夜の運動公園

@yugamori

読み切り。

「おはよーリョウ!」

「おー! おはよーっ」

 通学路で後ろから声をかけられたリョウは、笑顔で振り向いて手を振った。聞き慣れた親しい声は、クラスでいつも騒いでいるサッカー部の同級生だ。休み時間には決まって教壇を囲んで集まるグループの一人で、サッカー部のエースであり、校内でも上級生や下級生までによく知られた存在。

「昨日の試合オレどうだったよ!? すげーシュート決めただろ!」

 前を歩いていたリョウに走って並んだサッカー部のエースは、満面の笑みでリョウに話しかける。リョウはその笑顔と同じくらいの笑みで返し、大きく頷いた。

「いやお前のこと何人もマークしてたのにビビったよ。よくあの状況でシュート決められたよな」

 リョウの言葉にエースはとても満足げに頷き、昨日のことを思い出しながら声を漏らした。

「ほんっとだよ! まあオレ他校のやつからも注目されてるからさあ、マジで数人でマークするとかいつもどおりなんだけど、でもそこで決めるのがオレなんだよな!」

「さすが強豪校のエース! また他校の子から告られるんじゃね?」

 二人してギャハハと朝の登校する道で大声で笑い合った。周辺を歩いていた同じ高校生やサラリーマンが、二人をさっと眺める。微笑ましそうにする者、羨ましそうにする者、鬱陶しそうにする者、さまざまな感情が自分たちに向いていることに満足しながら、二人は学校へと歩いていく。

 とつぜん、車道を挟んだリョウたちの向かいの歩道から大きな声が聞こえてきた。同じサッカー部のレギュラーと、バスケット部のエース、それに野球部で一番女子に人気のある生徒もいた。彼らも二人の大きな笑い声に負けじと、勢いよく張った声でリョウたちの名を呼び、車道を行き交う車があるにもかかわらず、猛ダッシュで車道を横切ってリョウたちに近づいてきた。長いクラクションがけたたましく鳴り響く。その車に向かって彼らはヘラヘラ笑いながら、中指を立てて車道へ唾を吐き出した。

 彼らと合流したリョウたちのグループは、ますます勢いを増して大声で歩道を横一列に占領しながら高校へと向かう。『あの車マジでだるい』『今度クラクション鳴らしたらぶっ殺してやる』それぞれが自分の怒りを大声で話しながら、それに賛同し合う。リョウを含めて全員が自分たちの集まったグループを誇らしげに感じながら、登校中の女子生徒の視線を感じながら大きな動作でカバンを振り回しながら校門をくぐっていった。




 夜風が心地よく肌を撫でるサイクリングロードには点々と街灯が並び、暗くて今はよく見えないが、背の低いガードレールの向こうには草のしき詰まった河川敷と、大きな川が流れている。反対側には大きな運動公園が広がっていて、夜の9時を過ぎたいまは運動している人の姿は見られない。

「あー。癒されるわマジで」

 リョウは大きく伸びをしながら、昼間の制服姿とは異なり、上下黒に赤いラインの入ったジャージを来てのんびりと歩いていた。

「こんなにだれもいねえとは。住宅地からも駅からも離れてるから、わざわざ来ないと来れねえ場所だからか」

 リョウが一人でつぶやきながら、人気のない運動公園を見渡した。川の反対岸は道路になっていて、車が広い間隔で何台か走っている。普段は鬱陶しいと思うエンジン音も、虫の音と夜風が心地いいなかで、遠くからうっすらと響いてくる程度には悪くないとリョウは思えた。

「ランニングの場所、こっちにするのがいいか。街中の公園にしてると学校の奴に会うしなあ。学校出てまで会いたくねえし」

 朝、一緒に登校した連中の顔を思い出しながら、リョウはまた大きく伸びをした。運動公園の階段を置いて芝生に前転しながら寝ころんだ。視界いっぱいに夜空が広がり、町から離れた運動公園から見る空は気持ち星が多いように感じた。

「まあ別にさあ、楽しいは楽しいんだけどなあ。ギャアギャア騒いで、騒いでる俺たちイケてるみたいなのも分かるし。このメンツで集まってるオレらイケてるっていうのもわかるし、つうかそれ自覚してオレもやってっけどさあ。なーんかねえ、どっか冷めるよねえ楽しいけどさあ」

 だれに言うでもなく、普段から頭のなかで思っていたことを夜空に向かって大きくつぶやくリョウ。

「なーんだろな。なんか足りねえ感。これなによマジで? イケてるグループの奴らと楽しそうにはしゃいで学校生活送るってのだけじゃなんか足りねえんですけど。でなにさ、このなんかふと夜に散歩したくなるこの感じよ。なにこれ悩みってやつ? 自分探し的な? こんなブツブツ言ってる姿みたらアイツら引くだろうなーまあ見せねえけどー」

