3
朝起きると、からりと晴れていた。昨夜の豪雨が嘘のようだった。
村人たちはまだ、
無気味な静けさの一日が過ぎた。
そしてさらに翌朝。ついに
待ち構えていた
敵は本来が戦闘集団ではなく、ただの労働者だ。いわば戦闘には素人で、その武器もあり合わせの粗末なものだった。だいいち彼等は頭目を失って、士気も劣っている。数の上では遙かに五十猛を圧倒していたが、たちまちのうちに河原には八蜘蛛のガキたちの死体が山と積まれはじめた。川の水も彼等の血で、砂鉄どころではないほどに真っ赤に染まった。
「もうよい! やめーっ!」
叫びとともに、牛の角の兜を着けたソミンが現れた。そのそばには八人の五十猛が、八蜘蛛のガキの八人の頭目の首級をあげて立っていた。
「そなたたちの頭目だ!」
敵は一斉にざわめいた。そのまま戦闘をやめてあとずさりし、五十猛たちがソミンを警護する形に並んで剣を構えた。
ソミンは兜をとった。その赤い顔が衆目の前に顕になった。たちまち敵の大軍はひざまづき、うるさいほどに二拍手を打ってきた。
「聞けーっ!」
ソミンのひと声が、人々に沈黙をもたらした。
「俺はスサの王だ!
もはや人々は完全に言葉を失っていた。中にはぽかんと口をあけている者もいる。
「そなたちは二度と、高志の国からここへ来ることはない! ここの砂鉄の採集と製鉄は、俺たちでやることになった。さあ、これで解散! さっさと国へ帰れ!」
ソミンは背を向けた。すぐに近くの山に登り、群勢が撤去して行くのを、彼はじっと見ていた。
ソミンと五十猛が村へ帰ると、何ごとかと思われるほどの村人たちの歓迎を受けた。こんなにも多くの人がこの村にはいたのかと、あらためてびっくりさせられるくらいだった。
大歓呼の渦の中にソミンたちが入ると、まずアシナツチとテナツチの老夫婦が駆け寄ってきてひざまづき、ソミンの手をとった。
「だんだん、だんだん! これでもう……」
さらにアシナツチは何かを言いたそうだったが、そのあとは涙につまって言葉にならないようだった。その肩に、ソミンは優しく手を置いた。
「もう大丈夫だ。八蜘蛛のガキは
人々の歓声がいちだんと高くなる中、テナツチはただ泣きじゃくっていた。
「さあ、今度は本当の酒宴だ! この国の平和を祝おうぞ」
ソミンの掛け声で、さっそく酒の瓶が運ばれた。狭い河原に村人たちは群がり、歓喜の杯を交しはじめた。まだ日は高い。それでもこの日は特別に、一日中の酒宴となった。
太鼓が響き、笛が奏でられる。
「よし、俺が踊ってやる」
ソミンは立ち上がった。手にしているのは椿の一種の常緑樹である佐世の木の枝で、彼はそれを髪に刺し、笛の旋律にあわせて微妙なふりつけで舞った。ところどころで「うっ、はっ」と掛け声を入れる。
舞は人々に大受けだった。彼は今や、村人たちにとっての英雄だ。それも居丈高の英雄ではなく、歌って踊れる気さくな英雄だった。
人々の歓声はとどまるところを知らず、いつまでも河原に響いていた。
ソミンとしては約束どおり、すぐにでもクシイナダを迎えに行きたかった。しかし彼にはまだ、ここでしなければならないことがあった。
せっかく鉄人族を退けて、製鉄の権利を掌中にしたのだ。その技術を人々に教え、製鉄という足掛かりでもってこの国における自分の居場所を見いだそうと、彼は考えたのである。
翌日、村人の
さっそくこの日から、村人たちへ製鉄の講習会が始まった。道具は一切置いていってくれている。ソミンは韓の地で習い覚えた技術を、すべて人々に伝授した。
「マガネフキ、ウチノベ、ヤチハキリ、オテメテタフシ、イヤスリオヤシ、キハナチ、タケハナチテ、コトナス……」
人々はソミンから教えられたことをこのような
製鉄のはじめは、砂鉄の採集――カンナ流しから始まる。
「いいか、土の混ざった水を桶へ流せば重い砂鉄は沈んで、土は流れていくだろう。そうしてある程度砂鉄がたまったところで一切の川を塞き止めて、そうして砂鉄を採るんだ」
ソミンの説明を聞く人々の目は、真剣そのものだった。ソミンはカンナ流しを、冬から春にかけてのみせよとも言った。カンナ流しは多量の土砂を下流に流すので、水を黄色くして、それが水田に悪影響を与えるからだ。今までの鉄人族は夏にカンナ流しをしたので、それによって水田が受ける被害も彼等の悩みの種だった。今まではなす
もうひとつ彼等が今まで被ってきた被害として、水害がある。鉄人族が鉄を焼くための木を切って、山を裸にしてしまうからだった。
「鉄人族もともとは韓の地にいたんだ。それがなぜ海を渡って来たかというとだな、彼等は韓の地の山の木を切り尽くしてしまったからなんだよ。韓の地の山は岩が多くてだな、一度木を切るとなかなかもとのようにはならない」
ソミンは五十猛に持って来させていた杉、檜、樟、槙などの木の種を、村人たちに与えた。
「山の木を切ったら切った分だけ、木を植えるんだ。山を半分にして、切るのと植えるのとを交互にやるとよい」
ソミンはそう言って、人々に植林の技術をも教えたのである。ソミンのそのような慈愛に満ちた指導に、人々はただただ感服していた。
そうして人々に教えながら、ソミンは実際にタタラ製鉄所を使って、彼等にとってはじめての鉄製品ともいえる。鉄剣を作った。銘には村人たちは見たことないような文字で、「エイーエ・アシエル、エイーエ(在りて有る者)」と、ソミンは刻んだ。
「これを新しい日の巫女の豊姫へ、スサの王からだと言って手土産にして持って行け」
製鉄所に少し残っていた高志の労働者に、ソミンはその鉄剣を渡した。この剣を日の巫女につきつけることによって、この地方の製鉄権を自分が把握したことを邪馬台に宣言することを、ソミンは密かに目論んだのであった。
そんなある日、ソミンはひとりの老人に引き合わされた。
引き合わせたアシナツチは、
「クズコカミのオオヤマミで、ヤシガサの父上ですに」
と紹介してくれたが、たしかにその老人が村へ着くや否や人々は大歓声で迎えたので、どうもただ者ではない様子だった。ムレコカミが村長なら、クズコカミは村の集合体である郷の長ということになろう。アシナツチでさえもう老人なのだから、その親のオオヤマミに倒っては完璧な老人で、髪は真っ白だった。しかし足腰はしっかりしているようだ。
「おお、おお」
アシナツチの穴居の中で、オオヤマミ老人は満顔を笑みにして、ソミンの手をとった。
「いやあ、この度はだんだん、だんだん。八蜘蛛のガキはこのムレコだけじゃのうて、クズコ全体の悩みだったけんのう」
「いえ、礼には及びません」
ソミンも相好は崩してはいたが、ただ目だけは鋭く老人を見据えていた。
「しかし、高志の国はいいとしても、その背後の
「まあ邪馬台とは前から、国を挙げて戦っちょう最中じゃけんな」
オオヤマミは国全体の状況からものを言っているだけに、なかなか説得力があった。その全体の状況を見たいと、ソミンは思った。だから、
「この国の王は?」
と、彼は尋ねた。
「王?」
「この国全体の王ですよ」
「んん」
オオヤマミは少し首をかしげて、考えている様子だった。
「ヤシガサはクズコカミだけんど、ヤシガサの上にはクズシリカミという方がおいなあだ。さらにその上というたら、オオクナトヌシかのう」
「おお、その方にお会いしたい」
「しかしオオクナトヌシ様はヤシガサよりもご高齢で、もう寝たきりとも聞きますけんどもなあ」
「どちらにいらっしゃるんですか、その方は?」
「
「意宇の里いうたら……」
ソミンがあることに気づいたのと同時に、テナツチが口をはさんだ。
「娘がおります佐草の森の、すぐそばですが」
