第33話 大掃除(1) 汚部屋

 あたりはすでに夕闇に包まれていた。

 市場で古着と果物を買ったエスペルとライラは、アパートがひしめく下層街区に到着した。

 自宅アパートの4階にのぼり、エスペルは鍵を回してドアを開けた。


「到着っと。ここが、今日からお前が住む家だ。まあ既にここで三日も寝てたんだけどな、ライラは」


 ドアを開けた途端、目に跳びこんてきたのは、ゴミの散乱する室内だった。


 ライラが震えながら言った。


「嘘……でしょ……!なにこれ、よくこんなところで生活してるわね!」


 カビの生えたパンや、うじの湧いてるりんご、コバエのたかるミルク。汚れた服や手ぬぐい、教師時代のプリント類や、汚れた皿、トンカチ、ハサミ、爪切り、切った爪など。

 それらに混じって帝国から支給された貴重な護符や魔力強化アクセサリーまで散らばっているのだからタチが悪い。

 なお数時間前に死霊傀儡に破壊された、窓の木格子も散乱していたが、それが目立たないレベルの汚れっぷりだった。


「しっ、仕方ねえだろ、男一人暮らしなんてどこもこんなもんだ!……たぶん。ていうかなんで今驚くんだ、朝もここから出かけただろ」


「あの時は死霊傀儡と戦ったりしてそれどころじゃなかったじゃない。……そういえばあなた、ここで何か飲み物を飲んでいたわね。信じられないわ、こんな場所で何かを食することができるなんて」


「あーお茶か。ヒルデだって平気で飲んでたぞ?」


「もお、なんなのよ人間って、どういう神経してるの!」


 エスペルは、ずぼらな自分と変り者のヒルデが今、人間全体のイメージを大きくダウンさせてしまったことに軽く罪悪感を覚えた。


「全人類、すまん……」


 ライラはふうと息をつくと、テーブルの上のごちゃごちゃしたガラクタをかき分けてそこに果物袋を置いた。

 

 そしてローブを脱いだ。

 ライラはローブの下に、メイドドレスを着ていた。


 水色のワンピース、フリフリの白エプロン、リボン付きロングソックスの三点セット。トラエスト城専属メイドのものだ。背中の小さな羽は、ドレスの一部のように馴染んでいた。


「ホワッ!?ライラその格好!?」


 キュートに広がるミニスカートから覗く白い太もも。

 大き目の襟ぐりの中で、胸がきゅっと寄せて上げられていた。巨乳メイドたちに小さい連呼されたライラの胸が、両脇から閉められて谷間化している。


「あ、これ。お風呂上がりにシールラに着せられちゃったのよ。シールラが背中に羽を通すための穴も開けてくれたわ、ハサミで。大丈夫、セラフィムの服はローブの内ポケットに入れてるわ。このローブすごいわね、ポケットになんでも入る」


「へえ、そ、そうなんだ……」


 ローブの内ポケットなんてどうでもよかった。ライラのメイド服姿に完全にうろたえているエスペルを見上げ、ライラは何かに気づいたように赤くなった。


「な、なんでそんな引いてるの!?わかったこの格好ね?変なのね、似合わないのね!?」


 エスペルは慌ててプルプルと首を横に振った。


「いやいやいや!似合ってる、超似合ってる!」


 ライラは赤くなったままプイッと横を向く。


「も、もういいわ、別に変でも!それより三角巾。三角巾、ある?」


 聞かれたエスペルはきょとんとする。


「は?」


「大きめの四角い布よ」


「あ、えーと」


 エスペルは居間を横切って窓を開けると身を乗り出した。こちらの建物から向かいの建物に渡された紐を手繰り寄せ、風にはためく布を一枚、取ってきた。

 ライラに渡す。

 ライラは布の角と角を合わせて折って三角にし、自分の頭にキュッと結んだ。


「ゴミ袋」


「えーと、はい」


 隅っこにぐちゃぐちゃっとなってた大きな麻袋を渡す。


 ライラはゴミを拾い始めた。

 うじの湧いてる腐敗リンゴをためらいもなく素手でつかみ、麻袋の中に放り込んだ。


「ええっ!?ライラまさか、掃除してくれるのか?」


「大丈夫。私、こういうの得意なの。いつもトイレ掃除とか、他のセラフィムの嫌がることばっかりやらされてたし」


「お、俺も一緒に片付ける!」


 エスペルも慌てて床に這いつくばって片付け始めた。

 汚れた下着を丸めて洗濯場に放り込み、コバエのたかる腐敗ミルクを慌てて炊事場に持って行って流した。

 おぞましいものは真っ先に自分が片付けねば、と思いながら。


「いいわよ別に。掃除、嫌いなんでしょ」


「いや俺の部屋だし、俺が汚したんだし、ライラ一人にやらせるわけにいかないだろ!」


「……そう」


 ライラがゴミを拾うたびに身を屈め、身を屈めるたびにスカートの中の白いものがチラチラしていたが、鋼の意思で目をそらした。


「騎士ですから……!」


「?何か言った?」


「な、なんでも……」


 ゴミ拾いだけでも時間がかかった。教師時代のプリント、もう半年前に不要になったものが、なぜ今もこれほど山盛りなのかと自分の怠慢さを呪った。


 ライラは地獄のようなゴミ溜め部屋を、黙々と手際よく片付けていく。


「これは大事そうなものね、どこに置けばいい?」


 問われたエスペルが見上げると、ライラが帝国支給品の護符類を、手にぶら下げていた。


「あー……。どこにしようかなあ」


「もう、置く場所決めておかないとダメじゃない。そのタンス開けていい?」


「ああ、いいよ」


 ライラはタンスを開けて、驚愕に目を丸める。


「なにこれ、どの引き出しも空っぽじゃない!なんのためのタンスなの!?」


「うーん、タンスの中に入れるのがめんどくさくて……」


「もうなによそれ!今、どこに何を置くか決めなさい!」


「はいっ」


 なんだか母親に怒られてるみたいな気分。


 小一時間後、部屋はいつの間にかスッキリしていた。


「すげえ。急に広々した!結構広いじゃないかこの部屋!」


「まだよ、片付けが終わっただけ。これから掃除でしょ」


 掃き掃除をして、水拭きをして。

 ライラは黙々と、淡々と、あっという間に、隅々まで部屋をピカピカにしてしまった。

 居間だけでなく、炊事場も風呂場もトイレも寝室も。


 もちろんエスペルも頑張った。

 キュート過ぎるメイド服姿を鉄の心で視界の外に追いやりながら。


 やがてすっかり綺麗になった部屋で、エスペルは感動に打ち震えた。外はもうすっかり暗くなっていた。

 エスペルは目をウルウルさせながら、


「信じられない俺の部屋がこんなピカピカに!!ありえねえこれは奇跡だ!!これは本当に現実なのか!?」


「お、大げさねえ……。まったく、私に感謝しなさいよね」


 ライラは三角巾をほどいて後ろ髪をかきあげた。綺麗な紫金髪がさらさらと指の間を滑り落ちる。


「もちろんだよ、ありがとなあ、ライラ!!」


「まあ、あなたも手伝ってくれたしね」


「手伝うもなにも、俺の部屋なんだし当然じゃないか!」


 ライラの口元にふっ、とシャボンのように小さな笑みが浮かんだ。


「セラフィムならそんなこと言わないわ、一緒に掃除なんてしてくれない……。あなたって優しいのね」


「やさっ……」


 エスペルがうろたえ、ライラがはっとした顔をした。


「なな、なんでもないわ!疲れたから一休みしていいかしらっ」


「お、おう、すわ、座ろうぜ!」

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