Roman Dream
阿尾鈴悟
第1話
歪な石畳の道を、何処か良い景色は無いかと進んでいた。
描き尽くされた名所の新しい側面を探すが、どうも構想はふわふわとして定まらず、飽きて、反対に観光雑誌の歯牙にもかけられない場所へと足を向ける。しかし、いざその場に立つと、長い道のりを歩いたという付加価値によってか、脳へ伝わる映像は、真に目が映し取っているだろうそのままの像より、幾分か美化されている気になって、結局、何も描けずに帰路へ付く。その間に、構想は決まって裏返り、ありきたりでも良い風景を描こうと、翌日、名所を真正面に捉えられる場所に座るのだが、やはりスケッチは捗らず、ほとんど眺めるだけで終わってしまう。
二日で一組の生活を繰り返すようになって、すでに一ヶ月近くは経っていた。
なのに、成果は一つも無く、ただ、悪戯に時間だけが過ぎていた。
生活に掛かる費用は、似顔絵描きの真似事と、なけなしの貯金でどうにか食いつないでいる。元より人物画は苦手な上、そちらに本腰を入れている訳でもない私が、そうそう客を取れるはずもなく、家賃の高いイタリア──それもローマでは、稼ぎの全てが支払日に消えてしまう。すでに大部分を切り崩された貯金は、いつまでたっても、削られたまま。補填するどころか、月によっては、さらに削り取らなければならないこともあった。
必然、収入と家賃がイコールとならなかった月──いや、どんな日も節約を強いられる。ただ、似顔絵以外に使う画材の費用は減らしたくない。そちらにまで影響を及ぼしてしまうのは本末転倒な気がしていたのだ。削るなら他の場所に。もっぱら移動や食事の諸費用だった。
交通費は、単純な方法で、簡単に掛からなくなる。少し遠くたって歩けばよい。有料が無料に早変わり。どうせローマの外には出ないのだ。全ての道が通ずるローマに、徒歩でいけない場所は無いはずだ。
けれど、食費。
体は無情にも食事や水を欲するもので、どうしたってゼロには出来なかった。
幸い、食材はとても安く買える。人物画と同じくらいに自炊は苦手だったが、背に腹は変えられない。安いからとフルコースよろしく買いすぎれば無意味になるのだから、毎食、最低限度の食材で構成されるパスタを作っては食べていた。アーリオ・オリオ・ペペロンチーノ──日本ではペペロンチーノの名で有名なパスタは、オリーブオイルに唐辛子、ニンニクとスパゲッティのみで構成される簡素なパスタだ。貧しくなっても材料が揃うことから『絶望のパスタ』などとも呼ばれるらしい。少し前までは、その絶望のパスタを作っていたが、いつしか唐辛子を勿体ないと思うようになり、ニンニクを勿体ないと思うようになり、ついには、オリーブオイルと、本来はスパゲッティを茹でる際に鍋へ入れる塩で味付けした、本当に名も無きパスタで胃を満たしている。
水も割に安かった。だが、あくまで割に。イタリアは地中海性の気候とやらで、日本と比べるまでもなく酷く乾燥している。気付かぬ内に体は乾燥へと追いやられ、冗談ではなく、唇の皮が荒野の大地のようにひび割れてしまう。意識的に水分を取らなければ、初夏の今は簡単に脱水症状を起こすほどだ。とはいえ、食材と同じく、安いし必要だからと日に数本ものミネラルウォーターを買っていては意味が無い。
そこで二つめの幸運。イタリアの水道水はそのまま飲める。家や公園の蛇口をひねれば、冷たく透明な水が流れ落ちる。それをペットボトルに詰めれば、いくらかの費用を浮かせられた。口に合わず、お腹を下すこともある硬水という点にさえ目を瞑れればだが。
売れない私の絵が稼いだ蓄えなど、ただでさえ地を覆うコケも同然だった。殊勝な努力も虚しく少しずつ踏み荒らされた今となっては、コケと呼ぶのすらも誇大と言える有様だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます