銀河のかなたの江戸時代

びんが

第1話 旅立ち~再び星間ゲートは起動した!

夏の夕暮れ。ギラギラ照りつける太陽が真っ赤に燃えながら奥多摩の山並みに沈んだ。ほっとしたのもつかの間、今度は焼け上がったアスファルトとコンクリートが容赦ない輻射熱を放出しはじめる。熱源が消えても燃焼力が続く遠赤外線効果はピザやパンを焼く石窯と同じ原理だ。


ビルの屋上やベランダに設置されたエアコンの室外機からは梅雨明け以来続く猛暑日と熱帯夜で休む間もなく熱風が吹き出し、ジメジメした空気をさらにヒートアップさせる。


都心から少し離れたここ吉祥寺もまた、サンロードやチェリーナードを行き来する人混みの熱気が入交って茹る様な暑さだった。


「あづ~~いッ! たまら~~ん」

「ほんと。“夕涼み”なんて死語だよね」

「なにそれ? 夕涼み? 昔は夕方になると涼しかったの?」

「カホル、夕涼み知らないの? 夕方になると風が流れたんだよ。熱は高い方から低い方に流れる習性があるから、お日様がなくなると空気が冷えて来て地面や水面との温度差で涼しい風が流れたものだそうだよ」

「へ~そうなんだ」

「ホタルは理系女なのよねえ」

「リ、リケジョちがう!」


浴衣姿の女の子たち三人が月窓寺の盆踊り会場の方に向かって歩いている。


「ねね、ちょっと寄り道していこうよ。ブームもひと段落したみたいだし今日は盆踊りで夜店も出て賑わっているからさあ、きっとあっちの方は空いていると思うのよね」

「カホル、アンタってほんと好奇心旺盛ねぇ!」

「そういうサクラだって行く気まんまんじゃないの!」

「ま、話題のスポットだしね。地元ッティとしては一度くらいはチェックしておくべきだもん!」


前から示し合わせていたのか、カホルとサクラと呼び合った女の子たちはすぐに意気投合した。


「ふたりとも、どこに行く気?」


そんなふたりを傍目で見ていた残りのひとりが納得のいかぬ表情で尋ねた。


「ヤ・ブ・シ・ラ・ズ!」」


ふたりが声を揃えて言った。


不知藪やぶしらず』は、うっかり迷い込めば二度と出られなくなるという神隠しの言い伝えがある禁忌地だ。都内でも屈指の人気をほこる繁華街吉祥寺に、手つかずの鬱蒼とした原生林がその一角だけ残されていた。紙垂しでのついた注連縄しめなわで封じられた空間はまるで神話の世界。昼間でも薄暗くて気味の悪い場所だ。


そう、お気づきかもしれないが全国ニュースにもなった神隠し事件の舞台なのだ。


神隠し事件があったのは今から4年前のこと。この町に暮らす男子高校生が、明日から夏休みという1学期最後の日に行方不明になった。現場に残されていたのは結界の外に置かれた制服の入った鞄だけ。それ以外の手掛かりはなく、煙のように忽然と消えてしまったとしか思えなかった。


誘拐事件、はたまた死体なき殺人事件、さらには超常現象ではないかとニュースやワイドショーでも大騒ぎになったが、1年後、男子高校生は無事帰ってきた。無事かどうかは立場にもよるのだろうが、なんと男子高校生は女の子の身体に変身していた。それも絶世の美少女だったことから、事件はさらに大きな話題となったのだ。男子高校生の話によると、不知藪の中の礎石は星間ゲートなのだという。彼はそれを通って他の惑星世界に行き、地球に帰還するため仕方なく女の子の身体になったのだそうだ。


そんなSFみたいな超常現象を引き起こした星間ゲートがあるというので、それ以来不知藪は世界的に有名なスポットとなってしまった。そして引きも切らず野次馬が見物に訪れていたのだ。


