魔導人形少女を製作して、ツンケンな彼女といちゃらぶしながら、理不尽と闘う話になるはずだった話の1話目。

 あの言葉が悪かったのか、この言葉が悪かったのか。いいや、出会う人すべてが悪かったのか。そんな事はなかろうに。けれども、考えずにはいられない。結局のところ、すべての要素と要素が絡まり合ってとろとろに溶けた鍋の中だ。


 気が付けば、見たこともない薄汚れた路地にいた。飛ばされたのだと理解する前に血飛沫が散った。筆に赤い絵の具を含ませ、振り回したように。きっと、見てはいけなかったのだろう。歯車の狂い始めはこの地点だった。命と引き換えに売り渡したのは己の人生の選択肢。

 刃物を突きつけられ、服従を誓った。


 どんなことでも占おう。何でも当ててみせる。手始めに貴方が今、迷っていることを。


 その粗暴な男は疑惑に満ちた眼で機会をくれた。言葉通りに何でも占い、一度たりとも外さなかった。男は意外にも忠義の漢であって、やがて、信頼を寄せる己の上司に僕の身を献上した。身を守る術もなく、周りは暴力を武器にする男ばかり。裏社会を転々と流されるままに流れ、やがて、社会の汚濁を牛耳るボスの手によって、狂える王へと献げられた。


 疑心暗鬼に囚われた王だ。己の能力に疑惑を抱いては、自身を信じ切れない。人の心の有り様は移り気なものと思い込んでは、忠誠など妄言だと一蹴する。

 子供のような王だ。永遠を望んでいる。己の全てを理解して、分かち合ってくれる人を。永遠に変わらない情を、時の止まった心を持つ人間を渇望している。

 

 あれは余を裏切っておるのか?


 人を信じ切れぬ王は讒言に心を寄せて、幾千もの血を流した。

 残ったのは利益で王と結ばれた悪党ばかり。


 だから、問われればこう答えるしかない。

 さようでございます。


 暗愚な王だ。そもそも権益や互いの身の保険が紡いだ組織であるのに、どうして王冠を揺るがす程に心に従う者が、毎日、処刑台に列を作るまでに上るという?

 毎日のように裏切りに野心、私怨の肯否を占う。

 僕は怖くて嘘を付けない。この意外にも鼻の利く王は不思議なことに偽りの予言を嗅ぎつける。

 保身ゆえに狂える王に阿り、或いは鼻先に人参をぶら下げられて、或いは純粋な恐怖から、託宣を偽った同業者の何人いた事だろう。

 僕が占術の結果を偽らないのを、どうしてか嗅ぎつけて、王は信頼した。

 占うたび、人が死んだ。

 これほど、言葉が恐ろしく思えたことはない。

 ここは遥かな太古より栄えし大帝国、死霊術を使用した強固な支配システムを構築している。僕の経歴から分かるように宮廷は見るも無惨に荒廃しているが、恐ろしいことに帝国は盤石だった。

 いいや、帝権は盤石だった。国土は広がり、帝国の威光は高まり、産業は栄えるも、貧富の差は拡大し、階層を超えて人心は荒む一方だった。侵略軍と伴に悪名は轟き、軍需、奴隷、性、薬物、この四柱が最も勢いがある。これに奢侈を加えて五つともいう。

 まあでも、そんなことはさして重要でもない。

 おつむの足りない王の愚劣な指示でも、戦果の上がるシステムが恐ろしい。この国では死して後は王に仕える。職業別に異なる形態の租税に、死体、霊魂を加え、これを基本とする。最も、今世王は随分と税目を増やし、加えて、一部に特権を与えた。例えば廷臣や側近、寵姫などだ。

 三日前に寵姫が断頭台に登ったことは記憶に新しい。つい数時間ほど前、新たな女性が召されたとも聞いた。そこらを歩けば、屏障具の後ろから、お喋り雀の声が聞こえる。

 亡き寵姫様は幼げな少年だったけれど、新しい寵姫様は妙齢の女性らしい。

 豊かな胸をお持ちで、御髪は灰色掛かった淡いローズピンク、虹彩は黄金か金剛石のような不思議な彩り。

 甘ったるい妖艶な美貌はどことなく、ほろ苦い廃退的な風情が漂う。

 王は色気に酔い、さっそく寝室に誘ったとか。数十代前のルナシェル様に似ているらしい。

 建物であることが本質なのか、装飾であることが本質なのか、どうにも混乱してくる宮廷内をそぞろ歩く。 

 仕事がないのだ。

 王の心中で疑惑の念がむくむくと育って、立派な実を付けるまで、呼ばれる事はない。 

 暇だった。


 廊下の窓際に時々、設けられている休み所を適当に選び、ソファーに腰掛ける。

 手持ち無沙汰に扇子を弄んでいると、誰かがお茶を入れてくれた。

 お礼を述べるために声を掛けると、お喋り雀から先方さきがた、転職した親切な内官は、明日には宮廷から消えているだろう。あんまりな社会である。透き通るガラス越しに美しい庭園を鑑賞出来た。奥深い緑の暈繝、鮮やかな花の色、燦めく水盤、空の果てに錦が棚引いている。

 華やかなお茶菓子に金のフォークが添えてある。

 少しお茶を飲み、やはり扇子を弄んでいると、向かいから人影が来た。侍官かご友人か、はたまた私僕を侍らせ、数人。


内神祇官ないじんぎかん様ではなくて?」


 よく通る甘い声が柔らかく響く。

 ふんわりとした色調の桃色と銀のストライプのドレス。

 繊細なレースが手首を彩り、多彩刺繍と真珠の刺繍が裾を彩る。

 胸元に輝く、大きな金剛石。灰色掛かった淡いローズピンクの髪、黄金か金剛石のような不思議な虹彩の――――


「良くご存じですね」


「有名でいらしゃいますもの。主上は甚く信認していらっしゃるとか。わたくし、新しく寵姫になりましたマルフェリアですわ」


 やっぱり。新しい寵姫だった。

 

 成るほど、蠱惑的な美しいひとだ。


 寵姫は胸元を誇るように少し屈んでお辞儀をしてみせた。瞳が悪戯っぽく燦めき、少々、上目遣い気味に僕を見つめる。


 王の趣味は手広い。


 先の寵姫は少年、その前は幼い少女、凛々しい若者、嫋やかな令嬢、流浪の歌姫、美麗な軍人……

 そして、彼女は娼婦であるらしい。


 献上してきたのは旧都の名士だが、自ら志願したとも。金剛石のように燦めく瞳には、野心的な美しさがあった。


「内神祇官のイシャルミヤです」


「イシャルミヤ様とおっしゃるの。不思議な響きですけど、私には心地良く響きますわ。私、イシャルミヤ様とは、一度、お話してみたいと思っていましたの。御同席しても宜しくって?」 


 此方の返事を待たずに、向かいのソファーにドレスの花が咲いた。どことなく妖艶な様態で、優美に腰掛ける。大輪の牡丹のような微笑を浮かべ、此方を観察している。


「せっかくのお誘いですが、少し火急の用を思い出しましたので、本日は。それと、宮廷では職位か通称で呼ぶのが習いですよ。華の寵姫殿。まあ、追々学ばれると宜しいでしょう」 


 寵姫とは一年草のようなものだ。あっという間に枯れ、新しい花が咲く。願えるなら、残酷な処刑にならない方がいい。


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 ヴァシアが王を主人とする大帝国、その領域をマグナ・アガレシアと呼称する。

 今それは数十の大陸となっていた。先方、西海に赴いていた元帥が帰還し、正式に三大陸がこれに加わるという。それでか知らないが先程、外廷で儀典官が騒がしかったのを覚えている。


 ヴァシアの宮廷には内廷と外廷の区別がある。外廷は公の空間であり、ヴァシア及びマグナ・アガレシアの国政の要として機能している。内廷は王室の私的な空間であり、王家の私生活が営まれている。

 内廷には国政上の側近とは別に王の私的な臣下がおり、これを王臣と呼称し帝国官僚及びマグナ・アガレシアの諸土王と区別する。

 王の妻は女王であるからこれを除き、妃妾もまた、王家と主従関係にある眷族とされる。

 内廷は王室、王臣、内官、王臣や内官の私僕(王室が役職を与えなかった場合も私僕と称する)から成る。

 この内、内官は外廷を含む宮廷全体の施設管理、サービス提供者として従事する。多くの人員を擁し、構成員の身分や立場も幅広い。

 内神祇官というのは、ようするに内廷の神祇官といった意味がある。ヴァシアの宮廷では代々、巫覡ふげきや予言者の類はまとめて神祇官とされている。

 

 淡い金髪と濁った青の瞳を持ち、醜く肥えた男が宝玉に包まれるようにして、甚く豪奢な黄金の座に座っている。

 出来物と脂肪の砦が、年齢を推し量る事を阻んでいた。

 王である。

 マルフェリア姫とは別の美姫が数人、玉座に侍り、透けた衣装から玉のような肢体を晒している。

 目に悪い光景も見慣れたもので、心は平静で凪いでいた。

 

「お呼びと伺いましたが」


「おお、イシャルミヤ」


 翠玉の皿から葡萄の粒を摘みながら、王が言う。機嫌良さげな声。いつも、王の気分が落ち込んでいる時に呼ばれるから、とても珍しい。珍しい事はもう一つ。

 謁見の間に見慣れぬ姿があった。

 白髭を床に流し、跪くのは眼光鋭い、厳めしい老人。布地をたっぷりと使った黒衣を白金のラインが引き締めている。魔導士めいた装束、傍らに、澄んだ青緑の石を備えたロッドが横たわる。


