Take Me

フクロウ

no title

 数日前、彼が死んだ。

 交通事故。

 いつもデートの待ち合わせ場所になっている公園に軽トラックが突っ込み、数メートル暴走した後に止まった。

 そこのベンチに座っていた彼一人を犠牲にして。

 私は待ち合わせ時間に遅刻し、彼を待たせてしまっていた。

 事故があった時間は、集合時間のたった5分後。

 私がちゃんと時間通りに動けていたら、免れた事故。


 彼は、私が殺したも同然だった。


 不思議とその時は涙が出てこなかった。

 ただ呆然とその場に立ち尽くし、搬送された病院で訃報を聞いたときにすら、私の目から涙がこぼれ落ちることは無かった。

 昨日終わったばかりの葬式でも、当然のように涙は出てこない。

 自分の腐った感性が嫌になってくる。


「私って……最低だな……」


 2月半ばという真冬の寒空の下、近所の海岸で海を眺めながら私は呟いた。

 別に特別海が好きというわけでも無い。

 海独特の生臭い匂い、砂埃、肌を刺す冷たい風。

 どれも昔から私が嫌いなものだ。


「こんなとこで腰下ろしたら、スカート汚れちゃうね……」


 私は自分の身につけているオレンジ色のスカートに目を落とす。

 私の誕生日に彼が買ってくれた物で、私は似合っているのかどうか分からなかったけど、彼は嬉しがって何枚も写真を撮っていたのを今でも鮮明に覚えている。

 そっとお尻の下に手をやってみると、決して気持ちよいものではないザラザラとした感触に見舞われた。


「……やっぱり砂まみれ。あいつ、怒るかな……」


 むしろ怒りに来てほしい。

 スカートのことじゃなく、あの時遅刻してしまった私を。

 厳しく、もう立ち直れなくなるくらい怒鳴り倒してほしい。


「寂しいのに……どうして私はまだ泣けないの……?」


 苦しいのに、辛いのに、心の奥では泣いてスッキリしたいと思ってる。

 それなのに、私の目は水滴一つ落とすことを許さない。

 もう、こうして座ってるのも嫌になってきた⋯⋯もういっそのこと、この海に飛び込んで……

 と、思ったその時だった。


「お姉さん、何してるの?」


 声が聞こえた。

 私の真横から、突然何の前触れも無く。

 声のした方に目をやると、そこにいたのは小学校高学年くらいの少年だった。

 この子はいつの間にここに来たのだろうか。

 足音はしなかったのに……いや、考え事のしすぎで周りの音が聞こえなくなってただけかな。

 でもこの子……誰かに似てるような……。


「お姉さん、何してるのってば!」


 少年は再び私に質問する。

 私は少し嘆息しながらも、


「別に何もしてないよ、海を……見てただけ」


「見てなかったよ?」


「え?」


「お姉さん、ずっと下ばっかり見てた。すごく悲しそうな顔で、ずっと砂浜を見てた。砂浜って見てるだけでそんなに面白い?」


「いや……その……」


 面白い訳がないだろう。

 今の私が本気で面白いと思えることは、大切な人の死に涙も流せない自分の滑稽さだ。


「お姉さん、すごく辛そうな顔してる。どうしたの?」


「そう……かな……そうだよね。大事な物、無くしちゃってね」


「大事な物? もしかして宝物とか!? 僕で良かったら一緒に探してあげる!」


「いや、いいよ」


「どうして?」


「もう、大事な物は見つからないの。色々探してみたけど、どうしても見つからないの」


「そんなの……決めつけちゃダメだよ!」


 私の言葉に、突然大きな声を上げる少年。


「ど、どうしたの?」


「見つからないって諦めたら、それはもう『大事な物』なんかじゃなくなっちゃう! 本当に大事だったら、見つけるまで諦めないもん」


「そう……君は強いね。お姉さんもう疲れちゃってて探すことができないの」


「それじゃ、僕が代わりに探すよ!」


「無理だよ……君には絶対分からない」


「やってみないと分からないよ! もしかしたら意外とすぐに見つかるかもしれないし!」


そう言うと、少年は私の腕を引き、強引に砂浜に連れ出した。


「ちょ、ちょっと!」


「実はね、僕もこの海で探したい物があるんだ。絶対この辺で落としてるハズなんだけど、見つからなくてさ。お姉さんも一緒に探してよ!」


「私が? どうして?」


 正直この時間から子供の探し物に付き合うのは勘弁してほしい。


「僕ね、この前お部屋のお片付けしてたの。そしたら、無くしててまぁいっかってなってたものが結構出てきたんだ。お姉さんの大事な物も、僕の物を探してるうちに見つかるといいなって思って」


