灰の姫君の獣、ほか

ののの。

灰の姫君の獣

 地表を霜が覆い尽くし

 耕すべき大地は凍てついて

 鋼のように硬かった


 海は昏く冷たい

 眺めやれば 

 暗黒の世界のようだ


 



 遥か北の海を渡れ

 花咲き乱れる季節は儚く

 回る水車の水は凍てつく


 氷の陸の尾に

 小さな王国があった。

 王国の花匂う春は短く

 山から雪解け水が流れだし

 鋼鉄の機構は回りだす

 

 氷に鎖されし、ここは白銀の世界

 果てなき大地


 歯車の回る、鋼鉄の要塞

 それは大きな鉄の塊

 巨大で人々を圧倒した


 白銀の大地に

 そびえたつ、それは巨大な檻

 鉄の塊に霜が降りて白く白く染める


 赤き鮮血を隠すように

 かつて、ここで死んだ大勢の人々

 記憶の底にわだかまる、赤い血飛沫


 かつて

 四方を支配せしも

 今や伝承に残るのみ

 緑の弥栄の

 花咲き乱れる大地

 今なき古き地を

 夢見て

 氷の檻で微睡め、ローレンシアよ

 かつて、四方を支配せし

 その王国にいずこのときか

 灰の髪と朱の瞳の姫が誕生した


 王族、大臣たち、王も王妃も懼れた

 その髪と瞳のゆえに、遠い城塞に閉じこめた。


 鈍い光沢の灰の色の髪

 裳裾に滔々と流れ


 彩なる御衣を羽織り、窓辺に佇む

 その艶なる朱の瞳の眼差し

 虚空へ向けて


 ひとり孤独に佇む姫君の影


 北の最果ての浮遊城塞

 狂った帝王の造ったというそれは。

 吹雪吹きすさぶ中空に浮かぶ


 その髪と瞳の色ゆえに

 忌み嫌われた姫君はひとり

 浮遊城塞に囚われの身となった


 狂った帝王の作らせた

 小間使いの魔導人形たちが

 姫君のお世話をした


 心のない人形に

 姫君の心に浮かぶ

 彩なる感情の波は

 水母の骨を眺めるにも似て

 知りようもなく。

 誰とも心交わせぬ日々が

 果てなく続き

 植物の果てるように

 感情の色彩も褪せていった

 やがて。やがて

 姫君は笑うことをも

 忘れてしまった


 北の果てに

 冬が訪れる

 なにもかもを

 暗く閉ざし

 全てを静止させる

 要塞は檻に、吹雪の檻に囚われる



 あるとき

 姫君は氷上で舞っていた

 凍りついたドレス

 蒼白のおもてに紅が差す

 優美な繊手を

 虚空へと差し伸べて

 そのとき

 蒼穹の果てから 

 黒く闇のようなものが

 落ちてきた

 姫君は魔導人形に命じて

 それを浮遊城塞へ運び入れた


 天蓋の下で影が眠っていた

 人を象った黒い靄のようだ

 まるで

 それは心があり

 生きているかのように

 姫君には思われた


 影は目覚めて床より起きあがり

 それは。それは美しい男に化けた 


 されど、姫君

 人の美醜を知らぬ

 おなじ朱の瞳よ、と

 無垢な笑みを溢すばかり


 影には時々尾が生える


 黒曜石のように燦めく尾

 影が凝ったような翼

 二本の滑らかな角

 影の不思議な身体を

 姫君はすっかり気に入った


 姫君は滑らかな角に頬ずりし

 尾を枕に微睡み

 翼の生えた影に抱かれ

 空中に散歩した



 永遠に銀世界が続く

 姫君は一人歩く


 一輪の朱薔薇が咲き匂っていた


 冷たい白銀の閉域に

 此の世のものではない花が

 根ざしていた


 姫君はそれを手折り

 持ち帰って

 泡沫の中に、封じ込めた


 窓辺に飾って朱薔薇の一輪を眺めやれば

 世界のなんと安らかなことか


 姫君は窓辺で花を眺めた

 いつまでも飽きることなく

 両開きの金の透かし戸から

 降り始めた雪がちらはらと入ってくる


 天花舞い散る窓辺で空を見上げながら

 姫君は我知らず微笑んでいた 


 それは誰もが見惚れる幸福な微笑だった





 

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