不信感
茜が指定した待ち合わせ場所は、浜沿いにある海の見えるカフェだった。
愛斗がその店に入り店内を一通り見渡すと、赤茶に染め上げた髪が、ソファーの背もたれの上に出ているのが見えた。
「茜さん」
愛斗は彼女が自分の存在に気づく前に声をかけた。
茜は、特に驚いたり振り返ったりすることもせず
「ごめんなさいね、急に呼んで」
とだけ言って愛斗を正面に座らせた。
「どうしたんですか?」
愛斗は訊いた。
「今日、陸上の応援に行ってたんだよね?」
愛斗は一瞬ドキッとした。
茜にはそのことを言っていないし、もし芽衣を応援しに行ったことに対して怒っているのなら、もはや隠しようもなかったからだ。
「あぁ...はい」
「歯切れが悪いわね。何か後ろめたいことでもあるの?」
茜はいつも鋭い。
けど今回ばかりは少し外れている。
「いえ、そんなことは」
後ろめたいことがないのは事実だ。
芽衣を応援したいという気持ちは本心。
「でも、なぜ知ってるんですか?」
愛斗は気になっていることを正直に訊いた。
「とある子が見たって言ってたのよ。それだけ」
「とある子って...?」
「それは言えないわ」
「そうですか...」
愛斗はその時、茜に不信感を覚えた。
何かこの人には秘密がある。
どんな秘密かは全く見当もつかないが、彼女の周りに薄い靄がかかっているように見えるのだ。
「ねぇ愛斗」
茜は、愛斗がそんなことを考えているとも知らず質問した。
「私のこと、好きじゃないよね?」
重い質問だった。
イエスやノーで答えられない、簡単なようで難しい質問。
「いいえ、好きです」でも「はい、好きじゃないです」でも答えられない。
茜のことは、今現在、恋愛的に好きとは言えない。
だけど、記憶を失う前の僕は、この女性を愛していた。
その事実を受け止め、彼女を好きになることが過去の自分へ敬意を払うということだと愛斗は信じている。
逆に、ここで彼女から逃げるのは、自分への冒涜。
そう感じていた。
「あなたのことをもっと知りたい。好きになりたい」
それが今の愛斗の気持ちを、彼なりの言葉で表したものだ。
なぜか言ってから恥ずかしいと思った。
「ありがとう」
茜は、斜め下を見ながらそう言った。
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