「そっか……そうだね。それじゃ探そうか」


 私は少年のその言葉を聞いたとき、この子はきっと、すごく優しい子なんだと思った。

 困っている人を見つけたら、なんとしても助けようとする正義の味方のような子供。

 こういう子は、問題が解決するまでは引き下がらないだろう。

 私が重たくなっていた腰を上げようとしたその時、



「着いてきて!」



 少年がそう言って私の腕を引いた。

 私は少年に引っ張られる形で立ち上がり、大量の砂をまき散らしながら砂浜を走り出した。


「ちょっと! この辺りじゃないの!?」


「この辺りだよ! でももうちょっと向こう!」


 そう言った少年の足はかなり速く、足下が砂だったこともあり私はついて行くのに必死だった。

 今時の小学生の運動能力に驚愕した瞬間だった。

 そして、しばらく走ると、ようやく少年が足を止めた。


「はぁ……はぁ……ここ?」


「うん、ここ」


 息を切らしながら周りを見渡すと、先ほどまでとほとんど変わらない景色がそこには広がっていた。


「ここにくれば僕の探し物も見つかると思ったんだ! お姉さんはどう?」


「どうって言われても⋯⋯」


「何も見つからなさそう?」


「……そうだね。私の探し物は、ここには無いかな」


「うーん、そうなんだ。でも僕の探し物はここで見つけるよ。お姉さん一緒に探してくれるんだよね?」


「うん……」


「それじゃ、お姉さんが鬼ね」


「⋯⋯へ?」


 なんともバカっぽい声が漏れてしまったが、それも許して欲しい。

 探し物で⋯⋯鬼とは?


「ただ探しても面白くないでしょ? だからお姉さんは、鬼ごっこの感じで僕を追いかけて捕まえるの。捕まったら、鬼は交代。逃げてる間に、お互いの探し物を見つけた方が勝ち!」


「え? ちょ、ちょっと!?」


「よーい、スタート!」


 少年はかけ声と同時に勢いよく走り出す。

 私は何が何だか分からないまま、ぽかんと立っていることしかできなかったが、少年が「早く早く!」と呼ぶので、仕方なく走り出した。

 なぜだろうか、普段ならこんな子供に付き合うことなんて無いのに⋯⋯。

 あの子なら、付き合ってあげてもいいように思えてくる。


「ま……待ってぇ……」


 何度も倒れそうになりながらも、少年をよろよろと追いかける私。

 元々運動はそこまで得意ではないのに、この年になってまで全力疾走を強いられることになるとは、人生何があるか分かったものではない。


「ほら、お姉さん、早くしないと日が暮れちゃうよ!」


「わ、分かってるわよ! 絶対捕まえてやるから覚悟しておきなさい!」


 あれ……なにムキになってるんだろ……私。

 子供相手に……。


「あぁぁぁ⋯⋯そんなのズルいよお姉さん!」


「大人はね、残酷なのよ。はい、タッチ」


 結局、まともに運動能力を競ったのでは勝てないので、角に追い込むという大人の頭を使った戦略で少年にタッチすることに成功した。


「それじゃ、今度は私が逃げる番ね」


「よし、絶対捕まえてやる!」


「そう簡単には捕まえられないわよ?」


「ふふ……お姉さん、楽しそう」


「え、何か言った?」


「何でも無いよ! そんなことより早く逃げないと僕追いついちゃうよ?」


「わ、分かってるわよ!」


 私は少年に捕まらないように全力でその場から逃げる。

 この時の私は、自分がなぜここに来て、先ほどまでどうして頭を悩ませていたのか、忘れかけていた。

 それほどまでに、少年との時間は充実していたのだ。


          ☆


「はい、タッチだよ。お姉さん」


「捕まっちゃった。それじゃ、次は私が鬼ね!」


 もうどれくらい少年と遊んでいるのか分からないが、私は間違いなくこの時間を楽しんでいた。

 当然、疲労もやってくる。

 明日辺り筋肉痛で動けなくなりそうだ。

 でもそんなこと関係ない。

 今が楽しければそれで……。


「あれ? どうしたの? 逃げないの?」


 私が少年を追いかけようとすると、少年は動こうとはしなかった。


「うん……だって、もうこのゲームはおしまいだよ」


「おしまいって……どういうこと?」


「僕見つけちゃったんだ。探し物。だから……僕の勝ち」


「あ……そうか。そうだね。見つかって良かった、うん。ちなみに、何探してたの?」


「教えて欲しい?」


「えー、ここまで来て教えないっていうのはナシだよ」


「それじゃ教えてあげる! 僕の探してた物はね……」


「うん」


「お姉さんの笑顔!」


「⋯⋯え?」


「お姉さん、辛そうだった。可愛そうだった。見てて僕まで悲しくなった。だから、一緒に遊んで笑顔になってくれたらいいなって」


「そのために……私を?」


「うん! だから、笑顔になってくれてすごく嬉しい!」


 少年は、気を遣ってるとかそういうのではなく、本当に心の底から嬉しそうにそう言った。

 そんな少年を見てる私の方も、自然と笑顔になれてしまう。


「ふふ、ありがとうね。お姉さんも元気が出たよ。それで、聞いてなかったけど、君の名前は? どこから来たの?」


「そんなのどうだっていいじゃん。僕は僕。お姉さんはお姉さんだよ」


「……うん、そうかもね」


 名前、住所、そんなのは確かにどうでもいい。

 大切なのは、私と少年が、今こうして笑い合えることだ。


「でも……お姉さんに笑顔になって欲しいのもそうなんだけど、僕はもう一つ、お姉さんに伝えないといけないことがあるんだ」


「伝えないといけないこと?」


「そう。とっても大切なこと。聞いてくれる?」


 これまでとは打って変わった、少年のひどく真面目な顔。

 きっと本当に大切な話なんだと悟った私は、静かに頷いた。


「僕が伝えたいのは一つだけ。誰も恨んでなんかいないから、自分を責めないでってこと。事故は偶然で、誰のせいでもない。だから、間違っても後を追って死ぬなんて馬鹿げたことを考えないで欲しい」


 その言葉を聞いた瞬間、私は驚愕した。


「どうして……事故のこと知ってるの? 君は……君は誰なの?」


「申し訳ないけど、僕が誰かは言えない。でも、さっき言ったように、僕は僕だ。偶然お姉さんの前に現れて、一緒に遊んだだけの小学生。それだけ」


「そんな……」


「さて、そろそろ暗くなってきたし、帰らないと。お姉さんも、あまり夜は出歩いちゃダメだよ」


「もう……帰るの?」


「もちろん。いつまでもここにはいられないから」


 少年はそう言うと、私に背を向けて歩き出した。


「ま……待って……!」


 私の呼びかけも空しく、少年はどんどん私から離れていく。

 しかし、突然少年は歩みを止め、


「あ、最後に一つだけ言っとかないと」


 と言ってこちらを振り向く。

 そして、



「やっぱり似合うよ、そのスカート。買ってあげた甲斐があった」



 声色も、声のトーンも、これまでとは全く違う喋り方で、私にそう言った。

 しかし、これまでに何度も聞いたその声に、私は息を飲む。

 この数日で私が一番聞きたかった声が、そこにはあった。


「それじゃね、お姉さん。忘れないでね、君は悪くない」


「ま、待って! 私も連れて行って!」


「はは、それは無理だよ。お姉さんを連れて行ったら、僕がここに来た意味がなくなっちゃう。そんなこと言ってないで、そろそろ目を覚まさないと、風邪引いちゃうよ」


「え?」


 少年がそう言った瞬間、目の前が急にブラックアウトした。


          ☆


「……ん」


 目を覚ますとそこは、近所の海岸だった。

 下を向いたまま顔を突っ伏して眠ってしまっていたらしい。

 しかし、眠る前と今では、心境に大きな変化があった。


「あいつ……死んでまで私のこと気にかけて……」



 そう呟いた瞬間、私の頬に一粒の雫が流れた。

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