第34話 大掃除(2) 半人間
二人は小さなテーブルの椅子に向かい合って腰掛けた。
エスペルは果物袋の中から
「そうだ、葡萄が気に入ったんだろ?盗もうとするくらいなんだからな。食べるか?」
「ぬ、盗もうとなんてしてないわ!それに別に気に入ってるってわけでも……」
「なんだ、そっか……」
と仕舞おうとすると、
「食べないとは言ってないでしょ!食べてあげるわよ!」
やはり葡萄が気に入っているらしい。
「そうだ、人間社会で守って欲しいことの話をしてなかったな。まず一番守って欲しいことは、人を傷つけないで欲しい。これだけは何があっても守ってくれ」
ライラは葡萄をもぐもぐしながら、コクンとうなずいた。
「商品とお金についてはさっき言った通りだ。あと人のものをとったり、人の家に勝手に入ったりしない。それから、お前がセラフィムだってことは内緒な。外出時はローブを着て羽を隠す。空も飛ばない。会話にも極力、気をつけてくれ。自分の設定も忘れないようにな。ライラは宮廷魔術師、ヒルデの弟子で、外国出身と」
「わかった。……覚えてられたらね」
「頼む、覚えてくれ。あとそれから……」
うーんと唸ってしまった。他にパッと思いつかない。
「……ま、いいや。とりあえずそんな感じで!また思いついたら言うから!」
「聞きたいこと、っていうのは?」
「それな……」
エスペルの表情が若干、険しくなる。
第四騎士団の任務。
それはセラフィム調査だ。セラフィムの目的を知る、ということである。
ライラは間違いなく、セラフィム情報の宝庫だ。
エスペルは単刀直入に聞いた。
「天界開闢、ってなんだ?イヴァルトが言っていた言葉」
「!!」
ライラの表情が凍りついた。エスペルが畳み掛ける。
「セラフィムの目的、ってなんなんだ?セラフィムはカブリア王国で何をやってるんだ?」
ライラは目をそらし、くちびるを噛んだ。
「それは……。言えないわ。決して言ってはならないことだから。天界開闢計画は口外禁止、セラフィムの絶対の禁忌……」
「ライラはもう、セラフィムに追われる立場じゃないか」
「そうだけど、でも!……ごめんなさい、無理」
エスペルはふうと鼻から息を出した。頭の後ろで手を組んで背もたれに背を預ける。
「そっか、わかった」
あっさり引き下がったのを見て、ライラが驚いた顔をする。
「それだけ!?」
「また次にするよ」
ライラが上目遣いでエスペルをうかがった。
「次……。次は、拷問して聞き出すの……?」
「しねえよ!とりあえず今の俺達は対・
「……じゃあ、命令されたら拷問を……」
「しないって!そんな命令が下されても俺は断る!」
「ほんとかしら」
疑わしそうなライラに、「まったくもう」と肩をすくめながら、エスペルは改めてライラを眺めた。
メイド服を着て、三角巾をつけて、一生懸命部屋を掃除してくれた少女。
葡萄を美味しそうに咀嚼する少女。
なんだか微笑がこみ上げる。
「こうして見ると……お前は普通の人間と変わらないな」
ライラがムッとした顔をした。
「な、なによ、嫌味!?言われなくても知ってるわ、私が半分人間の出来損ないだってことくらい」
「ど、どういうことだ?」
「この世界にはたくさんの知的生命体、つまり人間がいるけれど、羽のある知的生命体はセラフィムだけ。羽は高次生命体である証なの。私はその証が異常に小さい奇形セラフィム……半人間なのよ」
「半人間!?」
「セラフィムは本当なら神域……あの霧の結界の内側でしか生きて行けない。私は人間に近い存在だから、こうやって神域から離れても生きていける」
エスペルは額を抑えた。半分人間、というのはかなり衝撃的な情報だ。それは一体、どういう……。
「待てよ、じゃあライラは、『羽の小さいセラフィム』ではなく、『セラフィムと人間のあいだ』だって言うのか……?」
「そうよ、何度も言わないで」
自分の恥ずかしい秘密を明かされているかのように、ライラは不満そうに頬を膨らませている。
半分、人間。
エスペルの胸がどくんと鳴った。
それは吉報であるように思えた。
ならばライラが、人間として今後ずっと人間世界で生きていくことも、容易なのではないか……。
エスペルはそこであることに気づいた。
「セラフィムは霧の内側でしか生きて行けないと言ったが、待て。あの時はイヴァルトも死の霧の外側に出てきていたよな?」
「ちょっとくらいなら出ても平気よ。神域内からプラーナが漏れ出しているから。でもここまで遠く離れたら生きられないわ」
「プラーナ?」
「説明するのは難しいわ。とにかく、セラフィムが生きるために絶対に必要なもの。天界はプラーナで満たされていたわ。下界である地球でも、神域の中だけはプラーナで満たされているの」
「ほほう……」
ライラは今、極めて重要なことを言った。セラフィムの生存条件「プラーナ」。覚えておく必要がありそうだった。
「なあ、ところで、神域……カブリア王国の領内に、セラフィムの神様がいるのか?俺たちの、皇帝陛下のように」
「それは、そうよ」
なぜそんな当たり前のことを聞くのか、といった風にライラは眉根をよせた。
やっぱり、とエスペルは思う。セラフィムの言う神とは概念的な超自然の存在ではなく、王のような現実の存在なのだ。
そこでライラが言い淀んだ。
「でも、神様は今はまだ……」
「まだ?まだ、なんだ?」
「……」
ライラは固い表情で押し黙ってしまった。要領がつかめないながらも、エスペルは質問を変えた。
「とても美しい女性、なんだよな」
ライラの表情がやわらいだ。うなずきながら、
「そうよ!天界にいた頃、一度だけお会いしたわ。セラフィムは生まれてから一度だけ神様に謁見できるの」
「ほう……」
ライラの表情が晴れ晴れと華やぐ。
「あの時のことは忘れられないわ!私、いつも他のセラフィムたちに、『神はお前を愛していない、だからそんな醜い羽なんだ』って言われていたの。だからその謁見の時に絶対に聞こうと思っていたことを聞いたの。『神様は私を愛していますか?』って。そうしたらね……」
そこでライラは言葉を切って、目尻に滲んだ涙をぬぐった。
「『もちろん愛していますよ、ライラ。あなたたちは皆、神の子です。私がどうして、ライラを愛さないわけが、ありましょうか』そう言ってね、神様は笑顔で私の手を取り、額に口付けをして下さったの……。他のセラフィムたちに対するのと同じように、私に接して下さったのよ!」
「そうか……。うれしかったんだな」
「ええ!あの記憶だけを頼みに私は、孤独に耐えて来れたの……」
ライラは両腕で自分の体をぎゅっと抱きしめた。
神の愛を全身で語るようなその様子は、とても幸福そうだった。
だがエスペルはその姿を切ないとも思った。
たった一つの言葉だけを命綱として支えられる幸福。
なんと細い、命綱だろう。なんと儚げな、幸福だろう。
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