「だけどさ・・・もう暗くなってきたことだし明るい時にしない?」


示し合せていなかった子が反対した。


「ホタル。相変わらずアンタは煮え切らないんだから! 男なんでしょ? ちょっと暗いからってビビってどうすんのよ!」


華奢で色白で花柄の浴衣をお端折りして着ていたのでてっきり女の子とばかり思っていたが、よく見ると男子だった。


「いや、何かあったときさ・・・オレひとりじゃ女ふたりは守りきれないなって思ってさ」

「ふふ~ん? アンタ、私も守ってくれるつもりなんだ? 小顔で身長156センチのチビで私のお古の浴衣着せられているくせに」


カホルはホタルを見下ろしながら、彼の細くて形のよい顎をツンツンと突っついた。確かにカホルの方が15センチ近く背が高い。


「よ、よせよ。仕方ないじゃないか。迎えに行ったらオマエのお袋が『あ~らホタルちゃんは浴衣着てこなかったの?』って無理やり着せられたんだから」

「小っちゃい時からいつも3人いっしょに遊んでいたからね。カホルのお母さんはホタルのこと女の子だって思っているんだよ」

「そうそう。にわか雨でビショビショになったとき、私のワンピース貸してあげたら『すっごく可愛いい!』って言ってたっけ。それ以来遊びに来るたびにうちのお母さん喜んじゃって、ホタルに女の子の恰好させていたもんね」

「ううっ、その場のなり行きで仕方なかったんだよ・・・」

「ま、その流されやすい性格がホタルの可愛いとこでもあるんだけどね。アンタのことは昔から私がしっかり守ってあげているんだから、安心してついてらっしゃい」

「同じ背丈同士、手つないであげよっか?」

「い、いいってサクラ」


幼馴染は遠慮がない。






というわけで、3人は盆踊りに向かう浴衣姿のまま薮不知やぶしらずにやって来た。


「ここがそうなんだ・・・」


あのセンセーショナルな事件があってからすっかり有名になってしまった薮不知だが、さすがに今夜は誰もいなかった。


「閑散というか・・・シンッとしちゃっているね」

「さすがに休みの夜だし盆踊りだからみんなそっちに行っちゃっているんだよ」

「でもさ、ここを研究している人たちはいるんじゃないの?」

「うわ~~~♪ だったら神隠し少年がいたりして!」


薮不知では麗慶れいけい大学の量子科学研究室と考古学研究室の合同プロジェクトで神隠し事件の解明作業が進められていた。そのメンバーには理工学部に進学した神隠し少年本人も名を連ねているのだ。