塔長とうちょうがな。そなたに魔導を教授したいと申しておる。よく分からぬが、余の下僕げぼくに機能が増えるのは悪くない。学べ」


 何を言っているのか。理解に苦しむ。


 僕は塔長と共に追い出された。


 一体、何が起きているのだろう。塔長というのは、魔導の研究開発に従事する機関、通商を『白き塔』の長官のことだろうか。他に塔の名を持つ施設を宮廷内に知らない。


「確か塔長殿でしたか。ご説明いただきたいものですが」


「うむ。そなた、中々に素質があるぞ。腐らせておくのはもったいないからの。ここは一つ、死霊術を学ばぬか。美人な人形が作れるぞ」


 面倒くさそう。だけど、暇な時間の方が多いのは確かだった。それに、王命は断れない。いかなるふざけた言葉だとしても、王の口から出たものは王命に違いない。あんまりな社会である。

 

「儂はノーセンヴェリア。魔導研究開発施設管理官を賜っておる。『白き塔』の管理官じゃな。官位は四位じゃが、閑職じゃから、そなたに教える時間はたっぷりとある」


「さようで、内神祇官のイシャルミヤと申します。それでまた、どうして私に教えようなどと?」


「暇じゃからな。……言葉は崩して貰えると嬉しい。今世王の代になって、碌でもない魔導士が増え、利益になりそうな仕事を根こそぎ奪っていくのじゃ。雑用は新入りに押しつけるから、儂はする事がなくての。何か専門を持って、研究しておる訳でもないし」

 

 戦慄する他ない。よくも、そんな理由であの王に奏上出来たものだ。塔長は恐ろしい男だった。鋭い眼光も厳めしい顔つきも中身と釣り合っていない。

 

「で、そんな折にそなたを見つけたのじゃ。魔導士としては、そなたの才は、もったいないと思えてならぬ。昔は教職に就いておったこともあるしの、その、血が疼いたのじゃ」

 

「そのような魔導士の才が私に?」

 

「笑える程に魔導人形制作に偏った才じゃな。面白おてならぬ。魔導人形は良いぞ。無垢で従順での。容姿も性格も自由自在。教育に失敗すると酷い目にあうがな」


 ノーセンヴェリアは呵々と笑った。僕は神祇官の真っ白い扇子を音を立てて閉じた。

 鮮血のように紅い花片が風に浚われ、大理石の石畳に舞い降りる。


「して、どちらに連れて行かれるのでしょう」


「無論、塔じゃ!陰険な奴らに合わんでも良い、素敵な道を案内あないしようぞ」


 宮廷は町が数個は入る程度の広さを誇るため、内官の手によって、移動時間の短縮化を図るために、転移機構が全体的に張り巡らされている。

 ところが、頑健にして奇特なノーセンヴェリアは、これに頼る事なく、長距離を徒歩のみで移動した。本人は甚く元気だったが、僕の方は精根尽きて、もう暫くは椅子から降りる気にならない。なんとも、恐ろしい男だ。


 塔の管理官室は、帝国官僚の個室として極普通の広さを持っているだろうが、恐らく魔導に関係するのだろう物に溢れ、非常に狭く感じられる。

 暗い輝きを放つ鉱石の欠片が山を作り、情報媒体が散乱している。室内には甘い匂いが立ちこめつつある。


「塔長どの、」


 厳格な後ろ姿が振り向いた。

 右手に桃のシロップ煮、左手にタルト・タタンと果実の糖蜜煮がたっぷり入ったパウンドケーキを持っている。


「うん?幣振しでふりで良いぞ。魔導研究開発施設管理官の公的通称は塔長じゃが、皆、儂の事は幣振りと呼ぶでな。ほれ、この長い縮れ毛がそっくりであろう」


 更に、机の中から桜桃の糖蜜掛け、ガレット、ミルクファッジ、焼きメレンゲが出て来る。ノーセンヴェリアは慣れた動作で陶器の平皿に美しく並べていく。


「では、幣振りの。どこからその元気は湧いて出るのでしょう」


 泡立てたココアの小さなカップを己の前に置き、水色の美しい紅茶を差しだすと、幣振りは力強く断言する。


「甘味じゃ!食べるが良いぞ。特にこのタルト•タタンなど、秀逸じゃぞ。ほれ」


 林檎はほんのりと東雲色に色付き、薄いタルト生地の上に詰め込まれている。少し焦げた様子が食欲を誘うよう。


「後ほど、紹介するが、儂の百三番目の愛娘、美しい金の巻き毛のアイーシャが作った物じゃ」


「百三番の娘さんですか」


「魔導人形じゃ。儂の百三番目の作品ちゅうことじゃな。家族とは、もう随分と昔に別れた。もう三百年程になろうかの。子孫はおるか、おらぬか分からぬよ。我が家は高貴の出ではなくてな、儂以外は宮仕えする者はおらなんだ」


 ヴァシア宮廷は太古より祭儀の場を担って来た。幾層にも重なった呪術の力場が、空間を歪まし、宮廷に暮らす者の身体に異変を起こす。身体の時が引き延ばされ、或いは、完全に止まる。聖域と呼ばれる所以である。


 桜桃の糖蜜掛けを摘む。シャクと割れると、とろりと甘いお酒が染み出てきた。


「なるほど。お菓子ばかり作らせているのでしょう」


「おかげで上手くなったわい」


 視線を交え、笑う。甘い物は嫌いではない、とても。

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