第146話 世界を焼き尽くす憎悪

 統一政府軍第76師団対北部州軍、武力介入したフェンリル対、ツヴィーテ。

 いずれの戦況も膠着状態にあった、メイヴァーチルは未だ凍り付いたまま沈黙している。


 隙あらばメイヴァーチルにとどめを刺そうとするツヴィーテ。

 隙など欠片もなく、珍しくもメイヴァーチルを守る立ち回りを見せるフェンリル。


「お前達スラーナ人こそが、もっとも我々の指導する統一政府の恩恵を享受していると気付かないのか?」


 リサール人カゼルの肉体を再現した戦闘、しかも凍結したメイヴァーチルを庇いながら。


 流石のフェンリルにも疲労の色が滲む。

 それを踏まえてなのか、それともツヴィーテを説得したいのか、心理的揺さぶりを仕掛ける。


「北部の発展は、北部人民の血と汗と努力の賜物だ」


 剣を構えたまま毅然と、ツヴィーテは反駁した。

 確かに北部州の発展に統一政府の影響は計り知れない程大きい、だが、その最終的帰結はこの戦禍だ。


「フン、まるでガキの様だな。何も分かっちゃいない」


「ほざけ!」


 ツヴィーテは勢い良く先手を取って斬り掛かる。

 フェンリルは手も口も良く働く男だ、黙らせるのが最も効果的な対策。


 フェンリルは容易に躱す。

 ハナから回避に徹しているフェンリルを斬る事は至難だった。


「何も北部に限った話じゃないが。寒冷地農法、魚類の養殖、新兵器の開発、新魔法の開発、連邦経済の発展。此等の急速な技術革新が、本当にこの国の国民の努力の賜物だと思うか?」


「……また得意の挑発か、それとも政府公告プロパガンダか?」


「まあ聞け。北部州知事ならば、知っておくべきことだ」


 フェンリル、軍服の肩に軍刀を預けて演説し始めた。

 ともすれば、彼が腹を割って話せる人間は、同じ景色を見て生きて来たツヴィーテしかいないのだ。


「……幾らそこの氷像メイヴァーチルの″大枚ポケットマネー″が注ぎ込まれ、エルフの純粋種の名の下に統一されたからと言って、たった5年で、ここまで発展すると思うか?まして、今まで戦争しかしてこなかったこの世界の人類ゴミクズが……」


 誰かが何かを返答する代わりに、銃声、砲撃音。

 そして、ぴし、とメイヴァーチルを包む氷が、実に嫌な音を立てた。


「″俺達の統合政策が優れているからだ″とでも言いたいのか?イカれた戦争狂め。幾ら文明を飛躍させたところで、てめえ等は足下が見えてねえから反乱を起こされるんだよ」


「ククク……足下が見えてないのは果たしてどっちだ?この国の急速な発展を支えたのは、我々の異世界侵略と魔石化技術だ」


「詭弁だな。アンタは、自分の侵略戦争を正当化したいだけだ!」


「お前達人類は情報の継承力故に、他の獣を凌駕した。魔石化技術が、それを更に加速させたんだよ」


「魔石が発する微弱な電気信号は、貴様等人間の脳を走る神経信号パターンに対して極めて高い親和性がある。なにしろ元は人間だからな」


 魔石の製造・量産の担当は、フェンリル達魔神帝国から、メイヴァーチル率いる連邦魔法開発局の製造部門へ引き継がれた。

 フェンリルはあくまでその成果と概要を知っているだけ。


「これを使えば、この世界にごまんといる″戦争しか出来ない猿″でも魔力エネルギーを獲得し、それを放出するという神経伝達パターンと脳細胞の動きを記憶して、開発魔法を覚えられるんだ」


 この分野の開発と研究には、特に莫大な国家予算が投入され、結果として統一政府軍の軍事力を飛躍的に増強させた。

 経済力と軍事力は密接に結び付いているからだ。


「……まさか」


「察しが良いな。魔法という情報群を短時間で人間に記憶させられるならば、応用も可能だ。この人間から作ったちっぽけな石ころには、生前の経験や知識、あらゆる情報が詰まっている」


「我々が異世界を侵略出来る軍を組織したのは見ての通り。そして、植民地にした異世界の寒冷地農法や魚類の養殖に長けた者達を民族浄化エスニック・クレンジングによって根刮ぎ魔石化し、それを貴様等スラーナ人の″事業経営希望者″に配布した」


「だから、お前達はある日突然、この凍て付いた大地で上手いこと農業をする方法を思いついたんだよ!」


 フェンリルは、軍刀を肩に預けたまま左手を広げ、そう宣言した。


「そんな馬鹿な話が……!」


「それが、メイヴァーチルの″事業支援″の中身。お前はただ北部の猿山の大将として担ぎ上げられていたに過ぎん」


「お前のご自慢の″魔力凍結″もそうだ。丁度先月″無力化″した異世界に、そんな魔法を使う奴がいたのさ。そいつは統一政府軍にも出回ってない最新式、故にメイヴァーチルも対策がなければこのザマだ」


