雑多小説

shit she

少年F

「何が好きなの、あんたは。」

僕を見下ろしてそう告げた彼女に、僕は困惑した。

(君以外の全て。)

なんて。答えられるわけが無かった。

「なんでもいいよ。」

そう微笑む。彼女はこの答えに満足していないようだった。一息。すうっと大きく吸うと数瞬、逡巡してから僕の席を離れた。離れる時に立てられた机と床が叩き合う音は無視である。

「お前、瀬田と仲良かったんだ?」

目の前の席の“誰か”に語りかけられた内容から彼女の名が「瀬田」であることを知った。


いわゆる一軍と呼ばれる、スクールカーストの上位に位置する存在が僕は嫌いだった。見下されてるとか、馬鹿にされてるとかそんな大層な理由じゃない。同じ空間に確かにいるはずなのにまるで別世界にいるみたいに空間を切り分けられてしまう。彼等の不思議な力は僕にはないものだ。嫉妬。なのだと思う。たった1人で多くの人を動かす『カリスマ』の集団。到底なりえない存在への確かな羨望はいつしか黒い感情へと変わっていく。

(どうでもいいか。)

Aから数えて6番目。5番の指にも入れないような、モブの僕には関係のない話だ。

感情を封じ込める癖がついたのはいつ頃だろう。両親の不仲、高校受験の失敗、彼女に振られたこと、友人に裏切られたこと…。ありきたりな出来事だ。僕だけじゃない。もっと苦しい思いをしている人が世界にはたくさんいるんだ。明日の食事もままならないような貧困、家庭内の暴力、誰かの管理下に置かれ、はたまた紛争地帯に身を置かれ。

僕は幸せだ。曖昧な出来損ないの笑顔も板についている。誰にも干渉されない、誰とも干渉しない。中立の立場が1番の平和だと知っている。僕は幸せだ。


次の日になって「瀬田」という名の人間が僕に語りかけてきた時、僕は自分の世界が崩れていく予感に恐怖した。

「これ、あんたにあげる。」

彼女が差し出したのは淡いピンク色の袋であった。B5サイズの袋を僕の机に置くと、彼女はそのまま踵を返して教室を出ていった。唖然。ぽかんと開いた口を閉じてその袋の中を覗う。綺麗にラッピングされた箱と甘ったるいチョコレートの匂い。吐き気がした。

「いいなー、瀬田って結構モテるんだぜ。」

目の前の席の“誰か”が羨ましそうにこちらを眺める。

(あげようか?)

許されない一言を言いかけて、やめた。クラスの注目を集めすぎていることを察した僕は、ピンクの袋をリュックへと押し込めると席を立った。迷惑、だった。可もなく不可もない僕の世界にはこんなものは必要なかった。他人との干渉を絶ってきた。関わりたくなんてなかった。外の世界で眺めているだけで十分だった。モブFは主人公にはなれない。主人公にもなりたくないんだ。どうしよう、どうして、どうしよう。

思考が迷宮をさまよい始めた頃、僕は廊下の端にいた。下を向いていた視線が捉えたのは2階に続く階段に蹲るようにして座る「瀬田」の背中だった。彼女の背中は思ったよりも小さくて、彼女が女性であることを再認識させられる。

「っ!…いつから、いたわけ?」

背後に立つ僕の気配に気づいた彼女は一瞬驚くと、直ぐに僕を睨めつけた。

「僕、甘いもの苦手なんだ。」

彼女の質問に答えることなく、一言そう告げる。自分が今どんな表情をしているか、わからなかった。笑えているだろうか。彼女が傷つかないように、なんて考えている自分が気持ち悪くて仕方ない。

「あんたがっ!…なんでもいいって、」

女の子特有の高い声で発せられた言葉が空気を震わせる。

「ごめんね。」

続きの言葉を聞く気はなかった。僕の世界に、君はいらない。僕は主人公にはなれないから。


僕の言葉を聞いてから瀬田は階段を駆け下りた。僕は追いかけることなく、教室に戻った。

「どうだった?」

ニヤニヤして聞いてきた“誰か”に微笑み、

「何も無かったよ、義理だって。」

と伝えると“誰か”はガッカリしたように前を向いた。頬が引きつったように痛んだ。これでいい、これでよかったんだ。僕はずっと、モブFのままでいい。僕は幸せだ。そう言い聞かせると、心臓を締め付けるような痛みを無視する。

家に帰ってから、口に放り込んだチョコレートはどろどろに甘くて吐き気がした。飲み込んだものが後悔なのかチョコレートなのかわからぬまま、目を瞑る。僕は幸せだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る