第80話 皇帝による任命

 ミカエルからの返信は、トラエスト帝国議会を大きく揺るがした。

 満場一致でエスペルたちをセラフィムに差し出す……否、「交渉決裂時の戦闘を許可された全権大使」として派遣することが決まった。

 

 派遣決定の三日後、トラエスト宮殿の玉座の間では簡単な大使任命式が行われた。

 エスペルとライラはプリンケの前にかしずき御言葉を賜る。


「汝らに、対セラフィム交渉の全権を授ける」


 プリンケはそう言って、床に両膝をつくエスペルとライラの額にキスをした。

 この賢い幼帝は、この任命の意味を理解しているのだろう。重々しい口調で激励の言葉をかける。


「無事に戻るのじゃぞ」


「はい陛下、必ずや役目を果たして戻って参ります」


 エスペルは深く、こうべを垂れた。

 その隣でライラも、エスペルと同じように振舞った。


「うむ……」


 本来ならこれで任命式は終わりである。

 だが、プリンケがこんなことを言った。


「この任命式、人払いをかけておいた理由は分かるか?」


「き、気になってはおりましたが、恐れながら皆目見当がつきません」


 普通、任命式と言えば文官や武官の列席の元に行うものである。

 なのに今、玉座の間には、エスペルとライラ、プリンケとその護衛のユーエンしかいなかった。


「その理由を今から示そう」


 言って、プリンケがユーエンに声を掛けた。


「ユーエン、あれを」


「はっ。こちらでございます、陛下」


 ユーエンが細長い木箱を手に、プリンケの前に進み出た。

 プリンケの身の丈よりも大きな箱。

 プリンケはその箱をユーエンに持たせたまま、箱を封じる紐を解いていく。

 蓋を開けると、中には布に包まれた剣らしき物が入っていた。


 プリンケは布を開き、鞘に収まる剣を片手に取り持ち上げた。自分より大きなその剣を、いとも軽々と。

 

「この剣、なんだか分かるか?見たことはあるか?」


「いえ、恐れながら一度も……」


「だろうな。余は皇位継承と共にこの剣の守護者となったが、皇帝すら見てはならないと言われている代物じゃ」


 エスペルは一瞬の間をおいて、瞠目する。


「ま、まさか、神剣ウルメキアですか!?二千三百年前、聖者ウルノアが天空神アントゥムから授けられ、邪竜スピラティノスをほふったと言う、神器の剣……!?」


「それじゃ。よく知っておるの」


「世界一有名な剣ですよ!なあライラ?」


「いや私に振られても……。私が知るわけないじゃない。ウルノアって誰よ」


「竜の時代の復活を目論む邪竜スピラティノスを倒し人類を救った伝説の聖者、初代トラエスト皇帝だよ!ウルノアがいなければ地上はまた竜に支配されていたんだ!」


「ふ、ふうん……」


 プリンケは神剣ウルメキアを横にして両手に持つと、エスペルに差し出した。


「そなたに授けよう」


「お、お待ち下さい陛下!そんなわけにはっ」


「とは言え何しろ二千三百年も前のものだからの、もうボロボロかもしれぬ。そなた抜いてみよ。錆びついていたら拒否して良い」


「い、いやそういう問題ではなく!」


「ほれ」


「うっ……。あ、ありがたき幸せです」


 ずいと押し付けられ、否応もなくその剣を両手で恭しく受け取るエスペル。


 生唾を飲み込みながらそれを見つめる。

 お伽話の中の存在が、今、手の中にある。


 神から授けられた、という荒唐無稽な話を信じてしまいそうになる、不思議な感触であった。

 大きさの割にぎょっとするほど軽い。プリンケが軽々と持ち上げていた理由が分かった。


 白銀色の柄は一切の装飾なく、むしろシンプル。鞘は黒く、金で古代文字が書かれていた。


「抜いてみよ」


「か、かしこまりました」


 エスペルは、鞘からすらりと剣を抜いた。

 

 水晶のように透き通る剣であった。


 錆などどこにもない。そもそもこれは、金属なのだろうか?