 フェンリルは、軍刀で氷漬けになって突っ立っているメイヴァーチルを差して言った。


「俺達が異世界侵略で奪って来た力で、メイヴァーチルを倒した気分はどうだ?″ツヴァイト″」


「てめえはどこまで人をコケにすれば気が済むんだッ!?」


 ツヴィーテは激昂し、勢い付いて跳び出したが、途中で冷静さを取り戻した。

 フェンリルは軍刀を思い切り叩き付け、突っ込んで来たツヴィーテを軽々と弾き飛ばした。 


「くッ……!」


 落ち着け、奴のペースに乗せられるな。

 ツヴィーテは努めて自省した。


「お前は自分のその力や、北部の復興と発展を人間の努力の賜物だと思っているようだが、実際に我々の政策の恩恵を享受しているのは、他でもないお前達だ!」


 ツヴィーテがそうする間にも、フェンリルはまるで呪文の様に演説を続ける。

 映像受信装置の政府広告の拡大版の様で、聞いているだけで頭がどうにかなりそうだった。


「てめえこそ、そうやって人を見下すことしか出来ねえから、こんなイカれたエルフを傀儡に仕立て上げて独裁体制を敷かなきゃならねえって気付いたらどうだ!?」


「フン、お前は俺達の政治を軍事独裁と呼ぶが、俺達がやっているのは″異世界転生″という、今まで一部の神や一部の転生者によって独占されていた″力″の民主化だ!」


「なんだと?」


「これによって我々の世界は、一気に発展が加速し、この大陸の歴史上かつてない文明が花開いた。たとえそれが実を生さぬ徒花あだばなだとしても、今や主軸世界にも比肩し得る程に連邦は成長したのだよ、ツヴィーテ」


「……たとえそうだとしても、目的が破綻している。アンタだって分かってる筈だ!最終戦争なんぞの為に一体どれだけの人間を道連れにするつもりだ?何故お前とメイヴァーチルは、そうまでしてこの世界を憎むんだ!?」


 生前のカゼルは世界に絶望し切っていた。

 ツヴィーテにも、カゼルがもはや怪物フェンリルになってしまった事は分かっている。だが、そう問わずには居られなかった。


「何故この世界を憎むかだと?知れた事を……」


 フェンリルは軍刀の血脂を指で拭き取り、地面に突き刺した。

 いつもの様に両手を組んで、語り始めた。


「この女はな、エルフを滅ぼした人類も、人類に迎合して生きるエルフも、何もかもが憎いのさ。復讐を果たす為ならば、魔神王オレとも手を組む。それだけのこと」


「そして……逆に聞こうか、ツヴィーテ。俺がまだ人間だった頃の、俺達の戦いは一体なんだったのだ?」


 フェンリルの人間を見下すかのような傲岸さが全く鳴りを潜めた。

 それどころか、カゼルから切り離される形で、どす黒い毛皮を纏った見上げる様な狼の魔神が飛び出した、殊勝にも獲物を前にした猟犬の様にお座りをして待っている。


 正確に言い表すならば、フェンリルとカゼルはお互いを補完し合って魔神王として転生した。今は、カゼルの精神体が実体化を果たした。

 それほどに、魔神王フェンリルという"議会"に於いてカゼルの意志や力が強まっている事の表れだった。


「俺達は、こんなあらゆる悪の吹き溜まりの様な世界で、互いに憎み、殺し合い、荒野に吹き荒ぶ砂塵へ還る。ただそれだけの為に産み出された存在なのか?」


 久し振りに実体を伴って現れたカゼル。

 死して、魔神王に転生し、大陸を統一したにも関わらず、その心中はただ漆黒の闇に囚われていた。


「それは……!」


 荒涼とした風が、乾いた骨も、錆も、全てを連れ去っていく。

 カゼルとツヴィーテ、荒野の黒騎士達が共有する景色、この世界のたった一つの真実。


「女神エルマも、戦神ルセイルも、貴様等スラーナ人を創った魔神ベレトも!……元いた世界で信仰や居場所を失って、この出来損ないの世界に流れて来た敗北者に過ぎない」


「そんな奴等の掌の上で踊って来た俺達の人生は、いったい何だったんだ?」


「俺達が命を賭けて戦ったあの戦争も、元を辿れば女神エルマと戦神ルセイルの、ただの縄張り争いだ」


「そんな下らねェ事の為に、″あいつ等″は死んで逝ったのか?」


「……ッ」


 カゼルは、今や本当に化けて現れた。

 まさに怨霊の様に呪詛の言葉を紡ぐ彼は、黒鎧達の怨霊の代表なのだ。


 その賭け値無しの絶望。

 底の見えぬ深さにツヴィーテは絶句した。

 最終戦争を遂行するという果てしない憎悪がそっくり収まるだけ、カゼルの絶望は深かった。


「俺は、断じて認めねェぞ。ツヴィーテ……」


「アンタは……!」


「……証明してやるよ。俺達はこの荒れ果てた世界で、ただ搾取され踏み躙られるだけの存在ではないという事をな」


「この世界を支配していた出来損ないのクズ共は既に始末した。次は主軸世界のクズ共だ」


「"黄昏作戦"によって、″異世界転生″を推進した神共も、奴等の言いなりで俺達の世界を踏み荒らして来た全ての″侵略的異世界勢力″にも思い知らせてやる。奴等の住まう世界から全てを奪い、このアルグ大陸と同じ荒れ果てた荒野に変えてやるよ……!」