 あーーーーーと大きな声を出し、再び静寂に包まれた運動公園に鳴り響く虫の音に耳を傾けるリョウ。

「なんなんだろな、部活入りゃ解決すんのかこれ? けどどっかに入りたいって思えねえんだよな、なんか。これといってやりたい部活もねえし。あと所属するってのがなんかちがうっつうか。やべ、オレなんもねえじゃん。これかよ悩み。これが悩みってかあ!!! ひゃあああああああああああああああああああああああ!!!!!!!」

 奇声を上げながら飛び跳ねるようなアクロバティックな動きで起き上がり、リョウは戦隊もののヒーローのようなポーズをとった。運動神経あるから体操部でも入るかと思いながら、いややる気がおきねえなと頭の中で却下しようとしたとき、ふと視界の隅に違和感を感じた。すぐ近くのベンチにだれが座っている。だれもいないと思い込んでいたリョウにとって、かなりの衝撃だった。だれもいないと思って独り言を好き勝手話していたのに、その声は思いっきり座っている人間に届く距離感だった。戦隊モノの姿勢を保ったリョウは、思った。慌ててこの姿勢を解くと、まるでだれもいないから一人でブツブツつぶやいていたのに、人に見られたらとっさに恥ずかしがった奴だと思われると。

「どう思いますかねえ?」

 独り言ではなく、あんたに言っているんだという設定でリョウは強行突破しようと踏んだ。

「えっ」

 ベンチから小さく声が返ってきた。声が返ってきたというより、『え、オレに向かって言ってんのこいつ!?』という驚きから反射的に漏れた声だった。

「いやあ悩める多感な時期なんですよねえ、ほんと。ついつい知らない人にまで人生相談したくなっちゃうくらい思いつめてたもんでマジでー」

 戦隊ものの姿勢を徐々に徐々に、少しずつ解除しながら、リョウは立ち姿勢に移行した。

「…そんなに深く悩んでいるタイプには見えないんですけど…」

 リョウは返事が返ってきて内心かなりホッとしていた。これでシカトされていたら次の一手はどうしていたかまったく見当もつかない。それくらいとっさにベンチの人物に話しかけていた。

