第102話 喫緊の脅威と認識を改め、対応を検討していく。

「ふーむ、どうしたものかねえ」


 魔神王が、人の死体を無理矢理使役する。

 まさに魂の陵辱とでも呼ぶべき悍ましい光景を映像魔法のモニタリングによって観測してなお、メイヴァーチルは相変わらず呆気らかんとしている。


 彼女にしてみれば魔神王なのだからそれぐらいやるだろう、という程度の認識に留まる。

 だが同席していた冒険者ギルド本部長のローゼンベルグは、先程摂った昼食を便所に吐き戻してきたところだ。

 

「あのイルフェルト将軍が子供扱いかよ……」


 元王国軍士官のローゼンベルグと現王国近衛騎士"だった"イルフェルトは旧知にして一方的ながら因縁浅からぬ間柄であった。


 火炎魔法の破壊力に物を言わせるローゼンベルグ、今やメイヴァーチルの手下に成り下がった彼にもかつて血気盛んだった時期があった、ある時からそれは鳴りを潜めた。


 何もメイヴァーチルに出会ったからではない、王国軍時代、既にイルフェルトという強者の存在を知ったからだ。


 作戦中の脚の負傷のち軍を辞めてからは、彼は冒険者ギルドに所属した。

 メイヴァーチルの魔法研究所で発明された反射魔法ダメージ・リフレクションを得た。

 この凶悪無比な、もはや魔法兵器とでも呼ぶべき代物は白兵戦を挑んでくる手合いには効果は覿面。

 それはあの魔神王でさえ、例外ではない。


 ローゼンベルグとしては、いつになく昔の血が騒いだものだ。

 機会があれば、今一度イルフェルトに挑戦し雌雄を決するのも吝かでは無かったところだが、最早それが叶う事はなさそうである。


「まあでも、嬉しい誤算もあったかな。ボクはちょっとばかりフェンリルの事が分かって来たよ」


「というと?」


「見た目は化け物だが、意外と中身は素体カゼルとやらが残っているようだね」


「何故そう思うんです?」


「同じ騎士と見るやウダウダ説得しようとしてみたり、中々殺そうとしない辺りがそうだね。脳筋馬鹿の考える事なんてボクには分からないが」


「アンタも大概脳筋でしょうに」


 白銀が翻った、ローゼンベルグは即座に反射魔法を発動させる。

 たまには自分のパンチを喰らってみやがれと言わんばかりに悪辣に嗤った。


「リフレクショッ……」


「うーん、やっぱそれまだ改良の余地があると思うんだよね」


 メイヴァーチルの左の掌底は、きっかり1ミリほど残して寸止めされていた。

 当たり前だが、反射魔法の効果範囲内でなければ用を為さない。


「ぶはァッ!?」


 ローゼンベルグはメイヴァーチルの寸止めからの掌底打。

 いわゆる寸勁をモロに受けて勢いよく吹き飛ばされた。


*


「……ブランフォード家と言えば、末子でも遊んで暮らせる様なボンボンの筈でしょう。それが何故あんな化け物に?」


 ローゼンベルグは鼻血を拭きながら、殊更痛がって見せた。


「そうだねえ」


 かつては帝国の独立領だったブランフォード家の戦力だけでも、王国や冒険者ギルドがそう易々と手が出せる存在ではない。

 そこへ喧嘩を売るメイヴァーチルの攻撃性のいかにエルフ離れしていることか。


「"シルバーランクの冒険者アイゼル"、又は帝国特務騎士カゼル。情報を洗えるだけ洗ってはみたよ」


「……リサールの黒い狼の悪名なんざ、ガキだって知ってます」


「こいつは噂以上にとんでもない男だったと分かった」


「ボスがそこまで言うとはね、なんだっていうんですか」


「若い頃に南部を解放している。16,7のガキが、だんびらを振り回してオークやオーガを叩き斬り、地元の軍閥やウチの現地支部を叩き潰し、市民を権益支配から解放した……ま、触りだけでも読んでみな」


 ばさ、とメイヴァーチルは紙束をローゼンベルグに手渡した。

 毎度のことながら、メイヴァーチルは情報収集力も半端ではない、大組織ぼうけんしゃギルドを構えるなら情報は命だ。


「……マジか」


 ローゼンベルグは王国軍時代、老兵ベテランから聞いた事がある、ふと思い出した。


 「帝国軍の"黒鎧"を見たらとにかく逃げろ、間違っても戦おうなんて思うな」


 ベテランの爺さん曰く、一度だけ戦場で奴を見た事がある。

 突っ込んだ味方が瞬き程の間にぶつ斬りにされて転がっていたという話だった。


 そして、怖くなって逃げた。

 だから今も生きて、昇進する事無く下っ端の兵隊を続けてる。

 その代わりこうしてお前達に伝えられる。

 アレを倒せるのは人間じゃねえ。


 爺さんはそう言っていた。


 それは、カゼルがまだ人間だった頃の話。

 残念なことにそのカゼルは魔神王に成り果て、今のローゼンベルグ達には逃げ場がない。


「まあ、まず間違いなくブランフォードの血統だね。恐らく、バルラドも南部解放それを見込んでコイツを送り込んだのだろう」


「このカゼル・ライファン・ブランフォードという男は間違いなくブランフォード家の次男、それに見合うだけの武力と統率力を持って"いた"。それが紆余曲折あって、世界を憎む悪魔に成り果てた。まあ、そんじょそこらの人間の手には負えないよね……」


「ボス、西の港に連絡船が来ている。それで大陸の外に逃げませんか?」


「それは名案だねえ、ロズ。だがキミはフェンリルに負けて以来ずっと、毎日悪夢に魘されてるボクを止められるかな?」


「あー、それはそれでムリっす」


 まだ冒険者ギルドで発注している化け物の討伐依頼の方が容易いというものだ。


「奴にとっては、もしかするとこれも"解放"戦争なのかもしれない。ボクにとっては己の沽券を掛けた"生存"戦争だ」


「じゃ、俺だけでも逃げます」


「ウチを辞めるなら殉職を覚悟してね」


「えぇ……」


 むしろ、ローゼンベルグはそう言って欲しかった。

 もう、腹を括るしかないのだと。


*


 イルフェルト達の決死の忠言を受け、王都まで退いたエストラーデはある意味で誰よりも頼りになるが、頼りたくはない相手と会う約束を取り付けた。


 通常の人間の軍事行動では有り得ない事だが、魔神王が王国北部の都市を無視して王都に直行した場合、今日明日にもこの王都が戦火に晒されても不思議はない。


 対魔神王の防衛戦争は、有り得ない事ばかりだ。

 たった数体の魔神に、王国軍が手も足も出ないまま壊滅に追いやられるなど。


「それは大変だったねえ」


 語調には労いと慈愛が含まれる、だがどこか清々しさすら浮かべているメイヴァーチル。

 対照的に、冒険者ギルド本部長ローゼンベルグはまるで訓練の行き届いた軍用犬の様に静かに本部長の席に収まっている。


 仮にも冒険者ギルドの本部がある王国が魔神の侵略を受けているというのに、そんな時だからこそなのか、メイヴァーチルは人間の死を望み愉しむ素振りを隠そうともしていなかった。


「他人ごとではないのだぞ、メイヴァーチル」


 エストラーデは語気も強くメイヴァーチルを怒鳴った。


「分かってるよ、冒険者ギルドとしても早急な……」


 けろりとしたまま何時もの台詞を口にするメイヴァーチルはエストラーデをおちょくっているのか、薄ら笑いなど浮かべている。


「対応を検討するでは間に合わん!」


 エストラーデはそれ以上メイヴァーチルが誤魔化す事を制した。

 国境際の戦闘ではイルフェルトを始めとする、数千を下らない兵士が犠牲になっている。

 最早、健在なのは直属の王国竜騎兵のみと言っても過言ではない状態だ。


 北部での戦闘いっぽうてきなぎゃくさつを含めれば優に損害は数万を超すだろう。それを受けて、何も思わぬ程彼女は冷徹にはなれなかった。

 エルマ人の利益を最優先する女王だからこそ、彼女は一定層の王国民から絶大な支持を受けていたのだ。


「やれやれ、こういう時こそ指導者には冷静さが求められるんだよ。エストラーデ」


 1200年以上を生きた年の功か、それとも耄碌しているのか定かではない、メイヴァーチルは暢気な口調のままだった。


「私は目の前で何人も部下を殺されたんだ、冷静でなど居られるか!」


「勝つ為に死力を尽くして戦うなんてのは前提条件に過ぎない。戦いに至るまでどれだけ態勢を整えられるかが肝要だ。ま、先走って突っ込んだキミに、今更言っても遅いけどね」


