七つの空と薔薇の物語 ―始まりの青―

山本 皐月

序章 薔薇の芽吹き

それは広い庭園の中だった。歩けど歩けど終わりは見えず、ふと立ち止まって足元を見れば、自分は靴を履いていない。素足で触れる柔らかい芝生の感触が心地よく、思わず笑みが浮かべた時―。


―ゴォォォオオオン ゴォォォオオオン…―


「!!」

 突然鳴り響いた鐘の音に、ハッと驚いて顔を上げる。音が聞こえる方向を確認してみると、庭園の奥にポツンと建つ、白い大きな時計塔が見えた。

「鐘が……鳴った…」

 時計塔なのだから、一定の時刻になれば鐘が鳴るのは当たり前なこと。

 だが、この時計塔は違うのだ。特殊な機能と役割を備えており、自分がこの世に生を受けてから、時計塔がその音を響かせるのは初めてのことだった。

「刻が…来た…」

 小さく呟いた瞬間、ざっと強い風が吹く。

「……」

 風にたなびく髪を押さえながら、そっと周囲を見渡してみると、緑一色だった植木たちがゆらゆらと揺れていた。風に吹かれただけではない。葉が生い茂るだけの枝に蔓が伸び、やがて次々と蕾を膨らませていく。

「…咲く…」

 じっと見つめる視線の先で、そのままゆっくりと開いていく花々。その大きさはどれも大小様々だったが、全て薔薇の花だった。



「……ん…」


 ふと意識が覚醒する。ゆっくりと瞳を開いた時、そこはいつもと変わらないベッドの上だった。目覚める瞬間を待ち構えていたかのように、天蓋のレースがそっと捲られる。

「おはよう、眠り姫。ようやくお目覚めかい?」

 紅茶の入ったティーカップを片手に顔を覗かせたのは、いつも決まって笑顔でいる、たった一人の相棒。

「今日はアールグレイにしてみたよ。いつもの茶葉が切れていてね。悪いけど、補充されるまでしばらく待ってくれ」

 一日中眠っていることのほうが多い自分が、夢うつつなのはいつものこと。手慣れた彼は身体を起こすのを手伝ってくれると、熱い紅茶をこぼさないようにそっと手渡した。自分がしっかり受け取ったことを確認すると、そのまま背後に回ってベッドの横に腰掛ける。すぐそばにあるナイトテーブルから櫛を取り出し、鼻歌混じりに自分の髪を梳かすのも日課の一つ。

「……ぃた…」

「ん~?」

「…咲いた……薔薇が…」

 紅茶を口に含むこともなく、ぼんやりと呟いた自分の言葉に、櫛を動かす彼の手が止まる。

「え…?……いま、なんて言った?」

「だから…薔薇、咲いた…」

「…本当に?…本当なんだな?」

「…」

 口調が変わり、真剣なまなざしで顔を覗き込んでくる彼に視線を合わせ、しっかりと頷く。

「場所は。薔薇はどこで咲いた?」

「……」

 ゆっくりと瞳を閉じ、先ほど見たばかりの夢を思い浮かべる。

 そう、あれは夢だ。一歩も外に出たことがない自分が、相棒と共に暮らすこの時計塔の夢を見たのは初めてだったけれど、自身に与えられた役目と、散々聞かされて育ってきた節目の年であることを考えれば、まず間違いない。

(あれは……)

「…青。青の国」

「分かった、ティストヴァルだな。女王に伝えよう。ウサギを呼ぶ」

 彼はコクリと頷くと、櫛を放り出して、すぐに寝室を出て行った。

「……」

 一人ベットの上に残されたまま、ティーカップを握りしめて窓を見る。

「綺麗…」

 薄いレース越し、切り取られたような窓から覗く外の景色は、どこまでも続いている快晴の空。


 それは、あの庭園で一面に咲き誇った薔薇と同じく、深く澄み切った色の青だった。


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