 だがその未知の素材の剣身が、とても鋭利であることは分かった。研ぎたての鋼よりずっと鋭くで丈夫であろう。それは騎士としての直感だった。


 翻せばキラキラと、向こう側の風景が光を伴い透けて見える。

 その反射光は柔らかく神聖で、あらゆる邪悪を清める気がした。


 エスペルはひと目見て、その不思議な剣に惚れた。


「……抜けたか」


「は?」


「見るな、と言われると見たくなるのが人情での。実は歴代皇帝の半分くらいが、その禁断の神器を一目見たくて鞘から抜こうと試みた、という伝説が残っているのじゃ」


「な、なんと言いますか人間らしく微笑ましい伝説?でございますね……」


「ちなみに余も試した。何しろ子供なのでな、好奇心に抗える訳も無いと思わんか?」


「あ、はい、ごもっともでございます」


「それで余を含めて、歴代皇帝、誰も鞘から抜く事は出来なかった。それを今、そなたが抜いたのじゃ」


「左様でございま……え?」


「聖者ウルノアの子孫たる我が一族が一度も抜けなかった剣。それを二千三百年ぶりに、今そなたが抜いたのじゃ」


「……」


 なんと言葉を発すればいいのか分からなかった。まず思ったのは、きっと冗談を言っているのだろう、ということである。


「その鞘の金文字はこう言っている。『厄災の時、救世の主が現れる。我が子孫は代々この剣を守護し、時が来たら必ず救世の主にこの剣を授けよ』。つまり我が一族は、その剣の使い手ではなく守護者であり授け手なのじゃ。故に鞘から抜けぬ。我が一族は今そなたにこの剣を授けるためだけに、その神剣を継承して来たのじゃ。二千三百年間な」


「え……あ……う……」


 エスペルの理解が追いつかない。あの有名なお伽話の神剣は、自分の為に継承されてきた?二千三百年の時を超えて?


 プリンケはクスリと笑った。


「祖先らも、救世の主にそんな薄ぼんやりした反応をされるとは、思ってもなかったろうのう」

 

「も、申し訳ございません!にわかに信じ難く……」


「なに、構わぬ。まことの英雄というのは、案外こういうものなのだろうな。しかし伝承によると『空色の剣』のはずなのだが、無色透明とはのう。やはり長い年月で色あせてしまったか。……さて、さっきから退屈そうなライラよ」


 ちょうど小さな欠伸あくびをしていたライラは、恥ずかしそうに手で口元を押さえた。

 ユーエンが忿怒ふんぬの目でライラの欠伸を見ているのに気づき、身を竦ませる。


「ご、ごめんなさい気をつけますっ」


 プリンケにと言うより、ユーエンに謝る。


「そなたはなんで最近、大浴場に来ないのじゃ?」


「はい!?」


 エスペルとライラが同時に聞き返した。

 プリンケは意味ありげに微笑むと、声のトーンを落として内緒話のように言った。


「余はまたそなたと風呂に入りたい。羽が生えていても良いではないか、余が気にするなと皆に言えば皆、気にしない。余は皇帝じゃからの」


 エスペルは青くなり、ライラが驚き尋ねる。


「な、なんでそれを知ってるの!?」


 ぷっ、とプリンケが吹き出した。

 イタズラが成功した子供のように、お腹を抱えて笑う。いや実際、子供なのだが。


「あっはっは!やっぱりそうか、そなたセラフィムなんじゃな!カマをかけたんじゃ、引っかかったのう!」


 笑い過ぎの涙まで流して腹を抱えて笑い続ける皇帝に、エスペルとライラは唖然、呆然とする。

 さてユーエンは……いつもの無表情のままだった。


「大丈夫、誰にも言わぬ。ただ戻って来たらまた必ず、共に風呂に入ろうぞ!」


 ライラはエスペルに問い掛ける目線を送った。エスペルは額を抑えてうなだれながら、もうどうにでもなれといった風に、ウンウンと首を縦に振った。


「わ、分かったわ。一緒に入りましょうお風呂」


 プリンケは嬉しそうににっこりした。屈託のない輝く笑顔で、


「楽しみにしておるぞ!」

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