第71話 覚悟

 ヒルデの適切な処置により、左肩の怪我は大事に至らなかった。

 エスペルは城の医務室のベッドに腰掛け、巻かれた包帯を触りながら、ヒルデに礼を言った。


「いつも悪いな。すげえ、もう全然痛みがない!」


「お前は体力馬鹿だから回復が早いんだ。それにしても、まずいな。霊体化と即死魔法を使う、死んだセラフィムを原料とする死霊傀儡か」


「ああ、どんどん死霊傀儡の危険度がアップしてやがる。クソっ、俺が工房の職人セラフィムたちを全員殺しておけば」


 ヒルデが意外そうにエスペルを見て、ああ、と何かを思いついた顔をする。


「ジール宰相に何か言われたか」


「うっ」


「まったくあの人は、だから嫌いなんだ。あいつの言葉は話半分に聞いておけ。文官は武官に無理難題ふっかけたがるものだしな」


「でも納得できる部分もあったから」


「よく考えてみろ、ミカエルとか言う強敵が現れたんだろう?土台、皆殺しなんて不可能だったではないか。それよりも死の霧内部に侵入し帰還すると言う経験を積めたことが重要だ。キュディアス殿もそこを評価しているだろう。それにセラフィムの死霊傀儡を送ってきたと言うことは、あそこに囚われていた人間の魂は確実に全て解放してやれたと言うことではないか」


「ううむ」


「お前は完璧な仕事をした」


「そうかな……」

 

 笑顔をこぼしたエスペルの思ったことは、「ヒルデこいつはいいやつだなあ」と言うことである。良い友を持ったと思う。

 そこで控えめなノックの音がして、そっと扉が開けられた。


「あ、あの、エスペルの怪我は……」


 ライラの不安そうな表情が、扉の隙間から覗いた。

 ヒルデはちらりと見ると、包帯などの道具を手早くまとめ棚にしまった。


「入っていい。私は席を外そう」


 言って、ライラの脇をすり抜け退室した。


「や、やべえなんかヒルデに気を遣われた……」


 そういえば先程の戦闘後、ライラに思い切り抱きつかれている姿をばっちりヒルデに目撃されてしまったのだった。ヒルデは特に表情は変えなかったが、何か思うところはあった、のかも、しれない。


 ライラが駆け寄る。包帯を心配そうに見つめ、


「大丈夫?痛む?」


「いや全然大丈夫だ、もうひとバトルやれそうだ」


「もう、無理しないでね」


 そう言ってベッドの隣に腰掛けてうつむくライラ。表情が暗い。よく見ればその手が、微かに震えていた。


「震えてんのか!?」


「え!?や、やだ私……」


 ライラは震えを見せまいとするかのように、自分の手で自分の手を抑えた。


「どうした?」


「イヴァルト様のあの姿を見たら、少し、怖くなってきちゃって」


「ああ、そうだな、俺もゾッとした」


「私もいつか、あんな風に……?」


 そう言って、自嘲気味に笑うライラ。


「そんなこと……!俺が絶対にそんなことさせねえよ!」


 急に声を荒げたエスペルに、ライラは視線を揺らした。頬を染め、


「エス、ペル……」


「もうこんな鬱陶しい戦い、やってらんねえ!俺はケリをつける、もう一度死の霧の中に入って、セラフィムの神様と話し合う」


「神様と!?」


「セラフィムは人間を滅ぼそうとしてるんだろ?なんでそんなことするのか、ライラが言えないなら、神様に会って直接確かめるさ。神様がセラフィムの中で一番偉いやつなんだろ?」


「話し合うって、何を話すのよ!」


「そうだなあ、まずこっちの第一希望、『カブリア王国を返してとにかくこの世界から出て行って下さい』。第二希望、俺としては忸怩たる思いだが、『カブリア王国はくれてやるからもうその霧の中から出て来ないで大人しくしていて下さい』。そんな所かな。でセラフィム側の希望を知って、妥協点をすり合わせてだな」


「ありえないわ!」


「俺がやりたいのはあくまで話し合いだ。戦争しようってんじゃない。これならライラだって、嫌じゃないだろ?」


「私?……そうか、私が神様と戦いたくないって言ったから……」


「あ、第一希望は『ライラは置いて出て行って下さい』に変えよう」


「バ、バカみたいっ!」


「いやここは譲れねえ」


「そ、それに神様と話し合うなんて無理よ、まだ卵の中だもの!神様はまだ、再生してないんだもの!」


「……は?」


 卵?


