【勇者:セアラ】は生体人形になった。

ののの。

緑青。

 彼を美しく彩る、雅やかな飾りが久遠の彼方に消え入るかのような高雅な音色を奏でていた。


 そして、青緑の雨がざあざあ降りしきっていた。彼の名残を掻き消し、全てを濁った彩に塗りつぶすかのように。


 

 

 



 舌っ足らずな少年の此方を慮るような声が耳朶を震わせた。彼がわたしを心配する声は、染み入るよう心に広がり、わたしを甘やかで切ない気分にさせる。


 アルエリヤさま。そんなに心配そうにわたしを見ないでください。

 あなたは、もうすぐ死ぬのですよ。

 セアラは、あなたから世界を奪うのですよ。

 ……アルエリヤさま、なにもご存じないわが仮初の主。どうして、わたしを愛しむようにご覧になって、困ったように微笑まれるのですか。そんな優しい毒で、わたしを侵さないでください。 

 溺れて、死んでしまいそうです。わたしは敵です。あなたに仇なす者の道具なのです。

 

 あなたの小さな身体はか弱いですね。簡単に首を手折れそうです。白刃を以て、その命を風花のように儚く散らすことも、わたしには容易いでしょう。


 アゼスさま。わたしは薄汚い者です。アルエリヤを愛しく思うのです。


 愛しいアルエリヤさま。アゼスさまの仰るように、汚泥に塗れた下界にも希望は必要なのです。例え、箱の中から現れた最後のものこそ、希望だとして、それでも。この世界は解放されなけばなりません。自らの意志をもって生きることが、どれほどの苦痛と希望に塗れていたことでしょうか。 


 いずれにせよ、わたしが白刃をもって迫るべきあなたは脆く儚い存在でした。玩具にして遊ぶまでもなく壊れそうです。


 あなたは思い描いていた人とは異なっていました。

 私に詳しいことは分かりませんが、『偉大なる主人たち』の誰もが、アルエリヤさまを恐れていました。『円』を崩壊に至らしめる破滅の君だと。一方で、いと高き方だと崇めてもいました。



 世界を支配する『偉大なる主人たち』の都は果てしない青い湖の上に広がっていました。


 乳白色の石造りの優美な屋敷と緑の園が湖上に散開し、瓦屋根や楼閣を飾る黄金や宝石がきらきらと青い湖の上に瞬いています。その中心に立派な大宮殿がありました。青藍の湖上から白銀に輝く尖塔群が天高く聳えています。尖塔の周囲に幾つもの浮遊庭園が衛星のように周回していました。その一つ一つが十分な広さをもった広大な庭園であり、尖塔群からなる宮殿がいかに壮大か伺えるでしょう。


 主人達も我々と違う種ではありません。人間の中に『円』に干渉できる人々が時偶生まれるのです。湖上の都で主人達の間に生まれた子供は大抵、主人です。地上にも時々、主人が誕生することがあり、湖上の都から迎えがきます。主人達は連れてこられた赤子を、恐れて殺そうとしました。主人達にとって『共有領域』での異変は大変なことのようです。『円』を感情一つで崩壊にいたらしめるアルエリヤさまは悪魔のようなものでしょう。けれども、害することも叶わぬと知り、都の中心に大きな宮殿を造り始めたのでした。贅を凝らした宝石箱のような宮殿ができ上がりました。主人達は世の至宝を集めてまばゆく飾り立て、大勢の召し使いとともに赤子をそこへ封じました。


 そうです、『円』をも破壊至らしめる偉大なるアルエリヤは、この美しい箱庭に封印されていたのです。


 赤子は美しいしもべに傅かれ、贅沢を贅沢とも思わぬ、望んで叶わぬことはない生活を送りました。箱庭の外側からやって来る主人達もアルエリヤを神のように崇め、奴隷のように媚び諂い、どんな言葉にも従順でした。


 あなたが都合の良い言葉に浸る人間だったら、どんなに良かったことでしょうか。幸せな暴君でいられたはずです。わたしだって、刃を突き立てることに躊躇いはしなかった。

 

 わたしは生体人形セアラ。地上の尖兵にしてアルエリヤさまへの生贄です。

 主人達がわたしを貢いだのですが、その正体が旧世界教の『勇者』であることは知りません。


 アゼスさまは仰いました。塔の君は政治を担っていないけれど、青い湖上の都において不可侵の存在であり、その死は『偉大なる主人たち』の没落を象徴する事象であると。


 もしも他の主人達と同じように生体人形を物のように扱う方でれば、今のように心を通わせるなどあり得なかった。そうであれば良かった。わたしは……もしかしたら、あなたも身を引き裂かれるような悲痛を知ることも幸福を味わうこともなかったでしょう。 


 困ったように微笑むあなたは、余りにも甘くて哀しいのです。




 

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