第21話 ガラスごしの生徒会室の出来事
「それじゃ、行ってくるね」
とサエナは手を振った。
二月。三年生は半分が既に受験から解放され、あと半分が、まだ本番待ちの状態で、学校には来なくなっていた。
学校は既に二年生の天下だった。そして生徒会は、一年生のものだった。
サエナは「生徒会長」から「元生徒会長」になり、ワタシは美術部の副部長になっていた。部長は隣のクラスの男子なのだが、またこれが嫌になる程上手い。ただ、専攻する科が違うだろうことが、ワタシを無意味な嫉妬からは解放していた。
サエナが出ていったのを見計らい、ワタシは例の墜ちた天使の絵を開く。
スケッチブックの中のそれは、もう殆ど完成していた。
端から見れば、完成していると言ってもいい程だ。ただワタシが納得しないので、それをただの鉛筆画で終わらせるのか、それを下絵として、何か大きい紙の上に再構成するのかは、まだ考え中だった。
墜ちた天使が眠る上に、花びらがはらはらと降っている。
今のところ色は無いが、もしも色をつけるなら、全体的に淡い色合いにしたい。
彼女が背にかけるアイボリーや、春に咲く花の、淡い柔らかな色合いで、この絵を形作りたい。
*
サエナが泣くのを初めて見てから、数ヶ月が経っていた。
その間に、一つ下の目立つ学年トップの「コノエ君」は、実に鮮やかに、自分の役目をこなしていた。
秋の一時期、ちょっと体調を崩して、一ヶ月ほど休んだことはあったが、二学期の途中から、彼はいきなり表舞台に出てきた。
つまりは、生徒会への立候補だった。
もともとこの学校に長く居る生徒は、本当の意味で「立候補」はしないのが普通だ。
だいたい「立候補」するのは、外部から入ってきた生徒であり――― どうやら彼もご多分にもれなかったらしい。
だが、選挙活動をする彼の姿を何となく目の端に入れていくうちに、ワタシは何となく奇妙なものを感じ始めた。
積極性は、公約とか、そういうものは、サエナとよく似たものを上げているとは思った。
すなわち、この学校の活性化。眠った子を起こす方法。
似ている、と当初は思ったのだ。
だが、それは違った。ただ、それが「どう」違うのか、ワタシはぼんやりした感触しか掴めなかったので、とにかく、一歩引いてみることにした。
一歩引く。そう、何か、危険信号に近いものが、彼からは感じられたのだ。
そして、それは全校生徒総出の選挙演説会で明らかになった。
無論、それが、他の生徒が気付いたかどうかは判らない。ただ、ワタシはそう感じたのだ。
彼は演壇で、実に穏やかに話し出した。
正直言って、それは、例えば一対一で話していたとしたら、確実に相手を安心させるような雰囲気なのだ。
声は全般的に低めに、早くもなく、下手な高揚もしない。ただ、それなのに、次第に周囲は彼の言葉に聞き入っていくのだ。
どういうことだろう、とワタシはそれを見、聞きながら考えていた。
違和感。
その違和感が、形を持ち出したような感覚があった。
ワタシはこの学校がどう変わろうが大して関心はない。したいことが穏やかにできればいいだけで、その環境が平和な限り、そうそう自分から動くということはしない。
だがそういうスタンスであるからこそ、彼が実にさりげなく、醸し出している、何か、奇妙なものが、感じられたのだ。
それは何と言うのだろう。
この、歳不相応にしか感じられない彼の姿が、その時いきなり、何か、一つのイメージを持ち出したのだ。
そして、そのイメージは、「危険」という文字を背負っていた。
サエナの好きなカナイ君は、マキノ君とバンドを組んだらしい。
どうも最近彼女はマキノ君と仲良くなって、情報収集しているらしい。仲良くなって、と言っても、それが何か後輩の女子に対するもののようだ、というのが何だが。
あのマキノ君という子は、確かにそこいらの男子のような、あの生々しい生気を感じないのだ。どちらかというと、植物的な印象がある。
彼は彼で、コノエ君とは違った意味で、他の男子生徒とは違った骨格やら筋肉の付き方をしているとしか思えない。色も白いし、何か全体のバランスが、変なのだ。
男子にしては肩幅が無さ過ぎたり、首が細かったり。でも女子とは違って、腰の丸みは無いから、明らかに男子なんだけど――― 結構頭をひねる存在だ。
サエナが「後輩の女子」のように接してしまう理由が判らなくもない。
*
そうこう考えているうちに、ふと視界に何かが動いたので、ワタシは目をそちらへ移した。
何だ。
てっきりサエナが生徒会室に着いたのだ、と思ったのだが、どうやら違うらしい。
窓の枠に腰をかけて、ガラスごしに生徒会室に視線を投げる。
どうやら中に居たのは会長であるコノエ君だけだったらしい。時計を見て、立ち上がり、本棚から何やらファイルを抜いて、眺めて、また戻したりしている。
中に誰かが入ってきた。男子だ。制服がそれを物語っている。何か見覚えがある。
カナイ君だ。何しに来たのだろう。
そう言えば、バンドの方も最近はがんばっているらしいから、送別会のステージにも出るというのだろうか。
そう思いながら、ワタシはしばらく二人の様子をぼんやりと眺めていた。
コノエ君は一度何処かに引っ込むと、何やらカップのようなものをカナイ君に渡している。
それを受け取ると、カナイ君は、会長の机の上に腰を下ろすと、カップに口をつけていた。
ずいぶんと楽しそうに二人は話している。コノエ君は自分の机の方に向かうと、座っているカナイ君の側に寄った。
え?
ワタシはふと、目を凝らした。
ちょっと待て。
コノエ君は机の上にカップを置くと、座っているカナイ君の前に寄った。
そして、顎を持ち上げると、そのまま。
はあ?
ちょっと待て。
慣れている仕草だった。
決して、昨日今日のものではない、と今のワタシなら、判る。
遠目でも、コノエ君の手つきはそれが慣れたものだということが判るし、カナイ君がそんなことをする相手のことを、決して嫌がっていないということも判る。
とすると。
ワタシは窓枠から飛び降りた。
これはまずい。
サエナを今行かせてはならない。
おそらくかなり動転していたに違いない。
後で考えてみれば、カナイ君が入ったのを、彼女が入ったのと勘違いしたくらいなのである。今から飛んで行っても止められる訳がないのだ。
緩んだ靴紐を、慌てて締め直そうと手をかけた時だった。
二人の視線が、入り口に集中した。
ワタシの視線は、その光景に集中した。
扉を開けたのは、誰なのか、そこまでは見えない。だが、それまで接近していた二人が、少しの間をおいて、肩をすくめるのがワタシの目には映った。
ちっ、とワタシは舌打ちをする。
ぴしゃ、と右手で、右の頬を大きく叩いた。
慌ててカーテンを閉めた。
案の定、数分後、勢いよくこの準備室の扉は、開けられ、閉められた。
サエナは窓際のワタシに飛びついて、声を殺して泣いた。
どうしたの、と声を一応かけた。
理由なんて、判っているくせに。
サエナは大きく頭を横に振る。何でもない、何でもないの、とひっくり返った声で、それでも何とか答えようとしていた。ワタシはそれ以上聞かなかった。
理由は判っているのだ。
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