兄貴とたけし

東郷 珠

第1話 兄貴とたけし

 時代の変遷と共に、シャッター商店街が増える。人々は、大型施設に足を運び、小さな店舗には見向きもしない。

 

 その薄汚れた古い商店街は、かつて人で溢れていた。


 シャッターが開く前は、学生やサラリーマンが駅へ向かい、足早に通り過ぎる。

 各店のシャッターが開く頃には、主婦が集まり始める。

 午後は、時間を持て余した老人達の、憩いの場となる。

 夕方近くには、買い食い目的の学生が足を止め、夕食のおかずを手にする主婦が、忙しそうに歩き回る。

 

 そこには、笑顔が溢れていた。そこは、喧騒が絶えない場所だった。

 

 古びた駅舎は、改築された。共に行われた再開発で、駅前には大型店舗が隣接する事になった。少子化による影響で、駅近くにあった高校は統合されて姿を消した。

 そして商店街からは、人足が消えていった。


 文化は、時代が移る毎に、変化していく。その中で、自然淘汰される物も存在する。


 それでも、そこでしか生きられない者が存在する。

 そこは確かに、下りたままのシャッターが増えていた。経営難、高齢、後継ぎ不足、様々な理由により、店舗の閉鎖は相次いだ。


 確かにそこは、かつての人影は消え、寂れた様相を呈している。

 しかし、不況によって増えた路上生活者に、雨宿りの場を提供する為だけに、放置されているのではない。

 

 魚屋は、夜明けを待たずに仕入れに出かけ、どこよりも新鮮な魚を提供する。肉屋は酪農家と提携し、また肉の熟成を行う等、様々な試みを行う。

 パン屋からは、芳醇な香りが漂う。そしてラーメン屋は、スープの仕込みに命を注ぐ。


 残った店舗の店主達は、互いに助け合いながら、生き残ろうと足掻いていた。

 その古びた商店街は、未だ息をしており、時代に抗い続けていた。


 そんな商店街の端に、三階建てのビルが存在する。長らくテナントが入らないビルは、二階より上を住居用に改装している。

 そのビルに向かい、商店街をひた走る少年がいた。


 見た目は十四から十六歳位だろう。

 スリムというよりも、やせ細ったと言った方が正確な体格であり、百六十に満たない身長は、同年代と比べても決して高くはない。また坊主頭と、剃り跡の無いツルリとした肌は、幼さを感じさせる。

 何より少年は、平日の昼間にも関わらず、学生服を着ている様子はない。


 そして少年は、忙しく腕を振り走る。彼が手に持つのは、商店街の外に有るコンビニエンスストアの袋である。

 当然ながら品物は、袋の中でガサガサと、激しく動き回っている。


「お~い、たけしぃ~! 買い物かぁ? それなら、商店街の外に、行くんじゃねぇ!」

「違うっす。兄貴が、コーラを飲みたいって言ったっす」

「何言ってんだ、たけし! 酒屋でもそれくらい売ってんぞ!」

「兄貴が言うには、違うコーラらしいっす」


 肉屋の店主が、たけしを呼び止める。威勢の良い掛け声に負けず、たけしは大声を張り上げる。

 そしてたけしは、証拠と言わんばかりに、コンビニの袋からペットボトルを取り出した。


「ほら、これっす。これは、酒屋には置いてないっす」

「それなら、注文すればいいじゃねぇか! 仕入れてくれんぞ!」

「お願いはしたっす。でも、兄貴は直ぐ飲みたいらしいっす!」


 コーラは多様な種類が有り、扱うメーカーも複数存在する。

 確かに酒屋では、酒を割る用の飲料水しか、置いていない。酒の種類は豊富でも、飲料水の種類はその限りではない。

 目的の物を手に入れられず、酒屋とコンビニを巡って、買い物してきたのだろう。


 そこまではいい。

 それに、商店街で買い物してくれた方が嬉しいが、たかだか飲料水一本程度で、目くじらを立てる事もない。

 

