第16話 生贄理論


[まえがき]

 これまでの人生の中で、いくらあがいても一歩も前に進めない。自分の力ではどうすることもできない。自分では最早もはやどうしようもない。と思ってあきらめかけた時、何かに縋りたいと思ったことは有りませんか?

◇◇◇◇◇◇◇


 人は、自分ではどうしようもなくなったときに神ないし超常的なものに事態の改善を求め祈りをささげる。その祈りは時に対価を伴う場合がある。それが生贄である。



 そしてその生贄は徐々にエスカレートしていき、最後には人が生贄にされる。


 そのプロセスを考える。「ひでり」を例にとってみると、


第1段階:

 雨がふらないので、価値1の物を神さま(山でも、海でも何でもいい)にお供えする。

第2段階A

 たまたま、雨が降る→価値1が有効であったため次のひでりでは第1段階に戻る

第2段階B

 雨が降らない

第3段階

 価値2の物を神さまにお供えする。

第4段階A

 たまたま、雨が降る→次のひでりでは第3段階に戻る

第4段階B

 いまだに雨が降らない

第5段階

 価値3の物を神さまにお供えする。


 この過程を繰り返していくうちに、人は徐々により高価値の物をお供えした方が効果があると考えるようになる。


 天候などは長い目で見れば確率過程と考えていいため、「ひでり」が続くとやがて希望する雨は必ず降り、生贄の有効性が必ず実証・・される。



 長い時間の中で、徐々に神さまへのお供えすべき物の価値は不可逆的に上昇しつつ最終的には価値無限大の「人」が神さまにささげられることになり、それが常態化する。


 この考え方がひでりだけでなく、希望をかなえるため、望みをかなえるため、野望をかなえるため、そういったものにまで演繹えんえきされていくわけだ。



 カルトなどの場合、段階をすっ飛ばして最終段階まで進む場合もありうる。




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