第66話 最後の黒鎧

 ツヴィーテ・ニヴァリスは、煉獄と化した帝都反乱を生き残った。今なお記憶に新しいのは、空を覆う黒煙、血で染まり、屍が山を成した大地。闇を切り裂くエストラーデ率いる竜騎兵達の航空魔法攻撃。焼け焦げた異臭を放つ屍、地獄を最期まで戦い抜いた黒鎧達の無惨極まりない死に様の数々。エストラーデの命によって、竜騎兵達は味方である筈の追放者達ごと帝国軍を空爆した。


 破壊と殺戮の権化としか形容出来ぬ化け物に姿を変え、猛然と暴れ回る三体の魔神デーモン達。いずれもが、人智を越えた魔術を振るい、炎熱を、落雷を、そして重力を操り、たった三体でありながら、エストラーデ腹心の竜騎兵達を蝿の様に屠り去り、世にも悍ましい雄叫びを上げていた。


 元素精霊を召喚し、僅かな市民と帝国軍の残党を支援すべく応戦するエーリカ・エルザフォル・エルマロットと、その側近、アーシュライア・ノーゼンドーラ。そしてカゼルの傭兵、アルジャーロン・ハイエロドーラ。三人は女性ながら、崩壊しゆく帝都にて暴虐の限りを尽くす魔神三体と王国竜騎兵に果敢に立ち向かった。


 そして、エストラーデが魔神達"ごと"放った浄火炎、即ち鬼火の様に蒼白い炎が実の妹であるエーリカと、同じエルマ人のアーシュライアを焼き払い、ツヴィーテは絶叫しながら治癒魔法をかけ続けた。


*


 薄汚れた寝室の、昏い闇の中でツヴィーテは意識を取り戻す。あれから数年が経つというのに、一向にまともな眠りが訪れない。


 まるで魂の隅々まで絶望と無力感を刻まれたように、ツヴィーテは酒を呷り、項垂れた。まるで泥濘の底に沈んだかの様な閉塞感と息苦しさ。嘔吐感、胸を焦がし、膨張し続ける灼熱感、ずきずきと突き刺さる様な偏頭痛。それらが織り成す絶望と苦痛の狂奏は彼を現実に繋ぎ止め、狂気の世界へ逃げる事さえ許さない。


 あの煉獄の光景がツヴィーテの瞼の裏に焼き付いて離れない。実体化した悪夢の数々は今なお彼の心を焼き焦がし、呪いが蝕み、牙を突き立てる。その苦痛から逃れる為にツヴィーテは今日も酒で喉を焦がし、己の神経を焼き切ろうと試みる。


 憎悪だけで充たされた破壊と殺戮の渦中で、何故ツヴィーテが生き残れたのかは定かではない。ただ、三つ巴の死闘に終焉を告げたのは、その趨勢は完全に魔神達へ傾いたからだ。


 ツヴィーテは、あの煉獄で四体目の魔神"黒い狼の悪魔"が生まれるのを見た。その身の毛もよだつ様な咆哮は、ただそれだけで死を振り撒いた。あの遠吠えだけで、騎竜も、王国軍も帝国軍も、逃げ遅れた市民も誰も彼もが顔から血を流し、死に絶えた。理解を越えた光景での中でツヴィーテは、ただ恐怖に打ち震えながら、なまじ鍛錬を積んだせいで抵抗レジストしてしまった事を悔やんだ。


*


 カゼル亡き後、ツヴィーテは各地を転々としながら傭兵紛いの仕事で日銭を稼いだ。擦り切れた彼がそうせずにいられ無かったのには二つの理由がある。生死不明のエーリカとアーシュライアの行方を探るためだ。生きている可能性は限りなくゼロに近かったが、マナ探知をすると微弱ながら二人の反応を探知できた。


 探知反応を辿ると、必ずと言っていい程"帝都跡地"へと辿り着いた。ツヴィーテは、傭兵業の傍ら何度も帝都跡地に赴き、跋扈する魔物達の目を搔い潜り、時には倒し、手掛かりを探り続けた。


 もう一つの理由。それはスラーナ人の彼は、祖国スラーナでは帝国軍に与した事で裏切り者扱いを受けたからだ。そして、リサール帝国のかつて首都のあった"帝都跡地"では、今もエストラーデの放った蒼い炎が燃え盛る。彼にはもう何処にも帰る場所など無かった。


 皮肉な事に帝国特務騎士として磨いた剣技と、カゼルを倒す為に覚えた氷魔法、そして兄譲りの治癒魔法、これら三つの技能により傭兵紛いの仕事をこなすには十分だった。


*


 更に数年が経った。死に場所を探すかの様にツヴィーテは今日も一人で戦い続ける。彼はもう帝国特務騎士でもスラーナ戦士でもない。ただの氷、治癒魔法と、帝国騎士の剣技に長けたスラーナ人の傭兵だ。