「カゼル……アンタは……もう……!」


「主軸世界の全てを喰らって、"完璧な世界"は産まれ落ちる。俺はその世界を、死んで逝った者達へ捧げよう」


『話が長いぞ、さっさと殺せば良かろうに』


 地面に突き刺した軍刀を握り、引き抜いたカゼルは、お座りで待っていたフェンリルと再び同化した。


*


 手指の延長の如く、統一政府軍の軍刀を振り回すフェンリル、ツヴィーテの猛攻撃を涼しい顔で防ぎ切っている。

 魔神王として、ほとんど力を行使していないにも関わらず。


「この国の秩序と平和を守るの為の魔法動員だ!何故、貴様等はそれを理解しない!?」


 魔神王フェンリル、こと接近戦に於いて全く隙が無い。

 ツヴィーテは一切の余念なく己を鍛え上げたつもりだったが、魔力凍結という決定打を見せてなお、勝負はほぼ互角だった。


「お前達人間がその力を示す程に、魔法動員の正当性は更に証明される!」


 もはや、問答無用。

 ツヴィーテは返答する代わりに、左手に軍刀を、そして右手にはパーシアリを構えて斬り掛かった。

 奇しくも、丁度カゼルの二刀流、絶対鏖殺と同じ構えだった。


「うおおォッッ!!」


 ツヴィーテの左手に構えた軍刀がフェンリルの左胸に突き刺さった。

 柄を伝って、魔力凍結によってフェンリルの動きを止める。


 すかさず軍刀から手を放し、ツヴィーテは右手に構えたパーシアリに左手を添えて、フェンリルを袈裟に叩き斬った。


 軍服が真紅に染まった。

 フェンリルが化けているカゼルだが、何故だか悲しげに笑っていた。


「なる、ほど……な……」


「カゼル、アンタはもう死んだんだ……とっくの昔にな」


「ハッ……そう、だったな……」


 ツヴィーテは有りっ丈の氷結魔法を発動させ、フェンリルを魔力ごと凍結させることを試みる。


「……いつか誰かが俺を殺しに来ると思っていた。魔神王オレを倒す勇者が現れると……」


「それは、お前だと思っていた……」


 ツヴィーテの手によって凍り付いていくカゼルが、誰に語り掛けるでもなく嘯いた。


「どうやら……それも、違ったらしい……」


 膨大な、暗黒の魔力がフェンリルへ集中していく。

 それは憎悪、この戦乱に満ちた世界、異世界へ破壊と殺戮の輸出を始めたこの世界には幾らでも存在している。


 フェンリルが、全身にあの漆黒の外骨格を纏い始めた。


「なァ、ツヴィーテ……"あの日"の俺達に、この力が有れば……」


 それでもなお、カゼルの姿を保ったまま、フェンリルは言葉を繋いだ。


「俺は、あいつ等を死なせずに済んだのか?」


「……エーリカと、アーシュライアを救えたのか?」


 人間には到底贖えない絶望が、己の無力への絶望が、カゼルを魔神王に変えた。


「カゼルッッ!!」


 叫んだツヴィーテは、爆風にも似た魔力圧に弾き飛ばされた、凍て付いた地面に背中を打ち付け、肺の中にあった空気を全て吐き出す。


 軍服は、悍しき黒い炎に焼き尽くされて、その代わりにフェンリルは騎士甲冑にも似た漆黒の外骨格を纏い、金色の魔力紋が走る。


 ツヴィーテも良く知る、カゼルのタトゥーと同じ柄。

 骨が剥き出しになったような尾が、地面を刳りながらなぞる。


 かつてカゼルが被っていた物に酷似した角兜。

 その前面に走る亀裂から、幾つもの眼が、ぎょろぎょろ、と覗いた。

 そのすべてが、煉獄の景色を映し出している。


 ツヴィーテは激痛と戦慄に支配されながらも、強靭な意志の力をもって立ち上がって再び剣を構えた。


 魔神の中でも、また異形。

 憎悪の悪魔にして、終焉を告げる者。

 魔神王フェンリルが遂に正体を現した。

 

「全ては詮無き事だ」


 外骨格に包まれた右手が、左胸に突き立てられた軍刀の刃を容易く砕き、即座に外骨格を復元した。


「貴様との腐れ縁も、そろそろ終いとするか」


 フェンリルの鎧形態移行に伴い、空を闇が包む。黒く染まった空を裂く稲妻が降り注ぐ、そして風が死を運んだ。

 丁度、落雷が凍結し沈黙していたメイヴァーチルに降り注いだ。


「……やっとか。遅いよ、フェンリル」


 氷を砕きながらメイヴァーチルは肩を回し、魔神王と大総統が揃い踏んだ。

 対峙するツヴィーテにとって、ただただ悪夢の様な光景だった。

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