第15話 ライラの回復(1) 命の恩人

 帝都キリアのその地区には、石レンガを積み上げてできた、四階建ての集合住宅がひしめいていた。


 集合住宅同士の隙間は狭く、迷路のような路地になっている。隣接する集合住宅の窓と窓に紐が渡され、どの路地の上でも洗濯物がはためいていた。


 この迷路のような石畳の路地を、ぶつぶつひとりごとを言いながら足早に歩く一人の男がいた。


「あいつはなんでまだこんな下層街区に住んでるんだ?城の騎士寮にでも住めばいいものを!」


 明らかにこの地区には似つかわしくない人物である。


 背が高く、目深なフードをかぶり、ブーツを履き、膨れた麻袋を肩に担いだ男。

 宮廷魔術師、ヒルデである。


 路地に座ってコマで遊んでいた子ども達が、ヒルデを指差した。


「見ろよ、まほうつかいだぜ!」


「わあ、怖い!何しに来たんだ?」


 ヒルデはぴたと立ち止まって、じろりと子ども達を見た。


「……ゴキブリにでも変えられたいか?ガキども」


 子ども達はカタリ、とコマを取り落とした。


「ひゃあああああ!!おかあさああああああん!」


 涙目になって逃げて行く。

 ヒルデはむすっと口を曲げる。


「魔術師をなんだと思ってる?ゴキブリに変身なんてできるわけがないだろう、おとぎ話と現実は違うんだ!これだからガキは!」


 ヒルデは手にした一枚の紙を見ながら路地を曲がると、ある集合住宅の前で足を止めた。


「ここか。まったく、この俺様を往診に呼びつけるなんて、なんて贅沢な奴なんだ!大した怪我じゃなかったらただじゃおかないからな」


 狭い階段を上り、古びたドアの前で番号を確認した。うんと頷くと、思い切りドアをノックする。


 間髪いれず、ドアが開いた。


 ヒルデは後ろにのけぞった。


「あ、危ないじゃないか、いきなり開けるな!ぶつかりそうだったぞ!」


「わ、わりい!よく来てくれたヒルデ!」


 焦燥に駆られた様子で、ドアを開けたエスペルが謝罪した。


 ヒルデが怪訝そうに、出てきたエスペルを上から下まで観察した。


「……おい、それのどこが『死にそう』なんだ?」


 そして手にした紙をエスペルの鼻先につきつけた。風魔法によってトラエスト城の宮廷魔術師邸に届けられた手紙である。

 手紙には、エスペルの自宅住所と、『死にそうだから助けてくれ』とのメッセージが書かれていた。


 エスペルはばつが悪そうに目を逸らした。


「死にそうなのは俺じゃない」


「は!?」


「ま、まあ、入ってくれ」


 エスペルはヒルデを部屋の中にいれ、ドアを閉めた。かっちりと鍵も閉める。ヒルデはゴミの散乱する部屋を一瞥し、顔をしかめた。


「ゴミ溜めのような不潔な部屋だな」


「だよな、俺もそう思う。けど、お前に見て欲しいのはこっちだ」


 エスペルはヒルデを奥の寝室に案内した。

 扉を開けると狭い寝室をベッドが占領しており、そのベッドに、少女が眠っていた。首まで毛布をかけられている。

 ヒルデが眉をひそめた。


「誰だこの娘は」


「名前はライラ。この子に命を助けられた」


「なぜセラフィムがお前の命を助けたんだ?」


 エスペルは息を飲んでヒルデを見つめた。その、実に疑わしげな表情を。


「もうばれたのか……羽は見えてないのに……」


「当たり前だ、俺を誰だと思ってる!これはどういうことだ?死の霧内部への偵察に向かってから三日も城に連絡を寄こさず、俺を呼びつけたと思えば、部屋でセラフィムが寝てるだと!?」


「頼む、ライラを助けてやってくれ。もうずっと寝てる。三日間、目を覚まさないんだ。どうしたら意識が回復するんだ?」


「セラフィムを助けるだって?正気か!」


「俺の命を助けてくれたんだ!」


「五十万の人間を殺しもしたがな!」


 ヒルデが冷たく言い捨てた。


「っ……」


 エスペルは苦しげに口を固く結んだ。


「どうしたエスペル、セラフィムは全人類の敵だ!この娘だって、あの地獄の六日間に、数多の民を殺したに違いない!俺達の同胞を!俺達の故郷を!こいつらが奪ったんだ!」


 詰問されたエスペルはドン、と拳で壁を叩いた。


「そんなこと分かってる!!」


 エスペルの絶叫が、狭い部屋を揺さぶるように響いた。


 ヒルデが目を見開いた。エスペルは気まずそうに口を抑えた。こんな大声を出すつもりはなかった。


 しばしの間。


 静まった寝室の中、ぼそりぼそりとエスペルが言葉を発する。


「魂の十の光……魂構成子セフィラ…彼女の魂構成子セフィラ六つを破壊したのは俺なんだ。手加減なしで三つ同時破壊とか、すげえ痛かったはずだ……。その後、ライラは別のセラフィムにも痛めつけられて……。

 もうボロボロの体だったのに、最後の力で俺を助けてくれたんだ。俺が傷つけたのに、俺に殺されそうになったのに」


 ヒルデが大きなため息をついた。


 被っていたフードを外し、長い黒髪を紐で一つに縛る。ついでぽきぽきと首を鳴らす。


「もういい、助けてやる」


 エスペルがはっとヒルデを見た。


「本当か!」


「人類初のセラフィムの捕獲だ。むしろ死なすわけにはいかんだろうな」


 エスペルはくちびるを噛んだ。


「捕獲、やっぱそうなるか……」


 ヒルデがニヤリと舌なめずりをする。


「尋問してセラフィム共の情報を引き出し、検体となり我が研究の糧になってもらおう」


「そ、そんなこと!」


 ヒルデは追い払うようにエスペルの体を押しのけた。


「助けたいんだろう?邪魔だから向こうに行っていろ。ああ、水と布と鍋とコップを用意しろ」


「うっ……わ、わかった」

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