「とにかく無理なのよ……!」


 そう言ってライラは口をつぐんでしまった。

 卵、というのは気になるが、もう一度死の霧の中に入りたい、という気持ちは変わらなかった。


 セラフィムが狙っているのは、エスペルとライラの命だ。今まで来た死霊傀儡、全てがエスペルとライラに向けられたものだ。もうその意図は明らかと言っていいだろう。

 ならばセラフィムは死霊傀儡を無意味に帝都に送って来て人々を襲わせる、なんてことはしないだろう。エスペルが帝都に止まる意味などない。逆に民を危険に晒しているだけだ。


 こっちから出向いて行って、直撃あるのみ。


 エスペルの目的は、当初はカブリア王国の奪還だった。

 だがセラフィムが何か恐ろしい計画を進行している、その先に人類の滅びがあるらしい、と分かったからには、事態はより差し迫っている。


 絶対にその計画を阻止しなければ。


 エスペルの気持ちは既に、故郷を奪われた復讐、というような段階は通り過ぎていた。

 ただ騎士として、大勢の人の命を守らねばならぬ、と。

 その思いに駆られていた。

 あの時守れなかった悔しさを、ばねにして。

 

「怖いか?敵地にこっちから行くってのは」


「別に、どうせどこにいても死霊傀儡を送りつけられるし、同じじゃない」


「まあ正直、この先をお前に協力させるのも筋じゃないような気はするが。ここからは人間を救うための戦いになる」


「……あなたにとってはそれでもいい。私も一緒に戦うわ。私は私の目的の為、一日でも長く生き延びる為に、あなたを利用してるんだから」


 ライラは顔を背けながら、ちょっと口をへの字にさせて、共闘続投宣言をする。


「ははっ、ウィンウィンか」


「何その変な言葉」


「なんだっけ……」


 軽口を叩きながら、しかし、複雑な想念がエスペルの胸の内を駆け巡っていた。

 

 エスペルは『神』と交渉するつもりだが、もし交渉決裂した場合は、戦いは避けられないだろう。


 ライラの心の支えとなってきた神を、エスペルは殺さねばならない。


 その時ライラは、どう思い、どう行動するのだろう。


 しかしそれでも、やらねばならない。

 あらゆる覚悟はもう出来ていた。


 迷いがあってはならないこと。

 迷うことが許されないことを、エスペルは分かっていた。


※※※


 エスペルは医務室を退室し、一人でキュディアスに自分の思いを伝えに行った。


 即死魔法を使う死霊傀儡の出現、しかも王宮内部への出現、という事態に、キュディアスも頭を抱えていた。先日ライラが仄めかした、セラフィムが人類を滅ぼそうとしているという情報も含めて。


 よってキュディアスは、エスペルのかなり大胆な提案を、冷静に受け止めてくれた。


「お前に、対セラフィム交渉の全権を預けろ、と。で交渉決裂時の戦闘も許可しろ、と。そう言うんだな」


「はい」


「本格的な敵地突入、か……。そうだな、もうその時期かもしれねえな」


 キュディアスはそこで言葉を切って、目を伏せる。


「すまん。全てをお前に背負わせてしまって」


「問題ありません。騎士ですから」


 そう言って背筋をピンと伸ばすエスペルに、キュディアスは微笑する。

 それは暖かく、それでいてどこか辛そうな微笑だった。


「分かった、宰相と相談する」


「お願いします」


 頭を下げ、退室するエスペル。

 その背中を見送り、キュディアスは思う。


 あの目は英雄の目だ、と。


 すなわち、死を恐れぬ者。

 それは死に急ぐ者と同義でもある。


 キュディアスは拳を固く握り締め、悔しそうにひとりごちる。


「絶対に死なせたくねえな……。クソっ、なんにも出来ねえのか俺は。部下を見送ることしかできねえ騎士団長なんて、ざまあねえな」

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