「たしかにそげだあ」
アシナツチも急に嬉しそうになった。
「娘を迎えに行きなあなら、オオクナトヌシ様にもお会いできっかもしれんな」
「うん、しかしそう簡単にはのう」
オオヤマミの顔は心なしか曇っていた。ソミンはその顔をじっと見た。
「いや、お会いして下さるまでいつまでも、われはその地に留まるつもりだ。邪馬台のことで、どうしてもお耳に入れたいこともあるしな」
「わかった」
オオヤマミは自分の膝を打った。
「それだけの気持ちがああなら、なんとかなあかもしれん」
「それから、アシナツチ、テナツチのおふた方にも、いっしょに行って頂きたいんだ。娘御との婚礼もその土地でになるだろうし、ぜひ父上、母上にも立ち会って頂きたい」
「いや、そげなこと」
慌ててアシナツチは顔の前で、手を横に振った。
「娘の婚礼にその娘の親が立ち会うなんか、聞いたこともなあですしな。それにヤシガサはムレコカミですけん、やっぱテンパはできんですだ。それに意宇まで行くのもえらいですしな」
それを聞いた彼の父のオオヤマミは、声をあげて笑った。
「なあにを言うちょうかいね。意宇なんかすぐそこだが。そげなことくらいで大儀がってたらどげすっかあ。クズコカミのヤシガサがええ言うんだけん、行ってきたらええ」
「では出発は明後日」
「明後日?」
ソミンのことばに、アシナツチは怪訝な顔をした。
「明日ではなくて、明後日ですかいね」
「ええ。実は明日。この村の皆さんにあとひとつだけ、どうしてもお伝えしておきたいことがあるんですよ」
「なんですかいね?」
「住居ですよ。皆さんはこうして、穴を掘って暮らしておられる。しかしもっと簡単に、住居を作る方法があるんですよ」
「簡単な方法? そりゃあええ。我々は住むために穴を掘らんといけんのが、いちばんの大儀なことだけんのう」
「そうですか。明日からは楽になりますよ」
と、言ってソミンは笑った。
翌朝さっそく、オオヤマミ、アシナツチ、それに若干の村の若者の立ち会いで、簡易住居の講習会が始まった。
まずソミンは、二本の柱にするのにふさわしい木の枝を、探してくるように言った。それを山形に組んでしっかりと結ぶ。そしてひとりにそれを支えさせておいて、もう一本のもっと長い木を持ってくるようにソミンは言った。その木が棟木となる。それを近くの土手に差込み、反対側を山形に組んだ二本の木の頂点に結ぶ。もう人が支える必要はない。その上に幕を掛け、幕が地につく所を小さな枝で地に打って固定する。ソミンが教えたのは、これだけの簡単な天幕だった。
穴居を作るのに、すなわち穴を掘るのに何ヶ月もかかるのに比べたら、あっという間にできてしまう住居で、村人たちにとってまさしく住居革命だった。
「おお、すばらしい!」
誰もが目を見張った。すぐにできるというだけでなく、誰にでもできるというのがこの天幕の特長だった。
「これをセブリと呼ぼう。どうか早うムレコの人全員に教えてこしない」
アシナツチはもう、居ても立ってもいられないという感じだった。
「どげかな?」
その時オオヤマミが、ソミンの横顔を見つめて言った。
「どうかこのセブリを、意宇に着くまでに通る全部のムレコで、教えていってごしなあたら喜びますがのう。ヤシガサも手伝いますけん」
「お易い御用です」
「おお。だんだん」
オオヤマミの顔が、ぱっと輝いた。
「いやあ、これでこの国の暮らしが変わる」
オオヤマミはさっそく、セブリ第一号の中に入ってみた。
翌日、いよいよソミンは五十猛を引き連れ、オオヤマミ、アシナツチ、テナツチに案内されて東へと旅立った。
目指す意宇の里にはクシイナダ姫が待っている。それに加え、このクナトの国全体の
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