浴衣姿に団扇をもった3人が鬱蒼とした原生林の中を覗きこんでていると、急に懐中電灯に照らされた。


「そこは立入禁止だよ。今日は研究スタッフが来ていないから中は見せてはもらえないよ。それにもう暗くて危ないし、女の子は早く帰った方がいいぞ」


白い自転車に乗ったパトロール中の警察官だった。


「オレ、男です!」

「ん? あ、そうか。今はユニセックスの時代だからな。それは失敬。でも、そんな可愛い恰好してキミひとりで女の子ふたりをボディガードするのは大変なんじゃないか?」


と、初老の警察官は男子高校生としては背丈が低いホタルを、頭のてっぺんから爪先まで値踏みするように見た。と、その視線を遮るように背の高い女の子が前に出た。


「大丈夫です。私がついてますから。私、剣道やっているから強いんです!」

「ほほう。威勢のいいお嬢ちゃんだな」

「こう見えてカホルは剣道三段なんですよ」


サクラと呼ばれた背の低い方の子が説明した。


「それは凄腕だ。ん? 確か・・・キミ、警察の道場に来ていなかったかい?」

「見ていたんですか? 確かに今年の寒稽古で武蔵野警察の道場に行きましたけど」

「そうか、あの時の女の子はキミだったのか。あの火の出るような峻烈な面打ちは男顔負けだったよ。今日は齢頃の娘さんらしい綺麗な浴衣姿だったから気がつかなかったよ」

「え? えへへへ♪」

「まあそういうことなら大丈夫かな。ともかく気を付けてね。早くお帰りよ」


目じりに皺を寄せて人の良さそうな笑みを浮かべながらそう言うと、初老の警察官は薄暗い夜道をゆっくり遠ざかって行った。


「さあてっと。誰もいないんじゃ仕方ないよね。じゃあ盆踊りに行こうか」

「何言ってんのよ、ホタル。誰もいないからこそのチャンスなんでしょ! 行くわよ!」


そう言うやカホルは『立入禁止』の札が下がったチェーンをひらりと飛び越えた。


「え・・・」

「ほら! こっちこっち!」


≪ブンッ≫


その時、急に空気を震わすような低周波音がした。


「な、なあに?」

「いやだ! 髪の毛が逆立ってるぅ」

「すっごい静電気!」

「む。この臭いは・・・電気分解したときのオゾン臭」

「じゃあひょっとして高圧線とか変電器とかの事故?」

「いや、そうじゃない。ほら!」


原生林の上空に向かって光の柱が立っているのが見えた。まるで巨大な発光生物が鼓動するように規則的にスペクトル変化しながら伸び縮みしている。


「なんだろ?」

「森の奥の方だね」

「なんか・・・嫌な感じがする。引き返そうよ」

「な~に言ってるのよ! もしかしたら世紀の大発見かもしれないじゃないの!」

「そうよそうよ! 今は研究スタッフだっていないって言ってたし、これを目撃しているのは私たち3人だけなのよ?」

「だけど・・・危ないよ。なにか起りそうな予感がする」

「シのゴの言わないの。行くわよ!」


そう言うと背の高いカホルは、ホタルと呼ばれていた男の子の手をぐいっと引張って急ぎ足で進みだした。




雑木林の奥へと続く小道を進んでいくと小さな広場に出た。広場の真ん中には丸い座布団のような石があり、真ん中から巨大な光の柱が1本虹色に変化しながら立ち昇っている。


「これが・・・星間ゲート?」

「ピカピカ光って綺麗ねえ♪」

「ほ~んと♪ よし写メ撮ろう。ほら、こっちこっち。いっしょに顔を寄せて!」


カホルは目いっぱい腕を伸ばしてデジカメを構えるとシャッターを押した。さっそく画面でうつり具合を見てみる。ホタルを挟んで女の子ふたりが頬を寄せている背景に光の一部が写っていた。


「やっぱ自撮セルフィーじゃこのスケール感は出ないわねぇ」

「じゃあセルフタイマーで撮ったら? あそこに台になりそうな手ごろな箱もあるし」

「よし、そうしよう。ふたりとも光の柱の前に並んで!」

「近寄ると危ないんじゃないか?」

「ほんとホタルは心配性なんだから!」


サクラはホタルを抱きかかえるようにして光の柱のすぐ前に連れて行くと浴衣の袖で品を作ってみせた。その間にカホルが『麗慶大学理工学部』と書かれた機材ケースにカメラを設置する。


「うん! サクラいい感じよ。ほらほらホタルもせっかく可愛い浴衣着ているんだからポーズして! じゃあシャッターを切るわよ!」


点滅を始めたデジカメの向こう側からカホルが急ぎ足でこちらに向かう。


「あっ!」


と次の瞬間、何かにポンと背中を押されたかのように足をつまずかせると前に向かって倒れ掛かった。


「危ない!」


慌てて抱き止めようとホタルが手を伸ばしたところにカホルが飛び込んでくる。抱き留める方より倒れた方の身体が大きかったのと勢いがついていたため、ふたりはそのまま後ろ向きに倒れて行く。


「うわっ!」

「ああああっ!」

「きゃああっ!」


真後ろにいたサクラもふたりの巻き添えをくって悲鳴を上げる。3人はそのまま光の柱の中へと倒れこんで行った。


「まぶしいっ!!!!!!!」


叫び声とともに3人の姿は消滅した。


≪カシャッ≫


遅れてデジカメのシャッター音が鳴ったときには、光の柱もイオン臭も空気を震わす低周波音も、何ごともなかったように跡形もなく消え去っていた。

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