 ただ、肉屋の店主は見ていた。

 たけしは走る時に、大きく腕を振っていた。それも、買い物袋を持ちながら。そして、中身は炭酸飲料である。

 結果は言わずもがなであろう。


「おい、たけし。悪い事は言わないから、コーラを買い直して来い。お前の持ってるのは、俺が買い取ってやる」

「そんな暇は無いっす。急がないと、兄貴に怒られるっす!」

「馬鹿! それをそのまま渡したら、もっと怒られるぞ!」

「何でわかるんすか? 肉屋のおっちゃんは、相変わらず物知りっすね。でも、駄目っす! また、コロッケを買いに来るっす」


 そして、たけしはビルに向かって、再び走り出す。肉屋の店主が、溜息をついているのにも気が付かずに。

 この会話が呼び水となり、商店街の主だった店主が顔を出しては、たけしに声をかける。


「駄目っす。急いでるっす」


 魚屋、酒屋、パン屋、ラーメン屋、八百屋と、たけしは律儀に、かけられた声に反応する。しかし足を止めようとはしない。


 ビルが近づく毎に、たけしの足取りは軽くなる。まるで、スキップでもしているのか、跳ねる様に走っている。


 頼まれた使いを立派に果たし、兄貴に褒められる。たけしの頭の中には、そんな光景が浮かんでいるのだろう。

 その証拠に、たけしの表情は、にやけた様に綻んでいる。

 そしてたけしは、段を飛ばしながら階段を上り、勢いよく扉を開けて、靴を脱ぎ捨てる。


 入り口から直ぐの部屋は、テナント時代の風景が色濃く残り、大きなガラス窓が並んでいる。

 そして、窓際には大きなソファーが有り、体が大きく目付きの悪い青年が、足を投げ出す様にして座っていた。


 年齢は二十前後であろうか。青年は、顔の至る所に傷が有り、腕の先まで彫られた刺青が、シャツの袖から見え隠れしている。

 百九十センチを超える身長と筋肉質の体、それに鋭い眼光は、視線を避けたくなる威圧感すらある。

 深く座れば、頭がはみ出すのだろう。故に、青年は足を投げ出す様にして、ソファーに体を預けている。


 たけしは、鋭い眼光を気にする事もなく、青年へと近づいていく。そして、ソファーの前に置かれたテーブルへ、コンビニ袋をドサッと置いた。


「買って来たっす。今度は大丈夫っす」

「本当だろうな?」


 たけしは、当然とばかりに笑顔を見せる。

 それに対し青年は、ギロリとたけしを睨んだ後、コンビニの袋の目をやる。そして、顎をクイっと動かし、たけしへ袋の中身を出す様に命じる。

 この時たけしは、ようやく事態に気がついた。

 

 コーラを買う様に言われ、酒屋へ向かった。そして、買って来た物が違うと言われた。

 そのコーラは、封が開いていない状態で、テーブルの端に置かれている。


 たけしは、コーラを買い直しに出る際、もう一つ追加の注文を受けていた。それはコンビニで売り始めたばかりの、新作スイーツの購入である。


 たけしは、袋の中から買って来た物を取り出した。

 コーラのペットボトル一本、プラ容器に入ったスイーツが二つ、テーブルの上に並ぶ。


 そして、当の新作スイーツは、元の形がわからない程、プラ容器の中でぐちゃぐちゃになっていた。


 青年は、訝し気にテーブルの上の物を見やる。

 そして、ゆっくり体を起こすと、テーブルの上に置かれた煙草を手に取る。同じくテーブルの上にあったライターを使って、煙草に火を付ける。

 そして、ドスの利いた声で、たけしに問いかけた。


「おい、たけしぃ! これが、CMでやってたスイーツか?」

「そうっす。形は変わっちゃったっす。でも、食えるっす」

 

 テーブルの上で、悲し気な形となったスイーツを、たけしは暫く眺める。そして、その内一つを、青年の前に置く。


「こっちは、少しマシっす。兄貴の分っす」

「ありがとよ」


 兄貴と呼ばれる青年は、新作スイーツを楽しみにしていたはずだ。それは、見る影もない状態になっている。

 この時たけしは、内心ビクビクとしていた。


 間違いなく怒られるだろう。

 当然、買い直しに走った方がいい。しかし当のスイーツは、先ほど行ったコンビニに、二個しか置いていなかった。

 最後の二個を買って来たのだ、直ぐに買い直す事は出来ない。


 たけしは、叱られる覚悟を決めた。せめて自分から見て、少しはましだと思える方を渡した。

 だが、怒っている気配を感じず、怒声すら飛んでこない。


 それならばと、たけしは本命のコーラを見せる。

 しかし兄貴の反応は、たけしの予想と異なるものであった。


「兄貴の言ってたコーラは、これでいいんすよね?」

「間違いねぇよ。間違いねぇんだけどよ。それは、お前が飲め!」

「何でっすか? 兄貴は飲まないんすか?」

「俺は、さっきお前が買って来たのを飲む」

「よくわかんないっす。それでいいなら、兄貴は何で、このコーラを買いに行かせたんすか?」

「甘い物も食いたかったからだ」


 首を傾げながらも、貰った物は飲もうと、たけしはコーラのボトルに手をかける。

 その時だった。兄貴から、再びドスの利いた声がかかる。 


「ちょっと待て、たけし。開ける前に、何歩か下がれ!」


 たけしは、兄貴の言葉が、上手く理解出来なかった。

 しかし、たけしは迷わなかった。


 兄貴は頭が良い。兄貴の言う事なら、聞いておいた方が良い。それは揺るぐ事の無い、たけしの行動指針である。


 たけしは、ゆっくりと後退していく。二歩、三歩、四歩と下がった所で、兄貴から声がかかる。


「よし。その辺でいい。いいか、蓋を開ける時は、顔を近づけるんだ。それと勢いよく開けるんだ。わかるか?」

「わかったっす」

「なら、蓋を開けろ!」


 たけしは目一杯の力で、コーラの蓋を開ける。そして、中で気体になった二酸化炭素が、コーラ液を巻き込んで、勢いよく噴き出す。


 噴き出したコーラは、たけしの顔面を直撃する。余りの衝撃に目が開けられない。

 だが、たけしは瞬間的に悟った、このままでは部屋を汚してしまう。


 次の瞬間、たけしはペットボトルの口を咥えた。しかし勢いは止まらず、噴き出したコーラは、たけしの喉を直撃する。

 

 それは、痛みというより、窒息の恐怖だった。たけしはペットボトルを放り投げると、強制的に喉へ入り込んで来たコーラを、ブハっと音を立て吐き出す。

 そして、四つん這いになって、ゴホゴホと咳をし続けた。


 たけしがコーラの蓋を開けてから、たった数秒の出来事である。

 そして、兄貴はその光景を見ながら、高笑いをしていた。


「はっはっはははは、はぁっはははは、はぁはっはははっ、あっはっはっはっはぁ」

「あじき。ゴゥォホ、ゴッホ、ガハ、ガハ、ガハ、グゥオッホ、ゴッホ」

「フハハッ、ハハハ、ハハッ、ハハハッ、ハァハッハハハ、ハハッハハ」

「ゴッホ、ゴッホ。だじげ、ゴッホ、ガハ、グゥオッホ、ゴッホ」

「ハハハッ、ヒーヒッヒッヒ、アーハッハハ、ウヒャヒャヒャヒャヒャ」

「ゴッホ、ゴッホ、ゴッホ。わりゃわにゃいで、たしゅけ、ゴゥォホ、ゴッホ」

「アーハッハハ。たけし、お前。ウヒャヒャヒャヒャヒャ。本当に知らなかったのか? ハハハッ、ハァハッハハハ」

「にゃにが?」

「ハハハハ、はぁ、はぁ、はっははは。はぁ、はぁ、はぁ」


 たけしは、苦しそうに咳をしながら、上目遣いで兄貴を見つめる。当の兄貴は、腹を抱えてソファーの上で笑い転げている。

 ようやく笑いと咳が納まった頃、兄貴は満面の笑みを浮かべて、たけしに言い放った。


「お前、コンビニの袋を振り回したろ?」

「何でわかったんすか?」

「馬鹿か。スイーツが、ぐちゃぐちゃになっている時点で、誰でも気づくだろ!」

「それとコーラに、何の関係が有るんすか?」

「炭酸の飲みもんはなぁ、振ると炭酸が飛び出してくるんだ。覚えとけ!」

「わかったっす。痛い目にあったっす」

「いい勉強になったろ。お前はシャワーを浴びて、着替えて来い。掃除はしなくていい、いつもの業者に連絡しとけ。全部終わったら、一緒にこれを食うぞ!」


 たけしは、コクリと頷き浴室へと向かう。途中ハッとした様に振り向くと、兄貴に向かって問いかけた。


「ところで兄貴、おつりは?」

「いつもと同じだ。駄賃にしとけ」

「助かるっす兄貴」

「腹減ったら、肉屋のおっさんに、コロッケでも作って貰え」

「メンチの方が好きっす」

「そうか。なら、肉はケチらせんなよ!」

「兄貴がそう言ってたって、伝えるっす」

「あぁ。それでいい」


 シャワーを浴び着替えた後、たけしは馴染みの清掃業者に連絡を入れる。「兄貴が早く来いって言ってるっす」と業者を脅して急がせる。

 ひと段落した後、兄貴とたけしはテーブルを挟み、形が崩れまくった新作スイーツを頬張った。

  

「まあまあだな」

「そうっすか?」

「形が崩れてなきゃ、少しは旨いと思えたかも知れねぇな」

「そうっすね」

「次は気を付けろよ」

「わかってるっす。あんな辛いのは、もう嫌っす」


 これは、チンピラと呼ぶには優しい青年と、青年に拾われた少年の物語である。

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