 そんな彼が野垂れ死なずに済んだのは、カゼルの実兄にしてブランフォード家当主、バルラドとの接点があったからだった。リサール帝国が事実上の崩壊を喫し、バルラドはまだ健全であった帝国西部側の領土をブランフォード領へ併合した。それより東は、"帝都跡地"は、まさしく地上に顕現した魔界そのものであった。


*


 バルラド・ライファン・ブランフォードは、久々にツヴィーテを屋敷に招いた。彼の傍らには、小さな娘が引っ付いている。興味津々という目をして、ツヴィーテを眺めている。大っぴらに語られてはいないが、母親はアルジャーロンなのだという。


「調子はどうだ、ツヴィーテ君」


「お気遣い感謝します」


「あの話、考えてくれたかね」


「……例年通り、傭兵としてブランフォードに事業税を納めます」


 ツヴィーテは現在、バルラドを頼りブランフォード領のはずれに居を構えている。アーシュライアの行方を追っているため探偵を名乗る事もできたし、治癒魔法が使えるから治療師の仕事もできた。人殺しの依頼は好まぬ代わりに、魔獣討伐の依頼は断らない事にした。早い話、彼は何でも屋を営んでいた。


「まあそういうと思っていたよ。だが性懲りもなくもう一度言わせて欲しい」


「……」


「君は腕が立つ。ブランフォードで騎士にならないか?君にとってもメリットがあると思う。うちの正規軍には免税制度もある。それに、ジェニファーも君に懐いている事だしな」


「おじさん、ヨーヘーからキシになるのー?」


「有難う御座います、バルラド閣下。しかし、俺は……」


「丁度、今の君みたいに全てを擲って戦いに明け暮れた挙句、死んで逝った男が居た。君のよく知ってる男で、私の実の弟だ」


「君はまだ生きている。あの馬鹿と同じ道を歩む事はない。そうじゃないか?」


「俺はもう、軍は懲り懲りでして……」


*


「いずれまた」


「ああ、また何時でも来てくれ。ジェニファーも喜ぶ」


「おじさん、さよならー!」



「お兄様があの男に時間を裂く理由を教えて欲しいわ」


「彼はカゼルの元部下だった男だ。見殺しにするのも酷な話だろう。それに結構な腕前だぞ。魔法にも長けているから、王国軍に味方されても厄介だしな」


「そうかしらね、私にはただの腑抜けにしか見えないけど」



*


 帝都跡地を見下ろす崖に、カゼル達の墓がある。彼等を葬ったのは唯一人生き残ったツヴィーテだった。墓標の様に大地に突き刺さった帝国特務騎士制式の剣や、メイス、ダガー、サーベルや槍などの各人が得意とした様々な武器の残骸達。


 いずれも、"帝都跡地"で捜索を続けるツヴィーテが見つけ出した皆の形見だった。数年に渡って捜索を続けたが、生存者はただの一人も見つからなかった。


 それぞれの傷み具合が、壮絶な戦いと彼等の死に様を物語る。魔法が使えることから本隊を離れてエーリカ、アーシュライア等の援護を命ぜられていたツヴィーテだけが生き残ったのは、ただ運が良かっただけなのだ。


 中でも一際大きなへし折れたアルグ鋼製の大剣、"魔獣狩り"の墓標に、焼け焦げ装甲が抉れた角兜がぶら下げられる。


「マスティマも探したが、どうも見つからなくてな」


 傷んだ黒鎧を修繕し、この帝都跡地に戻って来ては、この地に跋扈する魔物達を相手に戦う訳は、ただ一人生き残った事への贖罪なのか、それとも忸怩たる思いからなのか、ツヴィーテは未だに答えを得られなかった。


「この酒で我慢してくれ」


 リサール帝国が滅んでからは、当然ながらリサール産のウイスキーなどは貴重品になった。あの暴虐無比の隊長とて、その死を悼む気持ちが全く無い訳ではない。しかし、実際の所は自分のためだった。ツヴィーテにとってカゼルは兄の仇であると同時に、戦いの師でもあった。


 ツヴィーテは、煙草に火を点す。カゼルの吸っていた異世界産の煙草だ。エルマロット王国が事実上大陸の覇権を握った今の世界では、そう珍しいものでもない。慣れぬ様子で、ツヴィーテは煙を勢いよく吸い込んでしまった。


「うっ、げほっ!げほっ!……こんなもの、よく吸ってたよ」


 やはりというかツヴィーテは勢いよく咳き込んで、カゼルに苦言を呈した。


「どうしてかな、俺はアンタが死んだなんて今でも信じられないんだ」


 別れに涙は流れなかった。放射冷却が始まり、闇に沈みゆく荒野は今日も砂塵を含んだ風が吹き荒ぶ。風は手向けの紫煙を連れ去っていく。

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