきまでの笑顔を徐々に引きつらせると、とうとう安樹から顔をそらし、搾り出すように返事を返した。
「その話なんだがな。それは、ちょっと……無理だ」
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