 よく見ると、ベンチに座った人物は手に大きなものを抱えていた。街灯に照らされてうっすらと確認できるあたり、それはギターだった。

「いや深刻に悩んでなかったら見ず知らずに人に悩み相談なんかしないっすよぉ」

 あくまで話しかけていた体裁を崩すまいとしつつ、リョウはさっさと話題を変えて違和感ありまくりの自分の印象を取っ払おうと思った。

「それ、ギター?」

 純粋に興味もあり、ちょうど話題を変えるには格好のネタだとリョウは話題を振った。

「あ…はい。そうです」

 突然話題を変えやがったコイツと思いながら、ベンチの人物は一応返事をした。

「へーカッケ。でもここ来るときギターの音なんかしてなかったけど」

 していたらさすがに気づけただろうとリョウは若干いらっとしながら言った。

「…人が歩いてくるのが見えたから、練習中断したんです」

 ギターを抱えながら、男は少しうつむいてつぶやいた。よく見ると年齢は同じくらいだとリョウは思った。

「あー。だれにも見られたくないからここで練習してる的な?」

「そう、ですね…」

 それならたしかにいい場所だと思った。広くて人気のない場所だから、人目を避けて練習するにはいいスペースだ。楽器ならなおさら、騒音の問題に悩まされずにも済む。

「…あと、遠くからずっと一人でぶつぶつつぶやいてる人いるなあと思って、なんか怖かったし…」

「…電話かも、しれねえじゃん」

 リョウは若干ひきつりながら言った。

「にしては、だれかと話しているって感じじゃなかったし…」

「…ここで寝転んでぶつぶつ言ってたのも全部聞いてた?」

「聞いてたというか…全部聞こえてきたといいうか…」

「…独り言ってバレてた?」

「…それ以外にはないかと」

「よくヤバイやつだと思わなかったな」

「…………」

「思ったのかよ!」

「ま、まあたしかにそう言われてみれば、悩んでいるのかなあ、大変そうだなあって…」

 ギターの少年はおどおどしながら、頭をかいた。このまま不信なままなのもどうかと感じながら、リョウも川の方を見ながら頭を大きくあいた。

「オレ、リョウっていうんだけど。悪いな、変な思いさせて。だれかると思わなかったんだよ」

「ああ、うん…。そうなのかなって思ったんで」

「いいよタメ口で。年同じくらいだろ? いまオレ17」

「あ、うん。僕も。高2?」

「そう。名前は?」

「あ…。ごめん、ヨウヘイ。リョウくんだよね」

「そう。ヨウヘイね、よろしく。つうかギターかっけえな」

 リョウはお世辞を抜きにして思った。周りではギターをやっている人間なんていなかったし、学校の部活を小さなときからずっとやっている同級生しかいなかった。

「周りにも弾くやついんの?」

「え? いや、僕だけだよ」

「は? じゃあなんでギター始めたの?」

「なんでって…楽しそうだったから、かな」

「楽しそう…。モテそうとかじゃなくて?」

「モテそうって…ボクなんかモテないよ」

 ヨウヘイはまたうつむきがちにつぶやいた。

「いや、それは知らねえけど。てか、ギターやるってなると、そういうモチベーションなのかなって思ったしさ」

「まあ、言ってることは分かるんだけど。でも、ボクはだれかに見てもらいたくてとか、そういうのじゃないから。学校でも友達、いないし…」

 ヨウヘイはさっきからうつむいたままの姿勢で話し続けている。だんだんリョウはイラついてきた。

「いやそれは分かったけどさあ、いいじゃん。カッコいいじゃねえかよ、ギターやってんの。あとだれかに言われて始めたわけでもねえってのもさ。ふつうモテたいとかカッコいいとこ見せつけたいからやるもんだろ。でもお前は、えーとヨウヘイはそうじゃねえんだろ。ふつうに羨ましいよそれ」

 イライラ混じりの早口で言ったリョウの言葉に、ヨウヘイはハッと顔を上げた。

「…そんな風に言われたの、初めて」

「つうかだれにも言ってなかっただけじゃねえの?」

「…親にも言ってない」

「すげえ徹底してんな。逆に関心するわ」

「…ボクがギターなんてやってるって、だれにも知られたくないんだ」

「行動力あんのにすげえネガティブだなおい」

 リョウは半ば呆れながら、でもどこか楽しんじいる自分に気づいた。学校の運動部のエース連中とはしゃいでいるときとはなにかが違った。はしゃごうとしてはしゃいでいない、楽しもうとして楽しんでいないのに、こんな静かな話のなかで、普段は感じない落ち着いた気持ちをリョウは感じていた。

「話しやすくていいと思うけどな、ヨウヘイ」

「…学校ではそんな風には思われていないよ。暗くてだれとも話さない奴だって思われてるよ。実際、だれとも話してないし。隅の席で音楽聴いてるだけだから…」

「それふつうに話しかけにくいけどな。つうか、音楽がもともと好きなのか」

「そう、だね。…うん、それでギター始めたから」

「へえ…」

 リョウは心底羨ましいと思った。たしかにヨウヘイは同じクラスにいると暗いやつだと思うだろうし、もし同じ教室にいたとしても、リョウが積極的に関わるタイプの人間ではないだろう。けれど、リョウにとってヨウヘイは、ただ暗いやつというのでは、もはやなかった。自分の好きなものがあって、やりたいことをやっている、リョウにはないものをしっかりと持っている奴だ。

「いいな、好きなものがあるって。オレそういうのないし」

「…探してないだけだよ。ぜったいにあるから。それにリョウくんは、そういうのがなくても充実してるタイプでしょ? 友達多そうだし」

「いっやあー…。友達は多いけど、それだけじゃな…。だったらさっきみたいに一人でブツブツつぶやかねえだろ」

「あ…たしかに」

 ふふっと、はじめてヨウヘイが笑った。リョウは笑われて少しムッとしたが、それ以上に、ヨウヘイが初めて笑ったことが嬉しかった。

「やっと笑ったなおまえ」

「え…あ…ご、ごめん」

「いや、ちょっとムカついたけど。いや、ちげえんだよ、いいんだよ。笑った方がいいぞ」

「…なんか、リョウくんちょっと変わってるね」

「まあ変わってるところ、学校では見せねえけどな。引かれたらダルいし。家で一人でブツブツつぶやいたりしてるし」

「あの一人言っていつものことなの!?」

「まあ…そんな驚くことかよ」

「変だよ…」

「そんな正面きって言われると逆にスカッとするわ」

ははっと、ヨウヘイが笑った。リョウはヨウヘイを笑わせることが少し楽しくなってきた。

「なあ、ギターって楽しいの?」

「うん? うん、楽しいよ。自分で好きな曲を奏でられるときが、一番自分らしくいられるかもしれない。学校では自分を押し殺しているし…。ここでギターを練習しているときが、いちばん楽しい」

「…なんか詩人みてえなこというな」

「そ、そっかな」

「いっつもここいんの?」

「うーん。雨のとき以外は、けっこういるかな」

「また来ていいか?」

「えっ」

「え、迷惑?」

「あ、いや…。うんうん、ぜんぜんいいよ。でも、なんでだろって驚いちゃって」

「いや、なんかおまえと話してるの楽しいし」

「そ、そう…?」

 ヨウヘイは頬をポリポリかきながらうつむいた。

「あとギター聴いてみてえし」

「え!? いや、それは…」

「まあ、別に無理に聞かねえしさ。もうちょい会って、オレに聞かしてもいいやってなってからでいいから」

「…うーん…。そうなったら…。うーん………。…………うーんっ」

「いや悩みすぎだろっ!」

 リョウが笑いながら突っ込んだ。ヨウヘイもおかしそうにコロコロ笑った。

 晴れ渡った星空には、大きな月が輝いている。けたたましくもない、ギャアギャアとはしゃいでもいない、穏やかな2つの笑い声が、虫の音の響く夜の運動公園に広がっていった。

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