第5話 地獄の六日間(3) 撤退

 六日目。


 王国の誇る大聖堂の塔に、武装飛空船が突っ込んで炎上をしていた。


 聖堂前広場もそこから伸びる通りにも、夥しい死体が折り重なっていた。腐敗が始まり、悪臭を放っている。

 無人となった市場のテントとそこに並ぶ色鮮やかな品々が、唯一、王都らしい活気を偲ばせるものだった。


 エスペルは狭い路地で息を潜めて、表の様子をうかがっていた。

 背中に子どもを背負い、その隣には子どもの母親らしき若い女がいた。


「セラフィムはいねえな……。走れるか?」


「は、はい……」


「ここがふんばりどころだぜ、いくぞ!」


 エスペルは、顔色の悪い母親の手をひくと、死体を飛び越し、聖堂前広場を駆け抜けた。

 全速力で町の門を目指し、門の外に停車してあった荷馬車に到着した。


「はあ、はあ、生き延びたか……」


「やっと来たか、遅かったから心配したぞ!民を荷台に乗せろ」


 迎えたのは、馬の手綱を握る、大柄な騎士である。


「すまないガイル、王都に残っているのはこの二人で最後だ」


 ガイルもエスペルも、同じ緑色の騎士服を身に着けていた。二人ともカブリア王国の精鋭部隊、聖騎士団の一員だった。

 セラフィムの襲来初日に壊滅した聖騎士団の、数少ない生き残りである。


 憔悴した母子を荷台に乗せた。そこには既に八名がひしめいていた。

 エスペルに背負われていた幼い少女は、母親の首に抱きつきすすり泣いた。


「六日間、よく耐えたな。すぐ王国を脱出する。セラフィムは国外には来ない」


「ああ、聖騎士様……!ありがとうございます、本当に、ありがとうございます」


 母親は大粒の涙を流しながら、エスペルに頭を深々と下げた。

 だがエスペルは、いたたまれず目を伏せた。悔しさに唇を噛み。


 セラフィムたちを撃退する力もなく、王国を捨て、逃げることを決定した自分たち。


 これが武力と魔力を兼ね備え、はるか遠方の国々にまで名声を轟かせていた、カブリア王国聖騎士団の姿なのか?


 だが、そんな情けない自分たちに、民たちは心からの感謝の念を寄せてくれた。

 せめて、せめて一人でも多くの命を救わねばならない。

 誇り高き王国の、心正しき民たちを。


「行こう、ガイル!」


「おう、さっさとずらかるぜ!」


 ガイルが鞭をふるった。馬がいななき馬車が走り出した。

 しばらく行くとガイルが小声で隣に座るエスペルに語りかけた。


「エスペル……。脱出救助はこれで最後にしよう」


「何言ってんだよ?王都だけじゃねえ、まだ各都市に民が残ってるだろ!」


「昨日、帝国軍や盟邦軍も壊滅した、これ以上、王国内に留まるのは自殺行為だ」


「くっ……上空は?セラフィム共の宮殿はまだ撃ち落とせねえのか?あそこからワラワラ出てきやがる、宮殿さえ撃ち落とせば!」


「……あの有様だよ」


 顎でしゃくった向こう側、麦畑の中で武装飛空船が黒煙を上げて炎上していた。


「くそっ!」


「飛空船の操縦者も即死だ。しかもあの天空宮殿に傷ひとつ負わすことはできないようだ」


「化け物どもめ!」


「しかしエスペル、お前は襲来初日、聖騎士第五部隊でセラフィム達と対峙したんだよな」


「ああ」


「第五部隊はお前以外は全員即死した。何故お前は生き残ったんだろう……」


「分からん、俺も連中の即死魔法を受けて、激痛を感じて倒れたんだが……。気絶しただけだったんだ」


「やはりお前は最強の聖騎士ということか。まあ、生き残ってくれてありがてえ」


 その時、突然、キーーーーン、という不快音がして、皆思わず耳を塞いだ。


 片手で手綱を握り、片手で耳をふさいだガイルが顔をしかめた。


「おいおい、なんだよこの音は?」


 次の瞬間、ふいに視界に赤みが差した。エスペルは空を見上げて、眉間に皺を寄せる。


「なんだあの赤は……」


 天頂は、まだ昼間だというのに、まるで夕方の空のような赤い雲で覆われていた。

 赤い雲が天頂からどんどん広がり始める。

 突然垂れ籠め始めた、怪しい赤色の雲に、皆がざわめき始めた。


「き、気持ちわるい……」


「まるで血の色みたいな雲だ!」


「ガイル、これは一体……」


 言いかけながら後ろを振り仰いだエスペルの表情が険しくなる。

 人並み外れた視力を持つエスペルの目が、王都方面からこちらに向かって飛行してくる、セラフィムたちの影を捕らえたのだ。


「まずい、セラフィムが来た、ガイル急げ!」


「畜生め、分かってるさ!」


 何が起きているか分からない。だが、王国を脱出しさえすれば。


 皆がその希望を胸に抱き、馬車に全てをゆだねた。早く着けと祈りながら。

 王国と外との境、その希望の出口へと。

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