学校へ
スマホのアラームの音が鳴っている。手探りでスマホを見つけだし、なんとかそれを止めた。6時20分、起床。
今日は月曜日。愛斗は学校に行くと昨日決めた。予定では芽衣がうちに呼びに来ることになっている。愛斗は階段を下りてダイニングに向かう。そこには、パジャマ姿の父とすでに着替えを済ませた母がいた。
「おはよう、よく寝れたか?」
父が訊いてくる。
「うん、寝れたよ」
「そうか、それはよかった」
「朝ご飯食べてね」
母は、時計と愛斗に話しかけた父をちらりと見て、愛斗に言った。
「うん、分かった。いただきます」
母が作った朝食が並んでいる。トーストに目玉焼き、フルーツとヨーグルト、牛乳。いかにも家庭の朝食だ。
愛斗はそれを黙って食べる。昨日の夕食もそうだが、おいしいと評判だという病院食よりも遥かにおいしい。目玉焼きにトーストなんて誰が用意しても大して変わらないはずだが、愛斗の舌はそう感じていた。
「ごちそうさまでした」
丁寧に手を合わせて挨拶をし、着替えるために自分の部屋に戻る。
ハンガーに掛けられている制服。それは愛斗が着ていたものだ。自分のものなのだが、なぜかお下がりのように他人のものを着るようなちょっとした抵抗感があった。だが、その制服に袖を通すとやはり自分のものだと感じることができた。身体にしっくりくる。1年間、愛斗が着てきた証だ。
制服に身を包み、歯磨きをして、身だしなみを整えると、ちょうどインターホンが鳴った。モニターを見ると愛斗と同じく制服を着た芽衣が映っている。
「はーい」とだけ答えて、急いで玄関に行きローファーを履く。それもまた履き慣らされていて痛くない。「行ってきます」とダイニングの方に言うと玄関に父と母が見送りに来た。
「じゃあ、気をつけてな」
「芽衣ちゃんと仲良くね」
と2人が手を振りながら声をかけてきたので愛斗も手を振ってから「うん」と答えた。
玄関の扉を開けると芽衣が立っていた。
「おはよう」
先に愛斗から挨拶をする。今日お世話になるのだから当然だ。
「うん、おはよ。じゃあ行こっか」
愛斗と芽衣は2人並んで歩き始めた。家から少し歩いたところにバス停があり、そこに来たバスに乗った。そこからだいたい50分くらいらしい。芽衣が窓側、愛斗が通路側で、2人掛けの座席に並んで座った。そこまで人は乗っていないが決して少なくはない。中には自分たちと同じ制服を着た生徒もいた。
「緊張...してる?」
外を見ていた芽衣がわざわざ振り返って愛斗の方を見て尋ねてきた。
緊張、してるかしてないかだったらしている。学校はどんなところでどんな人がいて、何が起こるのか。想像すると心臓の鼓動が速くなるのが分かる。
「してるかも」
「そっか」
芽衣もこの緊張がどうしようもないと分かっていた。だからあえて堅いことは言わなかったのだろう。
その後、40分くらいは何も話さず、時間だけが過ぎていった。流れていく外の景色を見ているとあっという間だった。愛斗たちが住んでいる地域と比べると店も多くだいぶ栄えている。
学校の最寄りのバス停で降りようとすると、いつの間にか同じ学校の生徒がバスの乗客のほとんどを占めていることに気づいた。その生徒たちが狭い歩道に流れ出ていく。その流れに乗って、愛斗たちも降車した。ぞろぞろと高校に向けて歩いていく生徒たち。
彼らにとってはいつも通りのこと、日常。ただ学校に行って時間を消費して帰ってくる。だが、愛斗にとっては違う。初めて見た景色、人々。何もかもが新鮮で、全てが眼に、心に焼き付いていく...染み付いていく...
「愛斗!」
その時、芽衣ではない女の子の声がどこからか、愛斗の名前を呼んだ。
見渡すとピンと来た。赤っぽい髪をポニーテールにして、ナチュラルメイクをした見覚えのある人...
僕が目覚めた日、病室に入ってくるなり手を握ってきた今西という女性だ。あの時は本当にびっくりした。
「今西さん...ですか?」
「そうよ、今西茜。ちょっと歩きながら話しましょう」
芽衣は1歩引いて2人の会話を邪魔しないようにしていた。
愛斗と茜が並んで歩いて、その後ろに芽衣がついて歩き始める。
この女。一体何者なんだ。芽衣に助けを求めたいが芽衣は地面を見つめている。だが、その助けは不要だった。いや、むしろ別の意味で助けが欲しくなった。
「私、愛斗の彼女だったの。愛斗が記憶をなくす前はね」
彼女?この人が僕が交通事故から守った人?正直、朝8時には刺激的過ぎる話だ。
「愛斗がいなかったら私は今頃お墓の中だったかもしれないの」
言葉が見つからない。いえいえ、どういたしまして、ではない。かと言って、なんでそんなことになったのかとも訊けない。
「だから本当に感謝してる。でも、本当にごめんなさい。あの日、私と出かけてなければ...」
「分かりました。でもあなたのせいじゃないですよ。事故は予期せず起こったものなのでしょう?たぶんその日、僕だって浮かれていたはずです。茜さんとアドベンチャーワールドに行くということに」
「アドベンチャーワールド?もしかして、覚えてるの!?」
周囲の生徒が一斉に茜に視線を向けるくらいの声で茜は言った。だが茜の思った通りではない。
「いえ、SNSを見て知りました。履歴があって、それを」
「そっか。ごめんなさい、大きな声出して」
どこかで聞いたことのある謝罪の台詞だ。
「いえ」
「でも、やっぱりどう謝ればいいか...」
「謝るなんてそんな。たぶん僕に記憶があったら泣いて喜ぶと思いますよ。だって2人とも生きているんですし、ただ僕の記憶がなくなっただけですから」
「...」
「元気出してください!彼女であるあなたが元気なかったら僕も元気でませんよ」
茜は少し微笑んだ。
「ありがとう、愛斗」
そのまま3人は学校へと歩き続けた。
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