「……」


「ボクは態勢を整えているから待ってくれと言った筈だ。イルフェルトを含めた近衛騎士を軒並み犬死にさせるくらいなら、降伏した方がマシだったかもね」


 メイヴァーチルは皮肉を込めたか、或いは自嘲気味にそういった。

 かつて数十代前のエストラーデの先祖に、エルフ族が駆逐された時もそうだった。  

 

 いつだって弱者は選択肢をもたず、それさえ奪われる。


 だからメイヴァーチルは、今こうしてフェンリルを仕留めるべく暗躍している。

 どれ程の化け物だろうと、一歩たりとも譲歩するつもりはない。


「貴様、王都に居ながら何故そこまで戦況を掴んでいる……まさかとは思うが」


「ん?ああ、そりゃあそうだよ」


 あっけらかんと、メイヴァーチルはそういった。


「貴様メイヴァーチル、我々を裏切ったのか!」


「激昂しやすいのは短所だ。キミが付け込まれるのはそういうところだよ、エストラーデ。現状の王国で魔神王を殺すには戦力も情報も足りない、確実に殺す為に手を組んだ振りをしている」


 確実に殺す、その中にはエストラーデやバルラド、マーリアも含まれており、その様にフェンリルに"注文"したつもりだったが、今の所達成されていない。


 冒険者ギルドとしてメイヴァーチルがやるべきことは変わらない。

 来たる対フェンリル戦に向けて万全の態勢を整えること。


 故に、メイヴァーチルの『対応を検討していく』という言葉に嘘はない。

 

 フェンリルの語る人類の完全支配。

 その政策自体はメイヴァーチルも概ね同意するところだが、それでもメイヴァーチルがフェンリルの抹殺に拘る理由は至極単純。


 自分より強い存在を許しては、メイヴァーチルの破綻した精神は揺らぐ。

 その揺らぎは1200年の永きを生きた彼女に、未だ消えぬ記憶を蘇らせる。

 太古の昔、エルフ族が侵略を受け、人間の奴隷になった幼少の頃を……


「お前は……」


「最初からボクは協力しない、とは言ってないだろう、女王陛下」


「くッ……」


 エストラーデもメイヴァーチルの腹に一物も二物もある事は察しがつかぬ程愚かではない。

 だが、如何に女王とて敗軍の指揮官という今の立場ではそれを言及する事さえできない。


*


「来たぞ、メイヴァーチル」


 エストラーデが、メイヴァーチルの執務室で項垂れていると、大変身なりのいい男が冒険者ギルドの職員に案内されて姿を現した。

 ブランフォード家現当主、バルラドその人だ。


「あらあら、女王陛下エストラーデじゃない。間近で見るのは初めてだわ」


 バルラドに続いてマーリアも姿を現した。

 二人は冒険者ギルドに立ち入るのは初めてであり、興味を惹かれている様子だ。


「バルラドにマーリア、何故ブランフォードの2トップがここに……」


「キミが前線に出てる間、ボクが呼んだからだよ」


 エストラーデは驚いた様子だ。

 リサール人である二人が、非公式に王国を訪れるなど。もっとも冒険者ギルドという組織としては、これは公式の訪問だ。


「遠いところ悪いねバルラド、マーリア。ボクも忙しくて迎えを出せなかった」


 メイヴァーチルは何時になく二人を客賓として扱っている、丁重に礼などをしていた。


「構わん、大した距離ではない」


「早速でなんだけど、ここじゃなんだ。場所を移そうか」


 役者は揃った、メイヴァーチルが三人を直々に案内をする。

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