人間とアンドロイドⅡ
河野章
人間とアンドロイドⅡ
冬寒の曇り空の下であった。
老人は1人、堤防に電動車椅子に座って風を正面から受けていた。
細く枯れた腕には点滴が刺さっていた。その管は車椅子の背後に吊るされたパックへと繋がっている。
「昔、ここには川があった」
「はい」
老人は自身の介護用AI、車椅子型のアンドロイドへ語りかけた。
車椅子型のAIアンドロイドは、老人の耳元のスピーカーで答えた。
老人は中原啓太といった。
「中原さんの、故郷ですか?」
アンドロイドは聞いた。
「ああ」
老人は頷いた。そして、何事かアンドロイドに頼んだ。
目の前にはコンクリートで埋め立てられた、川の残骸が見えていた。
対岸までは数百メートル。今は暗渠になった上を、ゴミの山が埋め尽くしている。川があった面影はない。
アンドロイドは昔の川の画像をタブレットに呼び出した。それをアームを使い、中原に見せる。
「これですか……?」
「そう、これだ」
中原は、差し出された画像を手に取った。桜が両岸に植えられ満開の下、土手には菜の花が咲き乱れていた。川は雄大に、ゆっくりと流れている。
「この近くにな、家があった。そこで生まれてそこから出て就職した……」
「はい」
アンドロイドは端的に答える。あまり複雑な受け答えは出来ないようにプログラムされていた。
「死ぬなら家で……と思っていた。今はもうないが……それが無理ならこの川でと」
「川ももう無いですね」
「ははっ……ないなあ」
老人とアンドロイドはポツポツと話を続ける。
沈黙が落ちた。
老人は肌着に入院着のみだった。素足に2月の風は冷たい。
こっそりと病院を抜け出してきたのだった。
「俺の余命は何日だったかな」
「何も起こらなければ……推定で後、431日です」
「そうか……」
最近では、最期の2年間程度は正確に余命が出せる技術が発明されていた。
何日で起き上がれなくなり、寝返りが打てなくなり、物が食べれなくなるか……ほぼ間違えずに正確に出る。
中原は座位は取れるが自分では起き上がれなくなるでしょうと1週間前に言われた。そのAIの診断どおり、3日前にどうやっても自力では立ち上がれなくなっていた。
「お前が殺してくれたらなあ」
ぽつりと中原は言った。
闘病生活は4年目に入ろうとしていた。そしてもう、助からないらしい。
「私は、人間を殺めることはできません」
アンドロイドがそっけなく答えた。
「人間も、俺を殺してはくれないらしいぞ」
くくっと中原は笑った。
もう起き上がれない。じきに1人では飲食できなくなる。
不可逆の変化が体に起こり、自分は前へはもう進めない。しかし、歩みを止めることさえ今の自分にはできないのだ。残されたのはあと400日あまり。
「そうか、殺してくれないか……ここで死にたかったが」
「無理ですね」
「無理か」
「はい」
中原は震える指で古く懐かしい、川の画像を撫でた。そこに昔の元気な頃の、学生時代の自分が映っているかのように懐かしかった。
「ここへ連れてくることは出来ますよ」
ぽつりとアンドロイドが言った。
「え……?」
中原は振り返った。
声が背後から聞こえるだけだ。スピーカーが中原の横に取り付けてあるだけで、そこには何もいない。
アンドロイドは繰返した。
「あなたが死ぬ間際、ここへ連れてくるというのはどうでしょうか。ここで死にたいんですよね?」
「……」
は、と中原は笑った。
そういう話ではないと思った。すぐに死にたいのだ。この不自由な身が悲しいのだ。
死そのものが辛く怖いのだ。
しかし……。
「はは……」
泣き笑いを中原はした。
そうではないが、何故か救われた。家族の誰にも話せなかった、死への恐怖。
必ずやってくるもの。
「大丈夫ですか?」
アンドロイドが無機質な声で聞いた。
「大丈夫だ」
中原は答えた。あと431日。生きてやろうじゃないかと前を向いた。
【end】
人間とアンドロイドⅡ 河野章 @konoakira
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます